パン職人の修造94 江川と修造シリーズ the dough is alive
フランスから帰ってきて何日か経った。
パンロンドの奥さんは手回しよく『世界大会優勝!田所修造・江川卓也』ののぼりを作って店先に付けていた。
修造と江川はパンロンドの出窓のところに世界大会で作ったパンデコレを飾っている最中だった。
「やっぱこの選考会の時のパンデコレは退けるよ。太陽の反射が当たってたし劣化してる。付け根がグラグラしてるし」
「ですね、崩れてきそう、僕のは小さいからまだいけそうですけど」
そんな会話を横で聞きながら、新入社員の花嶋由梨は2人のお手伝いをしていた。
「ねぇ由梨ちゃん、ここに冷却スプレーをかけてよ」
江川は溶かした水飴を接着面に付けながら指差した。
「はい」
由梨は藤岡を追いかけてパンロンドに来た。
動機は不純だが、世界大会の優勝者の修造のそばで早速勉強できるなんて凄い事だと思って2人の作業を見ていた。
これからみんなに色々教わってパン作りと言う新しい世界に飛び込んでいきたい。
とそこへ
「あのさ、修造く〜ん」
さっきまで電話していた親方が話しかけてきた。
「なんですか親方」
修造は嫌な予感がした。
「NNテレビのディレクターの四角志蔵さんから電話があって、修造と江川をテレビ局に呼んで放送したいんだってさ」
「えー俺テレビとか苦手なんで」と言いかけたらそれより大きい声で「はい!出ます!絶対出ます」と江川が大喜びで右手を上げ、ピョンと跳ねながら返事した。
「よしっ!じゃあ決まりだな」と言って親方がまた電話し始めた。
「江川、お前だけ出たら?」
「えー?助手の僕だけ出るなんて変じゃないですかぁ。僕出たがりだと思われちゃいますよぅ」
それを聞いて修造はそうだろうが!と言いかけた。
「じゃあ修造!次の火曜日にNNテレビに江川と2人で行ってくれよ。ユニフォーム持ってきてくれってさ」
「はいわかりましたぁ」
「あの、、」
江川の元気な声に修造の声はかき消される。
「江川さん凄ーいテレビに出るんですね!家族と一緒に見ますね」
「うん由梨ちゃん。家族ってお店ごと今度東南商店街に引っ越してくるんでしょ?運良く空き店舗があって良かったね」
「はい、しばらくはバタバタしますが、早くこちらで落ち着きたいです」
ーーーー
次の火曜日
2人はNNテレビに来た。
「久しぶりに来ましたね修造さん」
「えー?うーん」
なんとも気のない返事をして、待っていた四角のところに行く。
「どうも、これ、言われてたパンです」修造は店で作ってきたパンの入った箱を渡した。
「ありがとうございます。シェフ、お疲れ様でした。相変わらずご活躍ですね。楽屋へ案内しますので時間までお待ちください」
2人は6畳の部屋に通された。
台本を渡されてしばらくそれを見ていたが「こんな人の考えた言葉を言わなくちゃいけないのかよ」と修造は文句を言った。
「そう言うものじゃないですか?」
「そうかなあ」
自分で話すのも億劫なのにさらに覚えるなんてできるのか、、?
こんなもの無視して答えてやろう。そう思って修造は台本を裏返して置き、ゴロンと畳の上に横になった。
そこに女優の桐田美月が挨拶に来た。
「わあ!桐田さんだあ。ご無沙汰してまーす」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」桐田が嬉しそうにしている江川に笑顔を向けた。
修造も起き上がり「どうも」と言う。
それをじっと見つめていた桐田は「シェフ、この度はおめでとうございます。またお会いできてとっても嬉しいわ」と手入れの行き届いた細い指の柔らかな手で修造の無骨なゴツゴツした手を上と下から包んだ。
「ではまた後で」
立ち去った桐田を見送った江川は「桐谷さんに手を握られてましたね!律子さんに言ってやろ」と小学生みたいな事を言ってからかってきた。
「うわー!それだけはやめてくれ」修造はズザーっ!と滑り込んで江川の足を掴んで懇願した。
「じゃあ収録で本気出して下さいね、笑顔を忘れないでくださいよぅ」
「はいはいわかりました」
修造はそのまま顔を伏せて言った。
ーーーー
修造と江川はユニフォームに着替え、スタッフに連れられてスタジオに入った。
台本は読んでないが江川に言われた通り真面目な気持ちで行くつもりだ。
桐田は優雅な感じで椅子に座ってディレクターの話を聞いていたがユニフォームに着替えた修造が入ってきた瞬間に釘付けになっていた。
「こんばんは、司会の埴原亮介です。そして女優の桐田美月さん、パン好き代表の小手川パン粉さん、アクション俳優のジェイソン牧さんです」と修造と江川の座っている前の3人を指した。
「さて、テレビをご覧の皆さんはパンの世界大会があるのをご存知でしょうか」
小手川が「知ってますぅ〜フランスで開催されたんですよね、各国の強豪達がパンでしのぎを削るんです」
すると埴原が「そう、実は今日のお客様はその大会に出られたお二人なんです!パン職人の田所修造さんと江川卓也さんです」と手のひらをさっと2人に向けた。
テレビではそこで2人のアップと名前がバーンと出て、世界大会の場面が流れ大会の作品が映し出される。
見ている方は「へぇー!パンの世界大会ってのがあるんだねぇ」なんて言ってる人もいるかもしれない。
「田所シェフ、助手の江川さん、優勝おめでとうございます」
「どうも」
「お二人はパンロンドって言うパン屋さんで働いてるそうなんですが、そこで練習しながら大会をめざされたんですか?」
「自分達はパンロンドの店主とベッカライホルツの大木コーチの所を行き来して大会のパンについて教わりました。本当にありがたかったです。随分と良くして頂きました」
「そうなんですね、その時は江川さんもご一緒に練習に行かれたのですか?」
「はい、僕始めは何も出来なかったけど、コーチと修造さんに教えて貰って選考会でも助手に選ばれて大会に出る事が出来ました」
「田所シェフは大会に向けてさぞ努力をされたんでしょうね」と桐田がコメントした。
「入社当時は右も左もわからなかったんですが、途中からパン作りに夢中になって、ドイツに5年間修行に行きました。そのあとは大会に向けてまた夢中になっちゃって」
「それだけ打ち込んだから今のシェフがあるんですね」
「俺、すぐ意地になっちゃうんです」
「それが追い求めることになって結果的にトップを目指すんでしょうね」埴原がまとめた。
次に小手川が江川に聞いた。
「江川さんはどうしてこの業界に入ったんですかあ?」
「僕はパンロンドを取材した雑誌に載ってた修造さんの写真を見て、なんだか前から知ってる気がして、気になってパンロンドにきました。そして修造さんに面接して貰ったんです」
そのあと江川は修造のやった段ボールを使って3種類の温度帯を見抜く風変わりな面接の事を面白おかしく話した。
「段ボールを何も知らされずに3分で仕分けるんですね?変わった面接ですねえ」
「はい焦りましたぁ〜。始め何も分からなかったけど持って運んでるうちにあ!これだ!ってわかったんです。最後の10秒なんて大急ぎでしたあ〜」
皆アハハと笑って盛り上がった所で試食タイムに入る。
「これは?なんてキラキラしたパンなんでしょう」
「これはチェリーのシロップ煮を使ったバイカラークロワッサンです。生地を細長く切り半分に折って真ん中に切り込みを細かく入れていく。それを花のように巻いて先を菊の花弁のようにカットするんです。それとは別に、赤い生地でステンシルを施した小箱を作り花を中に入れて焼く。花弁の先が焦げないように上に途中から厚紙をのせて気をつけて焼いて、焼成後江川がキルシュワッサー使用のシロップを塗ったものです」
「まあ、このパンだけでもそんなに手数が多いんですね。8時間で全て作るなんて凄いわ」と桐田が感嘆の声をあげた。
つづく
江川の初めての面接はこちら
四角と桐谷の出てくるパン王座決定戦はこちら
9〜17話
菊のパンの出てきたお話はこちらstairway to glory
84〜86話
パン職人の修造 江川と修造シリーズ1〜55話はこちら
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