[中東] 8の国際問題解説まとめ
この記事では下記のことをまとめています。
1. イラクでの紛争とテロが続く理由
2. イスラエルとパレスチナのあいだで何が起きているの?
3. ヨルダンでなにが?
4. バーレーンでおきていることとは?
5. カタールが次期中東のリーダーになる!?
6. エジプトでなにが起きているの?
7. レバノンでなにが起きているの?
8. シリアで何が起きているの?
[イラクでの紛争とテロが続く理由]
イラクという国の始まり
第一次世界大戦後、それまで中東の大部分を統治していた Ottoman(オスマン)帝国が崩壊し、イギリスが今のイラク周辺を支配し始めます。
しかし、そのイギリス支配を地元の軍隊が乗っ取って、イラクという国が建国されます。
新しくできたイラク政府は、
Sunni(イスラム教スンニ派)、
Shia(イスラム教シーア派)、
Kurds(クルド民族) という三つのグループが牽引することになります。
イスラム教徒全体の多数が Sunni(イスラム教スンニ派) で、
Shia(イスラム教シーア派) は少数派になります。
ちなみに、Sunni(イスラム教スンニ派) と Shia(イスラム教シーア派) はどちらもイスラム教を信じているのですが、昔に後継者をめぐって分裂しました。
一方、Kurds(クルド民族)は民族グループで、 "国家をもたない最大の民族" と呼ばれていたりします。
隣国のイラン革命の影響がイラクへ
イラクでは1979年に、Saddam Hussein (サダムフセイン)という人が独裁政治を始めるのですが、
その年に、イラン革命が隣国イランで起こります。
このイラン革命が Saddam Hussein (サダムフセイン)にとっては脅威でした。
イラン革命は、
少数派であるイスラム教シーア派の人たちが立ち上がって権力を手にした事例だったので、
多数派イスラム教スンニ派の人がこれまで権力をにぎってきた中東諸国にとっては、脅威だったわけです。
イラクとイランは他の中東諸国と違って、
イスラム教シーア派の人が多い国なのですが、
イラクリーダーの Saddam Hussein(サダムフセイン) は、イスラム教スンニ派派閥の政党から支援されていたのです。
つまり、彼にとってもイラン革命は脅威だったわけです。
そこで、1980年に Saddam Hussein (サダムフセイン)はイランに軍事侵略し、1989年までイランとイラクの間で戦争が続きます。
海外への侵攻
イランへの軍事侵略に加え、Saddam Hussein (サダムフセイン)は1990年に、
石油ビジネスを拡大するために隣国のKwait(クウェート) にも軍事侵略します。
国際連合を含め海外諸国は、
Saddam Hussein (サダムフセイン)の横暴に軍事や経済的な制裁を加えるわけですが、
とくにアメリカは厳しい軍事行動にでて戦争になります。
これを、the Gulf Warといいます。
Saddam Hussein (サダムフセイン)の独裁政権は、2003年にアメリカがイラクへ軍事侵略することによって終わりをむかえました。
今イラクでは何がおきているの?
その後、イラクでは国内の多数派である Shia(イスラム教シーア派) の人々を中心に新しい政府が誕生し、イラクは "イスラム教に基づいた民主国家" として、新しいルールと政治体制をはじめます。
しかし、長い間続いていた独裁政権や紛争からすぐに回復するのは難しかったのです。
民主政治や法治システムに対する国民の信頼を得ることができなかったり、若者を中心に失業率が高まったりしたことで、国民の不満が募って抗議活動や過激派による軍事行動が続々と起きていきます。
とくに Saddam Hussein (サダムフセイン)が独裁していたころの政治の中心であった Sunni(イスラム教スンニ派) の人々のなかには、この政治に対する不満を Shia(イスラム教シーア派) の人にぶつける人たちも出てくるのです。
こうして、Sunni(イスラム教スンニ派) の中でも過激な人たちが ISIS(イスラム国) という軍事組織をつくり、
Shia(イスラム教シーア派) の人たちは ISIS(イスラム国) から身を守るために the Popular Mobilisation Forces (PMF) といった軍事組織をつくって対抗するわけです。
ちなみに the Popular Mobilisation Forces (PMF) は2018年に、正式なイラク政府軍として活動をはじめています。
こうした背景から、国の安定をもとめた紛争がいまもなお続いているのです。
テロはなぜ広がるの?
デロが続く理由を考えるポイントは "不安定な政治体制” と "勢力争い" です。
表面上だけみると "宗教的な理由” とか "教育の欠如" といった結論に先走りがちですが、それは本質的な部分ではないんですね。
とくに過激派軍事組織の多くは、そこまで貧しい環境で育ったわけでもない人たちが率いている場合が多いです。
彼らが貧困に苦しむ人たちを兵士として勧誘することは大いにありますが、組織を引っぱっている人たちの多くは、教育をうけた上で政治的な安定を求めて戦っていることが多いんですね。
たとえば Saddam Hussein (サダムフセイン)の独裁が終わったあとのイラク国内では、新しいイラク政府が国を上手くまとまられず、国民の安全を確保する仕組みが整っていなかったんです。
イラクをはじめとする多くの中東諸国では安定した政治体制が整っておらず、石油の輸出に頼っているがゆえに経済的な仕組みも不安定なままです。
石油の輸出でお金持ちであるということは、雇用の安定など経済的な発展によって手に入れた経済的な豊かさとは別物なんですね。
こういった不安定な状況の中、 ISIS (イスラム国) が現れ、目的として "西洋の影響力を取り除き、イスラム教徒の尊厳が重んじられるような国を作る" ことを掲げています。
ちなみにここでの "イスラム教徒" は ISIS(イスラム国) を構成している Sunni(イスラム教徒スンニ派) の人たちを意味していて、Shia(イスラム教徒シーア派)の人たちは含まれていません。
ここで問題なのは、政府組織が不安定な状況において、こういった明確な目標をもった軍事組織は ”変革” を意味していたりすることです。
たとえば ISIS(イスラム国) は社会的弱者を中心に勧誘を行っていて、そういった人たちに食べ物や安全を提供することによって勢力を拡大してきました。
ISIS(イスラム国) は経済面でも、組織の支配がおよぶ範囲においては税制度を設けていたり、犯罪行為、石油の輸出や外国との貿易などで資金を調達する仕組みを持っています。
“組織のリーダーの下で、ルールにそって、居場所や身の安全を提供する”。これって、本来なら政府の役割なのですが、それが国家体制として機能していない状況下で、"過激な行動は許せないけれども、政府よりは信頼できる仕組みを持っている” と人々に思わせるのが、ISIS (イスラム国)のような過激派軍事組織なんですね。
勢力争い
そしてさらにこの対立を悪化させるのが、中東地域内での対立構造です。
サウジアラビアとイランは中東におけるツートップで、”アメリカとソ連” のように基本的に相手の影響力をさげるような戦略の下、中東での紛争に参加しています。
Sunni(イスラム教徒スンニ派)の人たちが多いサウジアラビアは、ISIS(イスラム国)を支援し、
Shia(イスラム教徒シーア派)の人たちが多いイランは、ISIS(イスラム国)の対抗勢力を支援するわけです。
イラクがイランに軍事侵略した際には、
サウジアラビアがイラクをサポートしています。
イラクのもうひとつの勢力である Kurds(クルド人) も、イラク国内での勢力争いの渦中にいるのですが、
隣国のトルコは、
Kurds(クルド人)が "独立国家になる" 夢を叶えてしまうと、トルコの影響力が脅かさるため、
Kurds(クルド人)を敵としている他の軍事組織をサポートするのです。
こういった海外諸国の影響をうけて、”テロ組織” と呼ばれる過激軍事グループは勢力を拡大しているわけです。
参考
Al Jazeera English, BBC News, Council on Foreign Relations, Vox, TRT World, Feature History
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[イスラエルとパレスチナの間で何が起きているの?]
紛争の概要
Israel(イスラエル)と Palestine(パレスチナ)の紛争は言い換えると、
Jews (ユダヤ教徒/ユダヤ人) と Arabs (イスラム教徒/アラブ人)、もしくは
“自分達の国を作りたい”人たち と “自分達の国を守りたい”人たち、
の紛争なんです。
紛争の起源
現在イスラエルとパレスチナが争っている地域は、もともと Palestine(パレスチナ)という地域名で、the Ottoman empire (オスマン帝国) が統治していました。
しかし、オスマン帝国による統治が第一次世界大戦のあとに終わり、イギリスによる統治が始まります。
この地域には主にアラブ系の人たちが住んでいて、ユダヤ系の人たちは少数派です。
ただ、第二次世界大戦でユダヤ人虐殺がおきてからは、多くのユダヤ人がこの地域に逃げてきたんです。
ユダヤ人が受けてきた迫害の歴史や "ユダヤ人の国" が存在しない現状の中で、
この頃から "この地域がユダヤ人の故郷" という認識が強まっていくんですね。
そんななか、多数派であるアラブの人たちは、
こうしたユダヤ人が多く移住してくる状況に危機感をおぼえます。
両者のあいだで亀裂が生まれてくるわけです。
第二次世界大戦後につくられた国際連合は、
イギリスにこの状況を解決するよう依頼します。
国際連合の初大仕事
1947年に国際連合は、
"Palestine(パレスチナ)を
アラブ人の地域とユダヤ人の地域に分割しよう"
という案を出します。
ユダヤの人たちからしたら、
"やっと自分達の安全と地域が確保される" となるのでこの案を受け入れるわけですが、
アラブの人たちからしたら、
"自分たちの地域を渡したくない" となるわけでこの案をうけつけないんですね。
紛争に発展
この意見の対立が1948年に戦争に発展し、
ユダヤの人たちが勝ち、この地域の大部分を占拠します。
イギリスが統治をしりぞいた1948年に、Israel(イスラエル)という国として名乗りはじめるのです。
こうして Palestine(パレスチナ)と呼ばれていた地域は、
イスラエル、
the Gaza Strip (エジプトが統治)、
the West Bank (ヨルダンが統治)に分割されます。
しかしアラブの人たちはこれを認めず、
1964年に The Palestine Liberation Organization (PLO) という組織を組んで対抗し始めます。
イスラエルの勢力拡大
1967年には the Six Day War と呼ばれる戦争が起こり、
イスラエルはさらに勢力を拡大させます。
隣国エジプトが統治していた the Sinai peninsula と the Gaza Strip、
隣国ヨルダンが統治していた the West Bank と East Jerusalem、
隣国シリアが統治していた the Golan Heights をすべて占拠するのです。
国際社会の反応
国際社会はこのイスラエルによる勢力拡大を認めなかったのですが、1979年に、
エジプトによる the Sinai peninsula の返還
&
イスラエル軍のエジプトからの撤退
を条件に、
イスラエルをユダヤ人国家として認めるんですね。
しかし、the West Bank や the Gaza Strip に住んでいるアラブ系の人たちは不満をつのらせ、
1987 年に the first intifada という抗議活動をはじめます。
そしてこの頃、我慢の限界にきていたアラブの人たちが Hamas と呼ばれるイスラム過激派組織を結成するんです。
この抗議活動をうけて 1992年に、
イスラエル政府と
アラブ人のThe Palestine Liberation Organization (PLO) は
the Oslo accord という約束を交わし、
イスラエルは the West Bank と the Gaza Strip の両地域における統治をあきらめます。
軍事組織の台頭
しかしここで、
The Palestine Liberation Organization(PLO) ではなく、Hamas が、the Gaza Strip の統治をはじめるわけです。
the West Bank においては、
宗教の聖地である Jerusalem があり、ここはどの国にも属さない国際社会の地域となっています。
イスラエル元首相が訪問をしたことをうけて、危機感をおぼえたアラブの人たちは2000年に、the second intifada という抗議活動をはじめ、これが暴力的な戦いになり、5年間も続くんですね。
2024年の現状
“ハマスによってイスラエルの安全が脅かされている”と考えるイスラエルのネタニヤフ首相が望むことは、ハマスの壊滅。
そのため、ハマスが提案している休戦案にも拒否する姿勢を示しています。
これまで、
”イスラエル国内でリーダー交代の選挙を行うべきだ” という提案や、”パレスチナとイスラエルの2国で地域を分割”の案も出ていますが、依然紛争が続いています。
ちなみに中東で強い勢力をもつサウジアラビアは、パレスチナを独立国家として認めているため、
パレスチナの独立を認めたくないイスラエルとの関係正常化が難航しています。
他に中国、ロシア、トルコなど、パレスチナを独立国家として認めている国は140ヵ国近くあります。
3月後半、イスラエルは “一時的にアラブ勢力がガザ地区を管理してもよい”と提案しますが、アラブ勢力はこれを拒否。
ハマスは一貫して、
1. 永続的な休戦
2. パレスチナの人たちの帰還
3. 紛争地における復興支援
を要求していたからです。
ただ、エジプト、カタール、アメリカが仲介に入っていることもあり、徐々に永続的な休戦が優先事項とされてきていて、両者が互いに人質を解放していく動きがでています。
ガザ地区とエジプトの間にあるRafahという都市には、これまでイスラエルの爆撃から逃れてきたパレスチナの人たちが多くいます。
人質解放の交渉がうまくいかなかった場合、イスラエルはRafahに侵略すると言っているのはこのためなんですね。
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[ヨルダンでなにが?]
ヨルダンと外国の関係
Jordan(ヨルダン) はイギリスから独立した後、第二次世界大戦のあとに国連から独立国家として認められました。
1948年にイスラエルという国が誕生した際、多くの難民が Jordan(ヨルダン) 国内に逃げ込んできました。
しかし、1994年にイスラエルと Jordan(ヨルダン) の緊張関係は平和条約をもって解消され、両国は水路の建設プロジェクトを共同で行っていくことを決めます。
ヨルダン国内の問題
Jordan(ヨルダン) は王国であり、国王と首相が国政を担っています。ただ、1990年代まで政党の設立が禁じられていたこともあり、”国王に忠誠的な政治家”が選挙で勝つ傾向にありました。
Jordan(ヨルダン) では首相がいるものの国王が圧倒的な権力をもっているため、平等な国政の運営を望む the Islamist Action Front などの反政府政党と国王の間で対立があります。
ヨルダン国王 Abdullah II は彼に忠誠を示す人々を優遇し、国民を代表するはずの議会にも大きく介入してきました。たとえば2011年にアラブの春が起きた際には、国民の政治への不満を解消するために首相を次々に交代することで対応してきたんです。
Jordan(ヨルダン) は中東のなかでも比較的安定した国ではあるのですが、この Jordan(ヨルダン) 国内の権力問題に加えて、イスラム国やアルカイダなどの過激派組織による攻撃も度々起こっているんです。
参考: Al Jazeera English, BBC News
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[イエメンで何がおきているの?]
2020年12月14日に Saudi Arabia(サウジアラビア) 所有の石油タンクが爆発しました。こういった石油関連の爆発が度々続いているんですが、Saudi Arabia(サウジアラビア) 側は ”Yemen(イエメン) の the Houthis による攻撃だ” と主張しています。
これはどういうことでしょうか?
アラブの春
2011年に中東でアラブの春という大規模プロテストがおきました。Tunisia(チュニジア) から始まって、各国が続くかたちで自国の民主化を望む抗議活動を行っていったわけです。
Yemen(イエメン)でも大規模なプロテストがおこり、長い間 Yemen(イエメン) の大統領をしていた Ali Abdullah Saleh という人から権力をはく奪することに成功しました。
the Houthis という反政府グループもこのプロテストで積極的に活動していたんですね。
アラブの春の後で失敗
プロテストが終わって、新しい大統領に Abdrabbuh Masour Hadi という人が選ばれたのですが、この新大統領が国の安定を取り戻すのに失敗しちゃうんです。
失業率が上がって食べ物は不足し、Al-Qaeda(アルカイダ) という軍事組織による攻撃にも上手く対応することができなかったんです。
そんなこともあって、the Houthis はプロテストを続けるわけですが、それにとどまらず軍事行動を通して Yemen(イエメン) の首都を占領し、国の政治に対する不満を主張するんです。
ちなみに、the Houthis は自分たちの軍事力を高めるために、元大統領のAli Abdullah Salehと手を組んでいます。アラブの春のプロテストで失脚させた人物を、今度は利用したわけです。
外国の影響
2014年に the Houthis が Yemen(イエメン) の首都を占領したことをうけて、
2015年には隣国のサウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)、アメリカが、
Yemen(イエメン)政府の力を取り戻すためにサポートをはじめます。
ちなみに、アメリカやサウジアラビアのライバルであるイランは、この時 the Houthis をサポートしています。
この ”サウジアラビア率いる Yemen(イエメン)政府サポート” に反撃して、
the Houthis がサウジアラビアの石油タンク等を攻撃しているわけですね。
石油関連の紛争は、中東だけでなく多くの国の経済にも影響をおよぼす問題なので、世界が注目しているのです。
参考: Al Jazeera, BBC News, Vox, TRT World, Sky News
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[バーレーンでおきていることとは?]
アラブの春がおこった Bahrain(バーレーン)についてです。
独立後
1971年にイギリスから独立した Bahrain(バーレーン)ですが、国内における Sunni(イスラム教スンニ派)とShia(イスラム教シーア派)の分断が止まりません。
Sunni(イスラム教スンニ派)はイスラム教徒全体における多数派なため、少数派に比べて強い勢力をもっています。
その中でも、Bahrain(バーレーン) はイランやイラクのように Shia(イスラム教シーア派)が多い国なのですが、
国内の政治における権力は Sunni(イスラム教スンニ派)の王族が持っていて、Shia(イスラム教シーア派)に不利な仕組みや格差があるんですね。
アラブの春
2011年におこったアラブの春の影響はBahrain(バーレーン) にもおよんでいて、Shia(イスラム教シーア派)を中心とする反政府勢力が抗議活動を起こしたわけですが、
Sunni(イスラム教スンニ派)の王族政府はサウジアラビアからの軍事援助を得たり、いくつかのShia(イスラム教シーア派)の政党を禁止したりするなどして対抗しました。
盲点
国内には Sunni(イスラム教スンニ派)や Shia(イスラム教シーア派)の分裂のあいだに位置する人たちももちろんいるわけですが、宗教的でない中立的な立ち位置はあまり注目されないのが現実です。
国際連合や国際社会は Sunni(イスラム教スンニ派)の王族政府による不公平な政策を指摘しているのですが、Bahrain(バーレーン)国内における分断は今も強く残っているんです。
参考:Al Jazeera, BBC News, NPR, Foreign Policy
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[カタールが次期中東のリーダーになる!?]
中東で起きている紛争を見るときの注目ポイント
中東で起きている紛争を見るときの注目ポイントは、
Saudi Arabia(サウジアラビア) と Iran(イラン) のライバル対立なのですが、
今 Qatar(カタール) という国がそこに台頭してきているんです。
独立後
Qatar(カタール) は1971年にイギリスから独立し、石油と天然ガスが豊富にとれる国です。
今現在も天然資源を輸出して、食料などを輸入するといった経済体制をとっています。
1981年に the Gulf Cooperation Council (GCC) という連合組織が組まれ、
United Arab Emirates(アラブ首長国連邦)
Bahrain(バーレーン)
Kuwait(クエート)
Oman(オマーン)
Qatar(カタール)
Saudi Arabia(サウジアラビア)
の6か国で政治や経済における協力を約束します。
ちなみに、この結束には "1979年におきたイラン革命の反動がアラブ諸国に及ばないようにしよう" といった狙いもあります。
新しい首相と新しい方針
しかし、1995年に新しく就任した Qatar(カタール) 首相は、中東でサウジアラビアが強い勢力を保持していることをあまりよく思わなかったんです。
そのため、その Qatar(カタール) 首相はサウジアラビア) のライバルであるイランとの協力を強め、
さらに国営の Al Jazeera というメディアをつくるんです。
この Al Jazeera というメディアは、中東政治に関する際どい内容なども報道していくスタンスをとっていて、これは中東のリーダーをしてきたサウジアラビアにとっては都合が悪かったんです。
そんな中でも、2001年にアメリカで同時多発テロが起きた時には、the Gulf Cooperation Council (GCC) がテロ組織と戦っていくよう団結したりしていました。
2008年にはイラン、ロシア、Qatar(カタール) など天然ガスが多く取れる国同士での話し合いをおこなっていたりして、
Qatar(カタール) は中東の二つの強大勢力(イランとサウジアラビア)と双方同時に関係を保っていくわけです。
しかし、2010年にアラブの春が始まると、Al Jazeera というメディアは積極的に報道を行い、この時に反政府として立ち上がっていた the Muslim Brotherhood という組織をサポートするような報道をしていたんです。
The Gulf Cooperation Council (GCC) のメンバーからしたら、”中東での混乱を後押ししている” という印象になりました。
外国の反発
この Qatar(カタール) に対する不信感が中東諸国のあいだで続くなか、
イランをライバル視しているアメリカがサウジアラビアの側につき、
”イランとの強いつながりとテロを促している” ことを名目に、2017年に Qatar(カタール) の陸海空をブロックしたんです。
しかし、イランの支援や Qatar(カタール) の天然資源の需要などもあって、この政策は Qatar (カタール) の力を弱めるには至らなかったんですね。
こうした緊張の中、2019年に Qatar(カタール) は、
the Organisation of Petroleum Exporting Countries (OPEC) と呼ばれるサウジアラビアが権力をにぎっている石油機構から離脱しています。
こうして今現在も Qatar(カタール) が中東の新たな勢力として台頭してきているわけです。
参考: Al Jazeera, BBC news, CSIS, Council on Foreign Relations
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[エジプトでなにが起きているの?]
イギリスの影響力
エジプトは隣国 Libya(リビヤ) での紛争にくわえ、内戦、ナイル川をめぐる争いなど今も色々な紛争をかかえています。
1922年にイギリスからの独立をはたしたエジプトですが、
エジプトのナイル川における権利をイギリスが承認していたり、イギリスがスーダンをエジプトと共同で支配したりと、イギリスの影響力が強く残っていたんです。
こういった状況の中で、反西洋の考えをもち、イスラム教徒やアラブ民族であるエジプト人としての尊厳を取り戻すことを目指す the Muslim Brotherhood という政党が台頭してきます。
イギリスの影響力が終わった後
そんな中、イギリスがエジプトから撤退すると、1956年に当時の大統領 Gamal Abdel Nasser が、ダム建設のためにスエズ運河を国有化します。
スエズ運河は中東と海外諸国をつなぐ大事な貿易航路であるため、このエジプトの決断をうけて、
イスラエル•フランス•イギリスがエジプトに軍事侵略をして対抗するのですが、
アメリカの支援もあってエジプトが大国を打ちまかします。
しかし、このあとも1967年に the Six Day War とよばれる戦争で、イスラエルが Sinai半島を占拠するなど、イスラエルとエジプトの争いは続いていきます。
1971年にエジプトは、The Aswan High Dam というダムの建設を完成させます。ちなみに、このダム建設はソ連がサポートしていて、ライバルのアメリカがエジプトにおける影響力を強めないように対抗しているのです。
このダム建設はスーダンとエジプトへの洪水を防止したり、安定した電力や農業生産を保つ上で大事な役割を果たしているんですね。
しかしここで問題だったのは、ナイル川は 11か国にまたがっていて、その中でもエチオピアにとっては大事な水源だったのです。
スーダンやエジプトが他国を無視してナイル川の権力を牛耳っていることに反発したエチオピアは、2011年に独自の新たなダム建設を発表します。
エチオピアがダムを作って水を貯めていけば、
エジプトが得られる水の量が減るわけで、これは農業生産や電力供給に影響してきます。
アラブの春
こうした資源をめぐる争いに加え、2011年にエジプトでもアラブの春という反政府抗議活動が起き、大統領であった Hosni Mubarak という人が政権を降りることになります。
しかしその後、軍部が権力を得ようとしたため、エジプトの首都 Cairo(カイロ)にある Tahrir Square という所で争いになるんですね。
2012年には Muslim Brotherhood の勢力の中から Mohammed Morsi という人が大統領に選ばれるのですが、
2014年には 反Muslim Brotherhood の軍部が政権を奪い返して、Abdel Faitah al-Sini という人が新しい大統領になるんです。
過激派組織
こういった Muslim Brotherhood勢力と軍部の勢力に加え、Ansar Beit al-Maqdis というSinai 半島でイスラエルと戦っていたイスラム過激派の組織が、ISIS(イスラム国)の一部として活動を活発化していきます。
これに対して Abdel Faitah al-Sini 大統領は、
宗教に基づく政党を禁ずる憲法を作ったり、軍事行動を活発化したり、インターネットを制限したり、自身の政権を延長できるよう仕組みを変えたりと色々対抗している、といった状況がいまも続いています。
参考: Al Jazeera, BBC News, NowThis World, DW News, TRT World
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[レバノンでなにが起きているの?]
独立後
1943年にフランスから独立して以来 Lebanon(レバノン)では、安定しない政治体制と自分たちの地位を守るための宗教対立が続いているんです。
宗教
レバノンには様々な宗教を信じている人々がいるのですが、大きく分けると
40%がキリスト教徒で60%がイスラム教徒、
イスラム教徒の中でも60%が Sunni派(スンニ派)で40%が Shia派(シーア派)
と言われています。
宗教の違いによる争いを避けるために、
キリスト教徒、イスラム教徒Sunni派、イスラム教徒Shia派の3勢力がそれぞれ国政におけるリーダーシップを与えられたのですが、
キリスト教徒には国政における座席が多く与えられるなど、キリスト教徒が少しだけ有利になるように設計されていました。
紛争に発展
そしてこの国内の宗教的な勢力争いに加え、
隣国で起きている Israel-Palestine の紛争により、多くのイスラム教徒が難民として逃げ込んでくるんですね。
この状況の中で、1975年に異なる宗教徒のあいだでレバノン内戦がおこり、15年も続いた後1989年に、
イスラム教徒とキリスト教徒で半分ずつ国政の座席を分けることが決められます。
過激派組織
しかし、この内戦のあいだにイスラム教徒Shia派(シーア派)として戦っていた Hezbollah という軍事組織が今も勢力を拡大しているのです。
1979年にイラン革命によってイスラム教徒Shia派(シーア派)の国となったイランのサポートをうけ、
”イランの敵は Hezbollah の敵” といった感じで世界各国で軍事行動を起こしているのです。
こういった状況をふまえて、国際社会は Hezbollah を”テロ組織” として認識しているわけですが、これがレバノン国内の状況を悪化させています。
”テロ組織” への対応を放置している国として、レバノンへの海外からの支援などが得られず、経済の立て直しや安定した国家体制をつくるための資金がたりないのです。
国家の安定をもとめた戦いを、
大国が裏でサポートして、サポートに依存している軍事組織がその大国の利益に基づいて争い、
国際社会や他の大国はそれに対応しなければならないため、
結果的に国家の安定が遠のいているわけです。
参考: Al Jazeera, BBC news, CSIS, Council on Foreign Relations
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[シリアで何が起きているの?]
2020年は Syria(シリア)紛争が10年目をむかえる年で、紛争は今もなお続いています。
紛争の起源
ことの始めは、シリアにも広がった2011年のアラブの春なんですね。
中東諸国の独裁政権を倒し、民主主義を求める抗議活動がアラブの春なのですが、シリアにおいても Bashar Hefez al-Assad という人による独裁政治に国民が反発しました。
なぜこの抗議活動が戦争に発展したかというと、Assad (アサド)政権が武力行使によって国民の抗議を抑えつけたからなんです。
そして、独裁者に好き勝手やらせるわけにはいかない国民も、Free Syrian Army(FSA) という軍事組織をつくって対抗しました。これがシリア内戦の始まりです。
紛争が長期化している原因
なぜこの内戦が長く続いているかというと、外国や他の軍事勢力が介入してきたからなんですね。
Assad(アサド)政権
vs
反政府勢力の Free Syrian Army(FSA)
というこの対立構造に、シリアの同盟国であるイランやロシアなどが支援をはじめ、
そのライバル国であるサウジアラビアやアメリカなどがそれに対抗して紛争に参加します。
Assad 政権+イラン+ロシア + Hezbollah (レバノンの軍事組織)
vs
反政府勢力 Free Syrian Army(FSA) + サウジアラビア + アメリカ + トルコ
となるわけです。
紛争の複雑化
そしてこの混乱状況がさらに複雑になっていきます。
シリアでの混乱を、組織の目標である国家樹立のチャンスととらえた ISIS (イスラム国) が、
2014年からシリアで武力行動を進めて勢力を広めていくんです。
さらに、シリアの北側地域、トルコとの国境付近には、“国家を持たない最大の民族” と呼ばれる Kurds(クルド人)が多く住んでいて、この紛争に参加します。
Kurds(クルド人) はもともと国家としての独立を願っているのですが、トルコがこれを阻止してきた歴史があり、the Kurdistan Workers Party (PKK) という軍事組織がトルコと戦ってきたんですね。
そしてこの PKKのシリア支部が the People’s Protection Units (YPG) と呼ばれていて、ISIS (イスラム国) の勢力と戦いはじめたわけです。
アメリカはこの YPG を the Syrian Democratic forces (SDF) という軍事組織に強化し、ISIS (イスラム国) の勢力を抑え込みます。
ちなみに、これは Kurds(クルド人) と戦っているトルコにとっては都合が悪いわけです。
Assad 政権+イラン+ロシア+Hezbollah (レバノンの軍事組織)
vs
反政府勢力 Free Syrian Army(FSA) + サウジアラビア+アメリカ+トルコ
vs
ISIS (イスラム国)
vs
Kurds(クルド人)
という対立構造が、各国の利益次第で敵味方の構造が変わっていき、紛争が複雑になっていくんですね。
参考: Al Jazeera, BBC News, Vox, TRT News, The Guardian
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