見出し画像

上級国民との戦い 〜 東池袋自動車暴走死傷事故 N142

 上級国民の事件として世間の注目を浴びた東池袋自動車暴走死傷事故の元院長、飯塚幸三被告(89)の初公判が先日行われた。残念ながら「車に異常が生じた」として自身の無罪を主張したとのことだ。


 この忌まわしい事件に関して被害者の松永拓也さんの心情を思えばとても許せない事件であり今後の展開にも個人的に応援をしたいと思っている。この個人的な理由としてはほぼ同じ歳の子どもがいたからということ。そして現場は私もとてもよく知っている場所で起きたからということ(自分の子どもと何度となく渡ったことのある思い出深い横断歩道ゆえにショックが隠せない)。  

 事故の起きた現場は見晴らしが良く4車線ある幅の広い道路だ。たとえ暴走をしたとしても暴走した車がはっきりと確認できるほど見渡すことができる。したがって事件を知った時、私は「どうして?」とうたがった。少なくとも車の存在に気がつくはずではと思ったのだ。だからどのように事故が起きたのかが不可思議だった。  

 その後、YouTubeで監視カメラの映像を発見した。その映像を見ると高速で車は現れて事故は一瞬で起きた。そして納得をした。法定で50km/hと決められた道路を100km/hを超えた速度で走っているゆえ、被害者の方は車を認識する間もなかったようだ。かつ、これは私の勝手な想像だが、事故をもたらしたプリウスはハイブリッド車でエンジン車と違って音がない無音車だ。エンジン車であれば100km/hも出しているのであればその異常さに遠くからでも気がつくことができたかもしれないが、無音車ゆえにその可能性も消された可能性がある。  

 この事件で注目すべきはもはや「もみ消し」ができないということだと思う。事件の進展の遅さ(特に逮捕されないこと)に対して上級国民の特別扱いが騒がれたが(それはどうも偶然が重なっただけのようだとメディアでは言われているものの)、このようなローカル事件でもメディアは取り扱うようになったということだ。昔であればもみ消して、それこそ事件自体がなかったことになってしまっていたことが頻繁に起きていただろう。  

 インターネットのおかげでこのような事件が人目に触れることでもみ消すことができなくなったのは社会の大きな進歩である。伊藤詩織さんの事件も同じかもしれない。今まではメディアや公安に力を持つ人が絶大な力を持っていたが、ソーシャルの力でもみ消すことができない仕組みに(多くの人目に触れたものをメディアも取り扱わないことによって自分たちが信頼を失う)なってきたのは良いことだ。  

 この事件は忘れてはいけない事件だ。忘れることによってもみ消すことが可能になってしまう。ソーシャルで騒ぎ続ける限り、上級国民の不正を監視することができるからだ。これからも松永拓也さんを応援したい。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?