血液内科ベッドの空き待ち。イライラしながらの一般病棟での5日間
年末年始の救命センター繁忙期?に備え、父の状態は「良い経過を辿っている」と判断されて救命病棟のベッドから移動することになったのだが、主治医のスター先生からは事前に『血液内科のベッドもかなりいっぱいでして。移動先の病棟がICUになるか、血液内科になるか…わからないんです。一時的に他科のベッドになる可能性もあります』と言われていた。
そして案の定、他科の大部屋に移ってきた父。それは血液内科のベッドが空き次第また移動することを意味していた。
もちろん救命病棟を出られたのは嬉しかったし、スター先生は『まさか大部屋に移れるまで回復できるとはね』と言ってくれたりもした。ただ私は少し不安だった。何が不安なの?と聞かれると明確には答えられない。なんとなく、早く血液内科に移れないものか…と案じていた。
お正月休みの間、病院全体でシステム改修をする予定だとスター先生が教えてくれた。PCやネットワーク・カルテなど患者管理システムを入れ替える。電子カルテなどが見られない時間帯もあったようで、父の移動による引継ぎも相当大変だったと思う。
お正月休みが明けるまでの5日間、他科のベッドで過ごすことになったのはそういう理由もあったようだ。
積極的治療をしない?移行期間
これまで毎日のように透析だ輸血だ薬の投与だと実施してきたが、救命を出てからは輸血も、間隔透析すら実施しなかった。「実施せずに済んだ」と表現したほうが正しいのかもしれないけど、おかげで父の腹水は再び溜まっていき、お腹はまた臨月大に膨れ上がり『もう苦しくてどうしようもない』と洩らすことが増えた。
透析をしない代わりに水分制限+利尿剤の経口投与が始まる。今まで水分を取ることを怖がり摂取をためらっていた父にとって1日1Lの水分制限はそんなに苦ではない様子だったけど、利尿作用のある漢方薬の粉は飲みにくいらしくポツポツ不満を訴えていた。
利尿剤が効き始めたのは4日ほど経過した頃だ。それまで1日200〜400mlも出れば良いほうだった父の尿量は、日に何度も看護師さんがバッグから廃棄するほどにまで回復した。それに伴って少しずつではあるけどお腹の苦しさも和らいでいったように思うけど、3日目までは本当に苦しそうで「こんなことなら透析やっていたほうがまだ楽なんじゃない?」とつい思ってしまった。
利尿剤の副作用のひとつは口の渇き。水分制限もあって余計に渇いてしまうのだろう。ステロイドの影響による血糖上昇も気になるらしかったので、先生からノンシュガーのど飴の許可が下りた。
口が渇くと、喋りにくくなる。これまで何度も苦しめられてきた喋りにくさを予防すべくうがい薬を父に促す。これが『苦くて嫌なんだよね…』と父。味覚が変化しているようで苦さにも敏感になっているのだろう。わかるけど、喋れなくなったらもっと切ない思いを強いられる。「やめるとまた口内炎が酷くなっちゃうよ?」と若干脅しつつ、なだめつつ、薬でうがいをしてもらっていた。
さらに、呼吸の荒さも気になった。酸素量は2〜3Lを昼と夜で分けていた(夜の方が酸素量は高め)ようだが、胸を上下させながら息をしている父は少し苦しそうで、日中の面会時にも少し酸素を上げてもらう。
私には、救命病棟にいた頃に実施していた治療を一気にやめたような「感覚」があった。実際にはそんなことはないんだろうけど、つい数日前に変えたばかりの間隔透析も、2〜3日に1度の輸血もぴたりとやらなくなった。もちろんステロイドやアクテムラはこれまで通りの投与なのだろうけど、こんなに急にいろんなことを変えて大丈夫なの?という思いが少なからずあって。
先生は毎日父の様子を見にきてくださっているそうで、だとすれば先生にお任せするしかない。透析や輸血治療から離脱するための移行期なのだろう。そう自分に言い聞かせつつ、漠然とした不安をどこに持っていけば良いのか考えあぐねていた。
結局、お正月休みの最後の1日だけ個室に移ることになった。父は『俺、他の人に迷惑かけていたかなぁ?』と何度も看護師さんに尋ねていたが、もし仮にそうだったとしても看護師さんが「ええ、そうですよ」と答えるはずもない。そういうわけで個室への移動がどういう理由なのかはいまだにわからないままだ。
ただ、同室の面会者はマスクをしていないし、そもそも集中治療を終えてすぐに大部屋というのはどうも気が進まなかった。だから私の中では結果オーライ(なんならもっと早く個室でも良かったんじゃ?)ということで片付けている。
父、43日ぶりのスマホライフ
ICUや救命病棟内では携帯は使えない。父のスマホは入院以来ずっと私の自宅に保管されていた。救命を出たんだからスマホも解禁だ!そう思った私は2日目には父にスマホを手渡した。
筋力や握力も落ちていたし、手が震えていることもあったから、スマホ操作が難航するかなぁ…なんて思っていたけれど、電源を入れすぐにメッセージを確認する父。なんの支障もない様子にほっとした。
父から私宛てに最初に来たLINEは「テレビカード、もう切れちゃったよ。早いわ!予備使うね」だった。しかも朝4時に、絵文字入りで(笑)それ以降も「アレとコレ持ってきてもらえる?」「いつもと同じ時間に来る?」など他愛ない会話ができる。いや、なんとも幸せに思えた。
父の知り合いに、父の携帯から私が代わりに連絡を取っていたこともあった。急に連絡が取れなくなったことを心配した方々がたびたび連絡をくださっていて、中には病院に電話をくださった方もおられた。ありがたいことだし、これからは父が直接連絡を取れる。面会制限期間のため、まだ会うことはできないけれど…
父も私たちと連絡が取れることを喜んでいるようだった。特に妹とは月に1〜2度しか会うことができないし、テレビを見られると言ったって「(父にとって)面白い番組」はかなり少ない。入院する前から家族間でのLINEのやりとりは結構あった方だと思うけど、会えない時間も誰かと繋がっていられるのは入院している父にとってより一層心強かったのだと思う。
気の緩み?疲れが出はじめる長女さん
ICU以外の病棟は面会がものすごく楽だ。名前を書く程度で病室に直接行けるから、看護師さんのお迎えを待つこともない。そして何より「何かあったらすぐ…」のような緊迫感がグッと減った。ただ、気持ちがフッと楽になったからだろうか、いろんなことが「気に障る」ようになっていた。
その一つは、病棟に面会に来る方たちの「感染症への理解度の低さ」だった。命に関わることはないにしろ、風邪やインフルエンザを入院患者さんにうつすかもしれないリスクを考えマスクやアルコール消毒が必須になっているのに、見た感じ守っている人は半分くらいしかいなかった。
ちょっと前までは、救命センターに来る(おそらく)インフルエンザであろう外来患者さんがマスクをしていなくても「きっと苦しいんだろうな」と受け止めて、自分がその場を離れればいいと思っていたのに。
また、『処置をするので少しお待ちください』と言われ病室の外に出て1時間。ちょっと前まで看護師さんが呼びに来るまで待合で毎日待つのも平気だったのに、たったそれだけのことでイライラしたり。
そして挙げ句の果てには父にも。
こんなの、今までの状態と比べたらなんてことない些細な出来事だ。「今までしんどかった分、ワガママもできる限り叶えてあげたい」そう思って接しているけど、心のどこかにささくれ立った気持ちが確かに存在しているのを自覚していた。
たぶん、私は疲れている。
そう思った。
「全然大丈夫」なんて強がっても何にもならない。こんなことくらいで音を上げるなんて情けないと自分を責めても仕方ない。大したことをしてなくたって疲れたもんは疲れたのだ。『今までよく頑張ってきたね』と誰かに言われたい言葉を自分で投げかける。
不思議と体調を崩すことはなかった。気が緩んだら体調を壊すかも…とまだ気を張っていたのかもしれない。「一番辛いのは父なんだから」と自分をなだめ、ねぎらい、感情をコントロールしつつ、できる限り前向きに。ってそんな神々しい技、あいにく私は持ち合わせていなかった。
こうやってTwitterでつぶやくことで優しい誰かが反応してくれる。いいねをくれる。コメントをくれる。弱音を吐いて、優しさに励まされて、なんとか気持ちを保っていられたように思う。
そしてそういう優しさをくれるのは「自分も辛い思いをしている人たち」なのだ。後ろを向いてる場合じゃないよな、と思わせてくれるのは痛みを知っている人たちの優しさ(強さ)。いつも思うけどほんとうにありがたいし、私もこんな風に辛い思いをしている人に優しくありたい。
ま、まだ無理かもな…
◇
お正月休みで世間のいろいろなことが止まっている時、父の周りはなんだかバタバタしている感があった。環境が変わり、治療の移行に伴って体調も変わり、ベッドも次々と(この1週間で父の病室は3回も)変わった。
でも、変化に適応できなくてバタバタ(イライラ?)していたのはもしかして私の方だったのかもしれない…と今になって思う。父は変化を受け止めつつ、粛々と日々を過ごしていた。
お正月にはオットとともに病気平癒の神様のいる神社にお参りに行った。お賽銭はケチらず、お守りを買って父の病室にも届けた。引いたおみくじには「思うようにいかない状態に直面するかもしれないが、じっと辛抱。そのうちに新しい流れがやってくる」とか「少し健康に留意しなければ今に反動がやってくる」とか「心理的にも経済的にも身動きの取れない過労の時、いたずらに焦るべからず」とか書かれていた。もう、ぴったりすぎて笑った。
週が明ければ平日、平常運転がやってくる。
現在、父の所属は救急科だけど、おそらく週明けには血液内科に転科することになる。その時父はどこの病室にいるのだろう?とかいろいろ考えても仕方ない。
「じっと辛抱」のときなのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?