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フォーディズム的発展様式で広がったグローバリゼーションが幕を閉じる N126

 結局、ベルリンの壁が崩壊してから今日までのグローバル化とはなんだったのか?ということを突き詰めるとフォーディズムの世界展開でしかなかった。大量生産・大量消費の仕組みを持つ先進国が国際分業という名の下に広げて利益を持続することでしかなかった。  

 Race to the bottom(レースツーザボトム)は前向きに捉えれば発展途上国の生産性をあげてその国民を豊かにすることに貢献してきた。フォーディズム的観点から言えば。彼らも自家用車を所有することができるようになったからいいじゃないかとったことだろうか。  

 そして比較優位の観点で日本はこの失われた20−30年で自動車産業を中心に優位性を構築することができた。機械やスペシャルティ化学なんかも強い。これを日本の成功と呼んでもいいのか、あるいはソフトウェアや航空宇宙などの分野まで攻めきれなかったのは失敗と言うべきなのかは議論が必要だ。

  しかしこのグローバル化も新たなボトム開拓の限界と近年の各国の右傾化を受けて行き詰まりを見せている。成長や生産性の向上の多くをグローバル化をエンジンとしていたために多くの先進国は成長の可能性を見出すことは不可能だろう。  

 そしてベンチャー企業によるイノベーションもやはりグローバル化を前提として資金が付与されるために目新しさがない。言い換えると大量生産・大量消費のモデルに合致しないベンチャーは評価されない。なぜなら市場の伸びしろが限定されるからだ。これは特に消費財ビジネスに顕著に言えることでオリジナリティのあるニッチとして生まれてもやがてマス化してその尖った姿は色あせなければいけない。さらにはニッチがメガとなるような奇想天外なアイデアを持ったベンチャーも現れない。もはやビットコインか宇宙にかけるしかビッグバンは生まれないところまで来ている。  

 この大量生産・大量消費に基づいた「成長」を追い続けるのか?成長をしない前提で別の基軸を打ち出すのか?という分岐点までようやく人類は到着したところと私は見ている。 

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