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脳科学者は政治の専門家ではない。ビヨンセは食事法の専門家ではない。

 今回の記事は、下記URLの記事を参考にして書かれている。

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 何かを論ずる際には、引用する情報を選りすぐらなければならない。その上で、「語る資格」について考慮することは不可欠である。

 ホンダの各車種の利点についてはホンダのメカニックに、妊娠や出産については助産師や医師、学校については教師に、気候変動については気候学者に、それぞれ「語る資格」があるとしている。

 なぜなら、彼らは「適切な経験と知識を備えている」「専門家」だからである。

 しかし、SNSなどインターネット上には素性が分からない自称専門家があふれかえり、テレビやインターネット上の番組では専門外のことについて雄弁に語る専門家がたくさんいる。

 果たして彼らには語る資格があるのだろうか?

 勿論、誰にでも「語る権利」はある。語る権利は万人に保障されていなければならない。ただ、「語る資格」とは、「その問題・事柄について専門家として語る資格」のことである。

 上記の例を再度用いるなら、妊娠や出産についてホンダのメカニックは語る資格はない。同じく、助産師や医師はホンダの各車種の利点について語る資格はない。

 権利と資格とは別物である。例えば、医者という「資格」はなくとも、医療について語る「権利」は誰もが有している。ただ、耳を傾けるべきは「資格」保有者、すなわち専門家の声だ。ここで言う、医者の意見だ。

 また、「情報源としての資格の有無がそれほど明白でない場合は、情報源について説明しなければならない」(アンソニー・ウェストン著・古草秀子訳『論証のルールブック(第五版)』(ちくま学芸文庫、2018年) p66~p70)。

 情報源を明記することで、他の議論参加者に対して、その情報及び情報源が問題について「語る資格」を有しているのか否かについて吟味することを求めることができる。

 「この情報や情報源を用いることについて懸念がある方はいませんか?」と直接的に問うてみるのも良いだろう。

 とはいえ、「ある特定の分野の権威だからといって、どんなテーマについてもよく知った上で意見を述べているとは限らないことにも注意しよう」(参考元は同上)。

 世の中には、専門外のことについて自信満々に語る専門家がたくさんいる。脳科学者が政治についてよく知っているとは限らない。

 ある特定の分野における権威は、その分野において通用するものであって、全ての分野・領域において通用するものではないのである。

 つまり、脳科学者は脳科学における権威は有しているが、脳科学以外の領域における権威は有していないのである。

 当たり前ではあるが、特定の分野の権威者の為すことの全てが絶対的に正しいわけではない。

 勿論、誰もが「語る権利」は持っている。しかし、脳科学者が政治について語っていても、それは「門外漢・素人が語っている」に過ぎない。

 言わずもがな、門外漢・素人とその意見が権威を有しているわけがない。そのような権威を欠いた意見は論の証拠としては不適であろう。なぜなら、証拠としての説得力が極めて弱いからである。

 ビヨンセがヴィーガンだからといって、それは、ヴィーガニズム(完全菜食主義)が良いものであるという根拠にはならない。勿論、ビヨンセは素晴らしいアーティストだ。アーティスト界では彼女は権威者なのだろう。しかし、彼女は食事や食事法における権威者ではない。

 ヴィーガニズムが良いものであるということを主張したいのであれば、ヴィーガニズムの利点を提示しなければならない。その利点とは、おそらく健康面や倫理面や環境面のものだろう。ビヨンセが実践しているということ自体はヴィーガニズムの利点ではない。

 ちなみに、最近SNSにおける声(ツイートなど)を紹介する番組や記事はとても多い。

 場面や場合にもよるのだが、SNSにおける声を「証拠として」挙げるのは基本的に間違っている。ましてや、素性の分からない匿名の投稿を「証拠として」用いるのは大いに間違っている。

 なぜなら、そのような投稿は「権威」を有しているはずがないからである。そもそも、誰のものか分からないような意見を証拠として提示することはできない。

 匿名や「なりすまし」がありふれるSNS、インターネット上の言葉を信用することはできない。ましてや、それを証拠として用いて何かを論ずるなどもってのほかである。



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