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音楽家と音楽教師の狭間で。「陽のあたる教室」原題:Mr.Holland’s Opus(1995年アメリカ映画)

作曲家を志し音楽のためにすべてを犠牲にする男、ホランド。

「コンペティション」(1989年・アメリカ映画)のリチャード・ドレイファスが演じる。ボロアパートの一室で、心の中のフル・オーケストラでフィナーレのファンファーレ部分を思い描きながら古ぼけたピアノに向かう。

アメリカには面白い作曲家がいる。俺の尊敬するチャールズ・アイヴズ(1874-1954)。

教会のオルガニストで、無調、多調やコラージュ手法を駆使した斬新な作品を多数残している。交響曲第三番「キャンプ・ミーティング」で、1947年にピューリッツァー賞も受賞した。現代作曲家に分類される。

アイヴズはイェール大学で音楽を学び、卒業すると「不協和音のために飢えるのはごめんだ」と言ってビジネスの世界に身を投じる。事業にも大成功し自身の名を冠した「アイヴズ相互保険会社」の創立者となる。

このような例は極めて希だ。ビジネスも音楽にも才能がそこそこの大多数の凡人は、飢えつつ「不協和音」とつき合うか、さっさと音楽などあきらめて別の暮らし方をはじめるのだ。

ホランド氏の転機は奥さんの妊娠から始まる。「不協和音」ではミルクは買えない。

ホランド氏の選んだ職業は高校の音楽教師。音楽家にとって「格下」の職業だが、食っていくためには仕方がない。初めは乗り気ではなかったが、もり立ててくれる校長にも恵まれ、ホランド氏は徐々に音楽教師の仕事にのめり込む。できない生徒が指導することで成長する喜びを味わう。

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「教えるということはふたたび学ぶこと」。ホランド先生は音楽を教える喜びに目覚めた。

自分の音楽に対する夢を託そうと期待したわが子は聾唖者だった。ホランド先生は耳の聞こえない息子を愛すことができない。なんと悲しいことだろう。現実はそうなのだ。

高校をあげて取り組んだミュージカルは大成功。ホランド先生が、寝食を忘れ、家庭を顧みず、熱心に指導した結果だ。

才能のある教え子も自分を慕ってくれる。いつしか恋愛感情を持ち始めるホランド先生。 若く美しく才能豊かな女子生徒と一緒に町を出る約束をする。

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高校や大学の教師なら多少なりとも思い当たるところだろう。そして、ホランド先生は正しい選択をする。その生徒との約束を破ることで自分の人生を守ったのだ。

耳が聞こえず、まったく音楽を理解できないと思っていた息子が、スピーカに腰をかけている。大音量で流れる音楽。その時、驚くべきことが起こる。振動で息子は音楽を「聞いている」のだ。

ホランド先生は初めて息子を受け入れる。息子に語りかけるように歌うジョン・レノンの「ビューティフル・ボーイ」。見ている俺は涙を止めることが出来ない。

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原題の「Mr.HOLLAND'S OPUS」がいい。邦題「陽のあたる・・」じゃ、石坂洋次郎かよ!という腑抜けな印象しかない。「ホランド氏の作品」。映画を見るとそのことがよくわかる。

この作品の面白さはまだある。ホランド先生の若い頃から?退職するまで、年代ごとのトリビアが映像化されていること。

着ているものとか、流行っている音楽、調度、家電製品、車などすべて年代ごとに細かく配慮されている。生徒のファッションの変化!女子はだんだん半裸みたいな格好になるもんな。へそ出してるし。態度の変化、学校の中をを闊歩する人種の変化も興味深い。

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どんどんポップなファッションになっていくホランド先生もおかしい。アメリカ人は年齢に関係なくポップな格好をするからね。最近は日本でもそうか。

ベトナム戦争も影を落とす。教え子が戦死する気持ちとはどのようなものなのだろう。

年老いて、教え子たちがホランド先生の作品を演奏してくれることになる。作品としてはたいしたことないのだが、この教え子たちこそ、ホランド先生の最高の「作品」、「Mr.Holland’s Opus 」なのだ、とわかる場面。

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感激した。

「教師」という職業をよくあらわしている。しかも芸術系の教師の偽らざる心境をよく表現している。

学校で教えることと、自分の憧れ学んできた芸術音楽とはまったく関係ないといってもいい。

だが、必死で学んできた芸術の全てを費やしても得難い喜びがある尊い職業、音楽教師。そのことがわかるリアルな手触りのある映画だった。

この映画、俺にはとても大事な映画だ。

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