パン職人の修造99 江川と修造シリーズ some future
「パンの修行の為に」由梨が合いの手を入れた。
「そう!凄く反対したわ。緑も小さかったし。
でも目の奥に覚悟が段々できてきて、絶対行くんだわって悟った。
5年間ずっと修造が帰ってくるのを待ってたの。
パンロンドで働きながら長女の緑を保育園に預けて
仕事が終わったら2人で帰ってまた次の朝が来る。
修造が大好きで会いたくて、でも意地を張ってメールの返信もしなかった。
ずっと後悔してるのよ。
追いかけていけば良かった
一緒にドイツで暮らせばよかった。
だからこれからずーっと一緒にいようと思ってるの」
由梨は律子が力を込めて言ったずーっとに何か意味があるのかと思って見ていた。
「はい」
「私達ね、山の上でパン屋さんをするの。修造がパンを作って私が販売して修造を支えるの。修造がパンを作ってる所がお客様にも見えるようにしようかな」
「素敵」
由梨は自分と藤岡の未来をちょっと夢見てみた。
「結婚って良いですね」
「ホント毎日が楽しいわ」
その姿は堂々としていて自信に満ち溢れ輝いてるように見えた。
子供達から必要とされる存在で、夫から絶対的に愛されている証拠のようにも見えた。
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次の週
修造一家は法事で山の上の実家に帰っていた。
修造の家がある山の上半分は母方の先祖代々のものだ。
今は誰もすんでいないので、結構埃が溜まっている。
掃除しながら「やっぱすんでこその家だ。とはいえ元々ボロ屋だからな」と見渡した。
修造の実家は山の上にある平屋で、玄関の前は平らで広場の様になっている。
入り口の入って直ぐの所は6畳ぐらいの土間になっていて、左には部屋が2つぐらいの大きさの板張りの部屋がある。入り口の奥は台所とその奥に風呂トイレ洗面台。建物の右手には部屋が3つ。
母親の法事中、無骨で無口な修造に比べてしっかり者の律子に皆感心した「こげんできた嫁ばよく見つかったもんたいね」と山の中腹に住む母親の3組の妹夫婦が囁き合った。
皆帰った後、家族4人だけになった。
緑は珍しい板張りの広い部屋をゴロゴロ転がって、大地はそれをハイハイで追いかけている。
「ねぇ修造。ここにオーブンを置きましょうよ」と左の部屋で両手を広げて言った。「ここに工房」そして入口の土間を指差して「ここがショーケース」こっちに棚を置いてこっちに台を置いて」
と律子は張り切って言った。
「裏に畑を作って野菜を育てるわ、修造はそれを使ってパンを作ってね」
信州の実家が農家の律子は自慢げに言った。
「素晴らしいなあ。いい考えだよ律子」
今は昼間は別々だけどここなら昼夜なく同じ空間で一緒に過ごす事ができる。
俺の俺だけの工房で俺のパン作りをして、最愛の律子と毎日パン作りをここで。
二人は出会った頃の様に見つめ合った。
ここにいて2人で同じものを見て同じ様に感じて毎日を過ごして2人で歳をとろう。
ここら辺の湧き水は潤沢な硬水よりの水でパン作りに適してる。遠くに見える山の周りは牧場と農家が沢山あって良い材料が手に入る。
山を降りた所にある小麦農家と話して粉を卸して貰おう。
修造の夢はギラギラと膨らみ胸いっぱいになった。
外に出れば目の前は林の続く斜面でその下には広大な景色が広がり、その向こうはまた山が見える。その向こうは空だ。夕焼けが真っ赤になり何もかも赤く染まる。
「綺麗だわ」
律子はこの夕焼けを見ていつも感動している。
入り口は南向きだが工房を作る予定の居間は西に向いていて夕方は西日がきつそうだ。なので庭にベランダを作って長めの庇(ひさし)を作ることにしよう。ここに薪窯を作って外に薪の置くところを作って。など随分具体的になってきた。
初めて律子をここに連れて来た時に、美しい眺めに感動した律子はこの場所が気に入り、ここでパン屋さんをしようとどちらも言い出した。それ以来、いつかはここでと言う話は度々出ていたのだ。
修造は納屋に伐採用の鉈(なた)を取りに行った、すると便利な折込式のこぎりと充電式の電動ノコが見つかる、母親が使っていたのだろうか?にしては大型で結構新しい。不思議に思いながらそれを持って裏庭から斜面になって続く林に入り、枝を切り落として来た。
不思議な事に長い間ほったらかしていたのに周りの雑草や蔦はそこそこ手入れされている。さっきの親戚のおじさんが見かねてやったのだろうか。
「誰が手入れしてくれてるんだろう」そう独り言を言いながら鉈で細長く切っていく。2年後に使う薪窯様の薪を準備して工房ができるであろう場所に大量に積み上げた。
「これだけあれば開店当初の分はいけるだろう」
よく乾燥させないと木の芯に水分が残って燃えづらい。切って断面を空気に晒し、長く乾燥させた方がいい。
「2年間大人しくしといてくれよ」
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パンロンドに戻った修造は神妙な面持ちで親方の前に立って話しかけた。
「親方!俺、、」
うわ、ついに来たこの時が。
親方は修造の表情を見て悟った。
「修造、俺はお前に感謝しかしてないよ。お別れは寂しいけどお前ならどこででもなんでもやれる。応援してるからな」
「ありがとうございます」
「それとさ、あいつきっとついていくんだろ?」親方は由梨と一緒に楽しそうに分割をしている江川を見た。
つづく
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