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【BOOK】『罪の声』塩田武士:著 過去を振り返るだけではない未来へつながる希望の物語

自前のブログに掲載した読書感想文をnoteにも展開する実験です。

【BOOK】『罪の声』塩田武士:著 過去を振り返るだけではない未来へつながる希望の物語 – Crazy One – glad design blog –
Photo by James Kovin on Unsplash

実際にあった「グリコ・森永事件」をモチーフとした傑作長編小説。
もちろん本作はフィクションだが、犯行声明や事件発生日時など、可能な限り史実に基づいて描かれている。
これはフィクションの皮を被った、限りなくノンフィクションに近い犯罪の記録と、過去を振り返るだけではない未来へつながる希望の物語だ。

グリコ・森永事件が、単なる製菓企業への恐喝による現金奪取が目的ではなく、毒入り菓子をばら撒くことで上場企業である大手製菓メーカーの株価操作が目的だとしたとしたら、という説を軸としている。
主人公は二人。
京都でテーラーを営む曽根俊也。
大阪で大日新聞の文化部記者の阿久津英士。
あるとき、曽根俊也は黒革の手帖とカセットテープを見つける。
手帳にはなにやら英文がびっしりと書かれており、カセットテープには自身の幼い頃の歌声とともに奇妙なメッセージが録音されていた。
手帳にある「GINGA」「MANDO」の文字と録音された子どもの声から、30年以上前に起きた未解決事件「ギンガ・萬堂事件」であることに気づく。
製菓企業への脅迫に使われた子どもの声は自分だったのだ。

大日新聞は平成から令和へ元号が切り替わる年末の特集記事において、昭和最大の未解決事件であり劇場型犯罪である「ギンガ・萬堂事件」を取り上げることとなった。
阿久津は僅かな情報を元にイギリスへ出張取材を行いながら自問する。
30年も前の事件でもあり、犯人グループは1円も手にしていない、事件では誰も死者が出ていない事件を、いまさら掘り返すことに何の意味があるのか、と。

2020年に映画化もされている。

Amazon Prime Videoで観ることが出来る。

史上最大の劇場型犯罪

Photo by Stefano Pollio on Unsplash

この事件には、どういった目的・動機があったのだろうか?
 (1)株価操作で儲けようとした(株価操作説、仕手筋、経済ヤクザ)
 (2)製菓企業への怨恨(被差別部落説、元グリコ関係者説)
 (3)警察や支配権力への反抗(全共闘、ヤクザ)
 (4)身代金目的(北朝鮮工作員グループ説、暴力団元組長グループ説)

目的別に分けると大きく4つに分けることができそうだ。
本作では、(1)株価操作と(3)警察や支配権力への反抗 という説をメインとしている。

実際のグリコ・森永事件の詳細について他の文献等で書かれている内容を突き合わせると、どうやら犯人グループの行動に一貫性という観点でブレが見えていたことが分かっている。
ユーモラスな挑戦状や警察をおちょくっているような文面を送ってくる一方で、少量で大量に人を殺すことが出来る青酸ソーダを混入した菓子を実際に市場にばら撒くなど、卑劣で冷酷な一面がある。
また、現金を要求しながらも、その場に現れなかったり、非常に目立つ行動をとるキツネ目の男がいたり、慎重なのか大胆なのかも分からなくなってくる。

さらに以下の実際の事件に関する疑問点は多数浮かび上がる。
・犯人グループが誘拐したのが、誘拐しやすい子どもではなく成人男性であるグリコ社長だったのはなぜか。
・当初、犯人グループが身代金を要求しながらも、現金の受け渡し場所に姿を現さなかったのはなぜか。
・当初とは変わって、寝屋川アベック襲撃事件が絡んだ現金受渡し攻防で、本気で現金を奪取しようとしていたのはなぜか。
キツネ目の男は何度も警察の前に姿を現し、捕まる危険を冒していたのはなぜか。
・ハウス食品工業脅迫において、現金受渡しで指定された場所に指示書入りの缶がなかったのはなぜか。
・犯人グループは挑戦状の中で「ヨーロッパに行く」としていたが、なぜアメリカではなくヨーロッパだったのか。
・犯人グループが警察に対して執拗なほど揶揄う文面で挑発を繰り返していたのはなぜか。
本作ではこれらの疑問点を、非常に巧みに組み合わせ、整合性を保ちながら、納得感のある解答としてストーリーを導き出している。

本作のモチーフとなった実際の事件である「グリコ・森永事件」で起こった事象を時系列に並べ替えてみた。
ほぼWikipediaからのコピペになるが、Wikipediaは企業ごと、事件ごとにまとめてあるため、多少時系列が前後している。
ここでは純粋に時系列に起こったことを並べることで、犯人グループの行動を読み解く材料としたい。

まず、いわゆる「グリコ・森永事件」とされる一連の事件の前から、関連すると思われる事象があったことが分かる。

「グリコ・森永事件」で起こった事象を時系列に並べ替えてみた

次にターゲットとなったのは丸大食品。

丸大食品関連の動き

丸大食品への脅迫が公開されていないまま、次のターゲットが森永製菓に向けられる。

森永製菓関連の動き

次に狙われたのはハウス食品工業(現:ハウス食品)。
結果論だが、このときの攻防が警察にとっては犯人逮捕の最大のチャンスであった。

ハウス食品関連の動き
不二家関連の動き

最後にターゲットとなったのは駿河屋。

駿河屋関連の動き
ーーーネタバレ注意!ーーー
Photo by Kenny Eliason on Unsplash

こうした一連の流れの中で犯人グループの動きを見てみると、ハウス食品工業への脅迫、現金受渡しあたりから、犯人グループの二面性が垣間見えてくる。
大衆へのユーモアを示しつつも反体制的な言動を行うという立ち位置から、次第に現金を奪取できればいいといった姿勢が見え隠れしている。
本作では、こうした犯人グループの行動や言動から、犯人グループが一枚岩ではないのではないか、という仮説を立てる。
作品の中で、犯人グループは、当初は計画を緻密に練る者と効率的にプロの仕事としての実行部隊とが、うまく組み合わさった機動的な集団として描いている。
計画のアイデアから設計を曽根俊也の伯父にあたる曽根達雄が中心となって行い、実行部隊の中心をヤクザである青木が担うという構造とした。
警察の動きを予測するため、内情に詳しい元刑事の生島を置き、人集めも担当。
無線通信に詳しい元電電公社の谷、全共闘での後輩である山下などを配置して、グループの二面性を表すようなバランスを作り出している。

しかし、ある時期から、犯人グループの中で分裂が起き、次第に瓦解していったという動きを、内部分裂というストーリーとして、説得力のある動機とともに描き出している。
俊也の伯父である曽根達雄と学生時代に同じ柔道教室で学んでいたという生島秀樹が、元滋賀県警の暴力団対応部隊にいたこと。
京都にあるアジトを突きとめ、そこで何らかの指紋が検出された、という事実を結びつけたストーリーは、フィクションの枠を超えてもはや「真実」を暴き出しているとすら言えよう。
あちらこちらに散らばっていた事実の積み重ねが、パズルのピースのひとつひとつが、次々に集まり、埋まっていく様は実際に読みながら鳥肌が立った。

回転寿司店での問題行動動画炎上との類似点

飲食店と菓子メーカーという違いはあるが、似ているのは共に「性善説に基づいての経済活動」であるという点だ。
飲食店では、各テーブルに調味料などを置いているが、それらは客が入れ替わったとしてもそのままそのテーブルに置いてあることが普通だ。
前の客がどのような使い方をしたのかは分からないが、まさか直接舐めていたとか、そんな不衛生な使い方をしたとは露ほどにも思っていない。
そうした性善説を元にした運営をしていたが、昨今取り沙汰されているような、悪質な行為が動画の炎上という形で拡散したことで、当該企業のイメージは大きく失墜した。

これはグリコ・森永事件にも言えることだ。
当たり前のように店頭に置かれた菓子の中に、まさか毒が入っているとは、誰も思わない。
まさか毒を入れるようなことをする人間がいるとは考えない。
メーカー側に非がないとはいえ、消費者は恐ろしくなって買い控えるだろう。
店頭で買われなくなったら、生産量を調整する必要がある。
調整するのは製品の生産数だけでなく、工場で働く従業員も同様だ。
一定の期間、工場の操業をストップするなら、従業員やパート労働者にも影響する。
当時のニュース映像をYouTubeで見ると、私の住む地域の森永工場もパート社員に急遽休んでもらう、といった報道があったようだ。

当時の株取引において、株価を操作して空売りなどを仕掛けて儲けを生み出す、といったことが可能だったとしたら、犯人像としてはかなり近いイメージではないだろうか。
また、そうした「自分たちが世の中を動かしている」といった感覚や、「警察なんかには自分たちを捕まえることはできやしない」と高をくくった感覚というのは、全共闘世代や被差別部落出身者など、社会的な弱者の側に立った視点を持っていることは想像に難くない。
回転寿司店でおふざけをするような幼い思考回路の持ち主とは、この点が強烈に違うことは間違いないが。

犯行の目的や動機などから被差別部落出身者説があるが、私自身はこの説はけっこう有力なのではないか、と思っている。
江崎グリコの社長誘拐が発生する前からグリコは狙われていたことや、グリコに関してはかなり詳しい様子もあったり、社長の娘の名前を呼んだりといった細かいけれど特徴的な情報が多くあることが理由だ。
また、動機としては怨恨が根強くあると考えられる。
これほどの大がかりな演出がかった行動は、間違いなく耳目を集めるためであり、注目されることで企業イメージにダメージを与えることが目的だったのではないかと思う。
怨恨説をモチーフとした作品としては、高村薫さんの『レディ・ジョーカー』があまりにも有名だ。
また読み返したい。

子どもを巻き込んだ犯罪

Photo by note thanun on Unsplash

グリコ・森永事件が子どもを狙った事件ではない、ということは明らかであるが、かといって子どもに何の影響もなかったのかというと、そうでもない。
巻き込まれた子どもに罪はないが、その後の長い人生において加害者家族であるという罪の意識がずっと残っているのだ。
その罪の意識を記録したテープこそ「罪の声」なのか。
いや、それだけではない。
事件から30年以上経っても、誰にも言えないまま抱え込んでいた「マグマ」が噴き出してしまった「声」の物語なのだ。

子どもとして登場するのは主に脅迫にその「声」を使われた3人。
曽根俊也、生島望、井上(生島)聡一郎。
望は海外映画の翻訳の仕事をしたいという夢を持っていたが、軟禁されていた青木組から脱走を図ったことで捉えられ、事故を装って殺された。
中学から高校へという多感な時期に夢を強制的に潰され、何の希望も持てない生活を余儀なくされた。
絶望的な閉塞感の中、唯一連絡をとっていた同級生・大島美津子は事件後30年以上もずっと誰にも相談できなかった苦しみを吐露している。

聡一郎は、姉・望を守ることもできず、母が青木組の粗暴な連中に乱暴に扱われている姿を見ても何も出来ず、青木組のなかで唯一優しくしてくれた津村が暴行を受けている場面でも何も出来ず、ずっと無力感に苛まれていた。
そして、青木組の寮を放火して逃げる際も、母を救うことはできず、その後も職を転々とし、何のために生きているのかが分からないまま30年以上の過酷な日々を過ごしていた。

俊也は、そんな二人とは真逆の人生を送ってきた。
妻と子どもに恵まれ、父の代からテーラーを継ぎ、経営をなんとか軌道に乗せてきていた。
不満がないわけではないが、それなりに充実した幸せを感じていた。
望と聡一郎の想像を絶する人生を知り、自分はこのままでよいのか、と自問する。
その葛藤する姿は、まるで東日本大震災で生き残った人たちの「自分だけ生き残ってしまって申し訳ない」といった罪悪感「サバイバーズ・ギルト」に非常に似ていると思った。

一方で事件への関与である「テープの声は幼い頃の自分」を暴露することで家族を守れるのか、この幸せを守れるのかといった不安が襲いかかり葛藤する。

グリコ・森永事件はユーモラスな挑戦状や、実際に直接的な死人もなく、現金も1円も奪われてはいないことなどで、印象としてはそこまで深刻な事件だったとは一般的には思われていないだろう。
だが、脅迫テープには間違いなく子どもの声が使われており、その声の主は、病気や事故がなければ、まだ十分に生存していてもおかしくない年齢だ。
1984年当時16歳だったとしたら、2023年には55歳になる計算だ。
当時8歳であれば、2023年には47歳。まだバリバリと仕事をこなしていたり、家事に育児に奔走していてもおかしくない年齢だ。

本作は、こうした未解決事件につきものの「犯人は誰なのか」といった謎を縦軸として残しつつも、「声の主は今どうしているのか、生きているのか、どういった人生だったのか」という点に焦点を当て、横軸として展開していくことで、この事件の恐ろしさ、残酷さ、多くの人の人生を狂わせてしまった過ち、そしてそれらを過去の事としておくのではなく、これからの未来へ繋がる姿を描いている。

全くの余談だが、私自身は1972年生まれで、2023年には51歳になる。
テープの声の主たちの、ちょうど真ん中くらいの世代になる。
1984年、事件当時は12歳。小学6年生だったはず。
事件のことは、なんとなくテレビでやっているなあ、というくらいの印象しかない。
当時は、テレビは1日1時間まで、という制限を設けられており、その1時間は「おれたちひょうきん族」やアニメなどに当てていたはずで、ニュースなどを見ることはほぼなかったと記憶している。
それでも親が見ているニュース番組などが視界に入ってくるので、名前くらいは知っていた、という程度だ。
お菓子に関しても、もともとほとんど買ってもらうこともなく、自分の小遣いで買うこともなかった(小遣いはすべて漫画雑誌に消えていた)ので、何ら影響はなかった。

現在も続く新証言、新情報

Photo by FLY:D on Unsplash

日本の犯罪史上で最も有名で、警察庁広域重要指定第114号事件と位置づけられ、広域重要指定事件としては初の未解決事件となった。
だからこそ、元号が令和に変わった今も、新しい情報や新証言が浮かび上がってくる。

犯行自体は完全に犯罪であり、許されるものではないものの、劇場型と呼ばれるように、漫画や映画の世界のような展開と未解決事件であることから、人々の関心を引きつけてやまないことは理解できる。
だが、実際に犯行に及んだ人間たちは、かなりの高齢になっているはずであり、場合によってはもうこの世にはいない可能性も高い。
残念ながら、全貌が明らかになることは、おそらくないのだろう。
全貌が判明したからといっても、未来に活かせなければまた意味はないのだが。

最後に、これはまったくの戯れ言でもあるのだが、事件を時系列に並べ替えていて、あることに気がついた。
実は本作でもラスト近くに少しだけ言及されているのだが、それは、1985年8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が出されたその当日、あの日航機墜落事故が発生しているという事実である。

2つの事件(いや日航機墜落事故は「事故」とされているが)には、まったくといっていいほど関連性がない、と考えられている。
事実、2つの事件事故に何らかの共通項があるのかと言えば、現時点では「見つかっていない」だろう。
だが、気になるのは、犯人グループが終結宣言を出したその日に、日航機が墜落するという、ありえない天文学的な確率の偶然にどうしても違和感を感じるのだ。
日航機墜落事故に関しては、意図的に尾翼が爆破されたのではないか、という見方も根強くあるという。
また、墜落現場の特定に関して、米軍機はかなり早い時間に特定していたにもかかわらず、日本側からの要請がなかったことからすぐに救助活動に移ることなく引き返しており、陸上自衛隊が現場位置を特定したのは翌日の朝になったことなど、不審な点が山ほどあることも理由に挙げられる。

もし、犯人グループの内のひとりが終結宣言に納得がいかず、単独行動で航空機内で爆破させた、という筋書きを、今更検証したところで詮無いことではあるが、その動機はおそらく「怨恨」である可能性はかなり高いと考えられる。
だれもが怨恨の念を抱くことのない世界を望まずにはいられない。

こんな書籍もあるのか。

そういえば、本作でもっとも救いのなかった被害者、生島の娘は「望」という名前だったなと、いま思い出した。
もちろんフィクションなので、著者が名付けたのは間違いない。
なぜ「望」という名をつけたのだろうか、と考えてみた。

阿久津と俊也が追いかけていたのは、単なる犯人捜しではなかった。
阿久津は過去の事件を掘り起こす意味を探していた。
俊也は自分にとって、家族にとっての問題として、真実を探していた。
ふたりはともに、過去を紐解きながら、望の歩いた跡を見つけ、その最後にたどり着いた。
夢を見て未来を信じていた望の想いを、ふたりはどう受け止めたのだろうか。
望は何も残せなかったのだろうか。

結果的に犯罪に使われた望の「声」だけが、残された母親と聡一郎にとって、唯一彼女が残したものだった。
だが、きっとそれは、年老いた母親と聡一郎にとって、残された人生を生きる「希望」でもあったのだろう。

子どもは希望のかたまりである。
一連の事件は、愉快犯による単なるおもしろおかしい事件なんかではなく、希望のかたまりである子どもの未来をも潰してしまった、許されざる犯行だったのだ。


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