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パン職人の修造 156 江川と修造シリーズ 赤い髪のストーカー


お菓子の販売経路を増やして忙しくなってきた麻弥は、時々しかリーベンアンドブロートに行けなくなった。

それでも抜け目なく修造が空手の試合に出るのを店員の立ち話から聞き、こっそりその日空手の大会に出かけてオペラグラスで修造だけを追ったりした。

たまに仕事を抜けてパンを買いに行ったが修造の姿をちらっとでも見る事は出来なかった。

『きっと奥の工房でパンを作ってるんだわ』テラスに座って店の方を見ていた、風が爽やかで花がゆらゆら揺れている。その時麻弥は修造の妻と子供らしき3人を見つけた。

白いエプロンドレスで茶色い髪の女と小学3、4年ぐらいの女の子と小さな男の子だ。

もし私があの女だったら今頃は。そう思って深々と被った帽子の隙間からじっと見ていた。

するとその小さな男の子がタタタッと走って来て、座っている麻弥の膝に抱きついた。

『まあ、この子修造に似てるわ』


麻弥はその子を抱っこして顔を見回して抱きしめた。


柔らかで良い匂い。


「可愛いわ」

私も修造の子供が欲しい。

私がこの女の代わりに一緒に家に帰って過ごせたら。

でもそれも一瞬の事だった。

「すみません、うちの子が」修造の妻律子が声を掛けた。

すると男の子はさっと母親の方を向きそちらへ走って行ってしまった。

「いいえ」

麻弥は弱々しい声でそれだけしか言えなかった。

麻弥の胸の内に雷の様に痛みの電流が光った。


ーーーー

自分の店に戻って着替え、従業員に混じってお菓子を作りながら涙がポタポタ落ちそうだった。

他の物に見られない様にするのは至難の業で、皆が心配するので「ここの所忙しかったから疲れたのよ」と誤魔化した。

通路の奥の小さな窓の前に立ち、涙が止まらなくて困る。

佐山もその様子に気が付き麻弥の背後で「何かあったんですね?あの男の事ですか?」と聞いた。

麻弥は佐山に背を向け、窓の方を向いて少しだけうなづいた。

「僕にできる事はありますか?」

『例えばあの男を仕留めて麻弥の心を楽にしてしまうとか』と佐山は考えた。

麻弥は小さく首を横に振った。

『私はいくらでもボスを誘導できるのにひとつだけ「あの男の事」は絶対に変えられない』

「もうやめませんか?あのパン職人の男はボスとは違う次元や空間にいて、自分とは違う人生を歩いていると思うと気が楽になりませんか?」

「そうね、それができたらもうとっくにやってるの」

ーーーー


麻弥はしばらくの間リーベンアンドブロートに行くのをやめた。

仕事に専念し、休日は新たな鎧を手に入れる為に更に高級ブランドの服や靴を買い、それを着て街を歩いた。こうしていると何か他の人物になれた様で少し勇気が出る。

豪華なショップの鏡に写る自分を見ると他の誰かが乗り移ってる様にも思える。

強気な女社長の設定で街を歩いていると「麻弥」と車道から声がした。


振り向くと黒い高級車の窓から常吉が顔を覗かせている。

「常吉さん、その節はどうも」麻弥は会釈した。

「麻弥、君変わったね」常吉は心から後悔した、この美しい女を何故手放したのか自分を疑った。

素早く車から出てきて顔を近づけて言った「俺が悪かったよ麻弥。あの時は君に手を出さない約束をしてたから俺は我慢してたんだよ。今なら君に交際を申し込んでも良いだろ?」

麻弥は常吉の本性を見ておいて良かったと思った。自分を叱責していたくせに。

麻弥はセレブの設定で気高い感じでそのまま「今忙しいのよ」と言って立ち去った。

その高飛車な態度がまた常吉を夢中にさせた。

ーーーー

その日から常吉の電話とメール責めが始まった。どうしても会いたいとか渡したいものがあるとか言ってきた。

麻弥はため息をついて「常吉が」と小さな声で言った。

「はい?」麻弥の声が小さいのは慣れているが佐山は耳に手を当てて麻弥の方に向けた。

「常吉が毎日連絡してくるの」

「そんな時はすぐに言ってください」最近派手な出で立ちの麻弥が余計に常吉をそんな風にしたんだろう。

危険な人だ、と麻弥を見て思った。


帰宅後

佐山は座ってワインを飲みながら一点を見つめ考えた。

机を指でトントン叩き、あのパン職人と常吉、パン屋と常吉、、、

色々悩んだ挙句「おっ!」と一瞬声を出して目を少し見開いた。

そうだ!常吉をあの修造ってやつと、、、

ーーーー


麻弥はマカロンを従業員と作っている最中だった。

店からその様子を見ながら佐山は麻弥のメールから常吉に連絡して「明日15時に駅前のカフェで待ち合わせましょう」と書いた、するとすぐに常吉から「分かった、行くよ」と返信が届いたので「ふん、バカめ」と言いながらそのやり取りを麻弥にわからない様に削除した。

次の日駅前のカフェの奥の席で楽しみに待っていた常吉の前に佐山が現れた。

「何でお前が来るんだよ!」佐山を見て一気に不機嫌になった。

「あれ、すみません、なんて書いてましたっけ?」ととぼけて常吉からスマホを取り上げ麻弥の名前のメールを削除した。

「麻弥さんは今日の約束の事は知りませんよ。僕から相談がありまして」

「なんだ!早く言え!」常吉はふんぞり返ってコーヒーを飲んだ。

「実は麻弥さんはある男に片想いしてましてね、だからなかなかなびいてくれないんですよ」

「なに?どんなやつだ」と前のめりになる。

「それがひ弱そうな男で、何であんな男がいいんだか」とチラつかせた。

「どこの奴なんだ!」
「それを教えるにはその男をどうするか先に僕に教えてからですよ」
「殴ってやる!」
「背が高いから届くでしょうか?」
「じゃあ棒で」
「かわされたらどうします?怪我しないで下さいよ」
「じゃあ何人かで行く!」
「殴ったぐらいじゃ麻弥さんの恋心は継続ですよね」
「うーん。わかった!」

常吉は佐山にひそひそ声をひそめた。

「まあ、それなら良いんじゃないでしょうか」

ーーーー

すごくつまらない奴とつまらない会話をしたと思いながら佐山は何食わぬ顔で戻ってきた。

そして作業中の麻弥に「今度視察にドイツに行きましょう。僕はドイツに行った事ないので案内して下さい」と事務的に言った。

「ドイツに」麻弥は横にいた佐山の方を向いた。その表情は少し明るい様に思えた。

「はい。気晴らしにミュンヘンに行ってホフブロイハウス(歴史のあるビアホール)に行ったり、マキシミリアン通りでお買い物でもどうですか?」

「素敵」

「勿論部屋は別々ですから安心して下さい。僕はボスとの間にトラブルは起こさないので」

「分かったわ」

そう言って、麻弥と佐山は決行の前日にドイツへと旅立った。

麻弥はドイツにいた時お金がなくて中々よその土地に行けなかったのでミュンヘン行きを楽しみにしていた。


何も知らずに。


つづく


今回の扉絵は基嶋機械の後藤がSNSに載せていた、パン好きの聖地という雑誌の中のインタビュー記事です。パン好きの記者小井沼武夫がパンの名店を巡って書いたもので修造の店にも訪れ、その時に家族を置いてドイツに行ったことを詳しく聞いていた。それを知った修造の愛妻律子は小井沼に修造を悪く書かないでくれと頼む「旦那さんのことを愛してるんですね」小井沼はそう言って家族4人の写真を撮り、記事には「時を超えた家族の絆」と書いた。ちなみに表紙は江川君がテラスで微笑んでいる所だ。

これを見た麻弥の気持ちはいかばかりか。
しかしながら片思いというのはそう言うものだ。片側から一方的に思っているだけなのだから。麻弥は頭の中では分かっってはいるがどうにもコントロールできずに苦しみ、それを見ていた佐山は、、、


パン職人の修造 1〜55話 江川と修造シリーズ |青松花歩|note

パン職人の修造 56話〜100話 江川と修造シリーズ|青松花歩|note

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