14)連載時と単行本のロシア語台詞の差異を読む【金カムロシア語】
今回は日露の台詞の差違ではなく、本誌と単行本のロシア語台詞同士の差異を読むよ。177話から長谷川さん夫妻の関係性。
過去編のロシア語台詞は単行本で修正が随分入った(そしてこの後、連載時にはロシア語台詞がつかず、単行本でつくようになった)。
筆者は完成品で示されたことのみでこねくり回したいタイプなので、修正前のことに着目するのは邪道なのだけど、それでもこの修正部分は興味深いので、あえて拾ってみたいと思う。
さぁ!ゴールデンカムイのロシア語台詞を楽しむシリーズだよ。
単行本読了済みであることを前提に執筆しています。
作者と監修がつけた日本語とロシア語の台詞の差異から物語を掘り下げていきます。
ロシア語には縁が無いよって方にも楽しんでいただけるよう書いています。
【読了まで 6分】
連載時に「コレ間違いだろうな」と思っていた部分で、その通り単行本で修正された箇所と、そのままだった箇所があった。「そのままだった」のは第7回で解説した…
ここが作者/監修の間違いでないなら、すなわちこれが長谷川さんの語学力の限界なのだ。
ロシア語解説:おかえりなさい
修正された箇所その一
ここ、別に文法の間違いがあったわけじゃない。
ロシア語には「ただいま⇔おかえり」に相当する挨拶がないので、そのとき言いそうな短い会話で代用することになる。だから別に「お帰りなさい」の露訳を「ごはんにするね」と意訳しちゃって構わないんだけど、ただこの後の流れは…
…なので、フィーナさんはお客様(顧客/依頼人) をお待たせしたまま夕食にしようとしている可笑しな状況になっていた。
❗ポイント
ロシア語には日本語の「ただいま⇔おかえり」に相当する挨拶がなく、苦労している
(※ちなみに「座っていれば直ぐ夕食が出てくる」のはどういう状況なのかというとペチカ(暖房とオーブンを兼ねたロシアの大型暖炉)の中で保温されている。
例えば、ロシアの国民食「シチー(щи [シィー])」というスープ。土鍋/壺(горшок [ガルショーク])の中にザワークラウトや他の有り物食材と水を入れ、ペチカに仕込んでおけば夕食の頃には煮えているというスロークッカー調理法。
だから帰宅時間が多少前後しても煮崩れて食べ頃を逃す心配もなく、皿によそうだけで直ぐ温かいスープが食べられる。168話10頁中段のコマがペチカで調理中のガルショーク)
ロシア語解説:興味がない
修正された箇所その二
ぶっちゃけてしまった…ここは明らかな人称間違い。
但し、この修正前台詞の中身を知らずとも、興味の有無に言及するフィーナさん自身に夫の母国「日本」への興味はあったのか、そしてスパイである夫がどんな気持ちでこの言葉を聞いたのか…とても引っ掛かるところ。
❗ポイント
フィーナさんは夫の母国「日本」をどう思っている?
考察:二人の関係性
翻訳できない文化がある場合、そのまま覚えてもらうしかない。
長谷川さんが日本人なのは秘密でもなんでもなかった。
乞われれば日本語講師も引き受けた。
だったら複雑に考えず素直に「タダイマ」「オカエリ」にしときゃ良かったじゃないか。その程度のことフィーナさんに覚えてもらっても特に問題にはならないだろう。
けれども作者と監修はそうしなかった。
長谷川さんは作者と監修が試行錯誤した結果、うっかりお話が繋がらなくなってしまうまで徹底して日本の文化はおくびにも出さず、ロシアに完璧に馴染もうと努力した。
そしてフィーナさんには、監修がうっかりバラしてしまった通り、日本への興味はなかった。
それが二人の関係性であるならば、フィーナさんの心情について…
「フィーナさんは、長谷川さんのロシアに馴染もうと努力する姿に惹かれた。自分の愛する故郷とその文化に異国の人が興味を持ってくれたことが嬉しかった」
…くらいはすぐに思い至る。
しかし、なぜ彼女は「興味」について一家言あるのにもかかわらず、自身は夫の母国に一切興味を示さないのか(逆に言えば「自分のことは棚に上げて、他人の興味の有無(心の内) には踏み込む」…少なくとも長谷川さんにはそう見え、即ちこれは当てこすりであり、正体に気付かれたのだ、と思い込むこととなった。興味ないの図星だったんだよね、長谷川さん)。
彼女は夫のへんてこなロシア語を笑わず見守る優しさを見せる。「母語話者じゃないからおぼつかないだけだ。そこに悪意はない」と。
だが彼女の優しさは「受け入れる」ばかりで「踏み込む」ことがない。受け入れることが最大の歩み寄りかの如く…ならばさらに掘り下げてフィーナさんの心情を…
「自分の心の中にある異邦人への偏見や恐怖に対峙し、自分がどう在りたいか考えたから」
…とみることが出来るだろう。
つまり元々彼女(や周囲のロシア人たち)は潜在敵国「日本」を恐れていた。日本人たちを不気味に思い、脅威に感じていた。
そしてこういう場合、大抵は「何となく怖い」で止まってしまい、相手を知ろうとせず「排斥」に動くことになる。
でもフィーナさんはそこで止まらず、自身の恐怖に向き合ってみたわけだ(そして多分それはキリスト教的な「善」の実践だった)。
必死にロシア語を学び、ロシアに馴染もうとしている人を善意と信じて受け入れることができないなら、いつまでもこの世は敵と味方に分かれたままだ。自分の愛する故郷に興味を持ってくれる人は、それだけでもう友人じゃないか。異邦人だからという理由で疑い、拒むのは偏見ではないか。己の弱さではないか──という風に。
この作品の登場人物は、みな自分のために動く。「誰かのため」と口では言っていても、結局それは自分自身のためだ。
彼女も「長谷川さんのため」や「長谷川さんの気を引きたいから」ではなく、純粋に自分がどう在りたいか考えて「なりたい自分」を掴み取った。
受け入れられない自分を乗り越えて受け入れたことが重要で、自身が日本へ受け入れてもらうわけではないのだ。
結果として、彼女の視点では「善意と信じ受け入れて良かった」………ことになったはずだった。
そして日本側には、そんな彼女の表層が「お人好し」「警戒心の無い」「オツムの弱い」良いカモに映ったのかもしれない。
弱くなったというより、無知蒙昧だと侮っていた妻が、本当は聡明で強い人間であったために相対的に自分が弱くなったように感じたのだろう。
自身の娘を矢面に立たせることに躊躇のなかったウイルクは、そういう意味では「弱く」なっていない。今まで実感できなかった「未来」を理解しただけなのだ。
ロシア語台詞は単行本を基本とします
明らかな誤植は直しています
ロシア語講座ではありません
文法/用法の解説は台詞の説明に必要な範囲に留め、簡素にしています
ポイントとなる言葉にはカナ読みを振りましたが、実際の発音を表しきれるものではありません。また冗長になるため全てには振りません
現実世界の資料でロシア側のものはロシア語で書かれたものにあたっています。そのため日本側の見解と齟齬がある可能性があります
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