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格差は相対的だから生まれる、だからAI時代でも仕事の数はなくならない N147

 格差は相対的だから生まれる。 

 全員が同じリンゴを食べるとき格差はなくフラットだ。10人の中である1人だけが高級リンゴを食べる時、6人がリンゴを食べられないか(あるいはとても廉価だが危険な低級リンゴを食べざるを得ない)。高級リンゴは手作りだから6人が作業に従事せねばならないし、高級リンゴを食べる1人は資本家にならない限り6人を賄うことができない。  

 しばしばAIは仕事をなくすというが、仕事はなくなることはない。何故なら格差とともに価値も相対的だからだ。つまり勝者は(人手をかけた)高級リンゴを食べたがるので、人手の仕事は必ず発生するのだ。AIが仕事をなくすという意味では今まで10人の中で中級リンゴを食べていた3人の仕事を奪い、彼らを低級リンゴしか食べれない仕事に追いやることだろう。  

 グローバル化以前は生まれた国によってこの格差があった。先進国と後進国と呼ばれた。先進国の日本に生まれた私はフィリピン産のバナナを安く食べることができた。これは生産設備や技術を持つことができたかどうかである意味勝負が付いていた。  

 そしてベルリンの壁の崩壊以後にグローバル化が進み、貿易と人の移動が進む中で格差は国よりもむしろ職業/職種で格差が決まるようになってきた。特に海外では経営職やグローバル企業で働く人とそれ以外の人で二分された。いわゆるホワイトカラーとブルーカラーの格差が更に広がり、ホワイトカラーの数が限定されたとも言えよう。  

 一方、日本では海外で起きたとは少し異なる形態だが、やはり格差が広がった。ベルリンの壁の崩壊は偶然あるいは必然にも日本のバブル崩壊と同じタイミングで起きている。  

 日本はメンバーシップ型雇用だったので職種で格差は生まれなかった。一つは非正規雇用だったり子会社化をすることで賃金の切り下げを行なった。これは多くの氷河期世代の人たちを崖から突き落とすことになり、世代間の格差を生み出した。  

 とはいえ、日本企業はグローバル企業のような待遇を出す企業はなかった(海外現地法人はその基準の待遇を求められて支払いに躊躇をする企業が多かったが)。海外では資本の集約がグローバルで起きたためにグローバル巨大企業が生まれた。そして業界のトップタレントが集まるために(集めるために)賃金が格段に上がった。部課長クラスで年収2,000−3,000万円、本部長クラスで3,000-5,000万円・・・と聞くと伝統的に日本企業の日本人の多くは驚くが海外ではその報酬は珍しくはなかった。  

 日本では海外の延長線上にあった外資系で働いたごく一握りの人たちがその恩恵を預かり、リスクを取ったITバブル長者が資本のルールから得られる恩恵を勝ち得た。しかしながら幸せになるはずの大企業に入社して本当に幸せとなった日本の大企業社員はどれだけいるか疑問である。格差はもはや大企業と中小企業にはない。やはり日本はどこか平等な土壌があると思う。  

 2020年以後の格差は当面の間(今後5−10年の間)、格差はまだ広がるないしは急激に縮小する見通しは断ち難いと言える。鎖国をしない限り日本だけで解決できる問題ではないので30年後の不幸の火を潰す活動を陰ながらすべきだろう。 

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