阪神淡路大震災から27年。1.17を忘れない。
1995年阪神淡路大震災から27年目の「1月17日」を迎えました。昨日、1/16(日)深夜、NHK神戸では以下のNHKスペシャルの再放送がありました。東京では放送はなかったようです。私はこの番組を2016年の放送当時、見ていなかったようで、改めてその内容に戦慄しました。このNHKスペシャルの内容をまとめました。また、震災に関連のある過去の記事、写真をまとめています。
選「震度7 何が生死を分けたのか 〜埋もれたデータ 21年目の真実」
「死の原因、家屋の倒壊状況、火災の広がり方、救助の動き…」これらのデータを分析すると、もっと助かる命はあった、というのです。しかし、震災からの教訓はいまだ生かされていません。実は多くの犠牲者は震災が起こった後もしばらくは生存していたのです。犠牲者の死亡時間から見えた防災、震災後の対応の問題点は以下の3つです。
まず、多くの人の死亡原因が建物の倒壊により、倒れてきた家具や建材が胸や腹に覆いかぶさり、そのため呼吸が困難になり、死に至る「圧迫死」だったということです。震災直後、1時間くらいは生存していたということをデータは示しています。もし、建物が耐震構造で家具が固定されていたら、これらの被害は防げたというのです。
二つ目の問題点は「通電火災」です。震災直後、神戸の街は停電状態でした。しかし、震災から数時間後に電力が復旧した時に火災が発生したそうです。もし、震災と同時にブレーカーが自動的に落ちる仕組みがあれば、この火災は防げたといいます。この器具(感震ブレーカー)は3千円程度で購入できるそうですが、この放送の時点(2016年)で普及率はわずか6%でした。
感震ブレーカー
そして、最後の問題点が救助のための交通網の確保です。阪神淡路大震災発生後、神戸には近隣の自治体から多くの救援隊が駆け付けました。しかし、高速道路が倒壊し、被害の大きい激震地へのルートは国道2号線だけでした。肝心要のその国道は大渋滞で、お昼過ぎに三重県から駆け付けた消防隊が到着したのは夜遅くでした。午後の段階では、まだ生存者がいたものの、午後8時半にはそのうちの多くが亡くなっていました。渋滞の原因は地震で出来た道路の小規模の段差と家族や知人の安否を気遣って被災地へ向かう一般車両の存在でした。驚くことには、東日本大震災発生直後にも同じ理由で一般車両が道路を利用する渋滞が発生しています。
以下のサイトでこのNHKスペシャルの放送内容がまとめられていますが、これだけの災害の教訓が、いまだにわが国で生かされていないことに危機感を覚えました。
震度7 何が生死を分けたのか〜埋もれたデータ21年目の真実(放送内容のまとめ)
阪神淡路大震災から27年目の1月17日、上記の続編になるNHKスペシャルが報道されました。
「見過ごされた耐震 〜阪神・淡路大震災 建物からどう命を守るか〜」
番組の中で専門家は「阪神淡路大震災は早朝起こったから、それでもあの地震にしては、まだ犠牲者が少なかった。昼間に発生し、ビルを直撃していたら、もっと被害が拡大していただろう」と発言しています。私たちにできることは何でしょうか?改めて考えてみたいと思います。
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2018年1月にに阪神淡路大震災と東日本大震災に関して英語でのワークショップを開催しています。
リスク管理と阪神淡路大震災の教訓|Global Agenda
また、知人が関わった東日本大震災の海外での巡回展の内容も以下の記事で紹介していますので、よろしければご覧ください。
3.、11−東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか (海外巡回展)
阪神淡路大震災モニュメントの写真
そして、最後になりますが、以下、私が撮影した阪神淡路大震災に関するモニュメントの写真を集めています。「みんなのフォトギャラリー」から震災に関する記事を発信するときにご利用ください。
記事トップの画像は「芦屋公園」内の阪神淡路大震災のモニュメントです。
神戸東遊園地
マリーナ像
阪神淡路大震災慰霊と復興のモニュメント
1.17希望の灯り
皇后陛下御歌碑@東遊園地
平成十八年歌会始御製御歌及び詠進歌
https://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/pdf/utakai-h18.pdf
皇后陛下御歌
神戸港震災メモリアルパーク
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