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「伝統」という日本の強み

聖徳太子は天皇の血に繋がるお方です。

太子様、尊い・・・

何を隠そう、
父君は第31代・用明天皇です。

第31代・用明天皇
用明天皇と穴穂部間人皇女は異母兄妹

聖徳太子は、
日本初
そして、
東アジア初の女帝である
第33代・推古天皇の摂政
として経験を積んだ後
天皇に即位する予定でした。
*推古天皇は、女性天皇ではあるが、
 女系天皇ではなく、
 父が天皇(欽明天皇)である男系

推古天皇は女性天皇であるものの、
女系天皇ではない!

ちなみに・・・、
皇室内・豪族間のゴタゴタの中、
なんとか聖徳太子を天皇に!
また、
神武天皇以来の男系一系をお守りする!」
という中で、
言い方と例えは悪いですが、
野球でいうところの「中継ぎ・リリーフ」
でした。

野球において
プロ野球においても、
優勝するには
安定したリリーフの存在が
必要不可欠です。

余談ですが・・・、
2010年の中日の浅尾拓也選手、

フォームも独特で

2017年のソフトバンクの岩嵜翔選手

早期の肘の回復をお祈りいたします・・・

のリリーフは完璧でしたよね・・・?

二人ともイケメンだし・・・。

プロ野球においても、
優勝するには
安定したリリーフの存在が
必要不可欠です。

同様に、
皇統においても、
男女を問わず
男系一系を堅持するための
優秀な「リリーフ」が
必要不可欠であったわけですが・・・、

その役割を担った天皇こそまさに
推古天皇であったのです。

もう一度、「ドーン!」

しかし、
結果的ではありますが、
聖徳太子は
天皇に即位する前に薨御(こうぎょ)
(薨御親王・摂政関白・大臣が死去すること
されてしまうことになるのです・・・。

天皇に即位する事はありませんでしたが、
聖徳太子」という人物は、
確実に日本の国体である天皇の血
を継いでいる人物
であり、
言うまでもなく
日本の未来を第一に考えたお方
でありました。

いつみても、美しい・・・

そんな超・愛国者である聖徳太子が、
推古天皇の摂政となり
日本の政治全般を取り仕切り、
行った改革や素晴らしい政策は数えきれません。
しかし、
当時の海外(主に東アジア)情勢において、
日本は岐路に立たされておりました。

それはなんといっても、
言わずもがなですが、
対中華大陸外交でした。

これまでお話ししてきたように、
中華王朝の外交とは、
過去も現在も、
「ジャイアン」でした。

そんなジャイアンである
中華王朝の常套手段こそ、
「冊封体制」
であったわけですが、

次期天皇候補であり、
日本の明るい未来を乞い願う
聖徳太子が、
中華王朝の甘い罠にかかるわけがございません。

なぜなら、
中華王朝による冊封体制
に組み込まれた場合、
メリット・デメリット
があったからです。

中華の冊封体制
に組み込まれるという事は、
数年・数十年単位という短期的視点では、
経済・国防などにおけるメリット
が享受できるかもしれませんが、
数百年単位という
長期的視点で考えると・・・、
国家のプライド
経済・国防という
国の根幹部分を中華王朝へ大きく依存
することとなり、
国としての国力は確実に低下
してしまうのです。

聖徳太子は、
そのような
負の未来を予想
していたのであります。

偉大かな、聖徳太子

日本以外の東アジア各国が、
中華王朝による冊封体制に
当然の如く組み込まれていく中、
聖徳太子率いる日本のだけは、
中華王朝による冊封体制に加わらず、
独自外交政策を貫き、
隋(当時の中華王朝)の属国
に成り下がることに
「ノー」を突きつけた!
のです。

聖徳太子は「NO!」と言える日本人だったのです

その結果、

現在、
令和の時代になっても、
日本の「国体」である皇統は断絶することなく、
国家として約2000年という永きにわたり
現在も継続
しているのです。

聖徳太子の長期的視点の根幹は
伝統継承」にありました。

世界の王朝・国家が続々滅亡していく中、
日本のみが
着々と伝統・歴史を積み上げ、
守り、継承
してきたのです。

いかがでしょう?
聖徳太子の偉大さ
伝わりましたでしょうか?

次回以降、
聖徳太子の偉大さがわかる
具体的政策について
お話ししていこう
と思います。

次回、

聖徳太子外交・遣隋使〜前編〜
「計算し尽くされた、したたかなハッタリ外交」

乞うご期待!

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