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[#5] 漢字から感じ取る

急にこんな駄洒落のようなタイトル。2番です。前回私の投稿した#4の中で触れましたが、私、日焼け止め塗る習慣が無いんです。今は全く苦手意識は無いのですが、幼少期ベタつくのが嫌で拒否しながら母に半強制に塗られていたのがなんとなく記憶に残っていること、また、単純な自分の怠惰故の習慣の欠如です。美容にこだわらない女が認められる社会になってきましたからね、私はまだ生きています。
そして日焼け止め今日も塗ってないんだよね、と1番とLINEで会話していたことを、たった今言語学の授業中に思い出しまして。ふと。それはそれはもう、天から炎のような舌が降りて来るが如く「降りて」きたんですね。
そして授業に集中出来ないまま「ひざし」という言葉に思いを馳せました。「日差し」と「日射し」、もしくは「陽射し」。
「ひざし」という具体例に囚われ過ぎる前に私の頭の中の前提をお話しすると、私の中で、人に文章を送るときは勿論、日常会話の中で特定の(漢字)変換を想定した上で言葉を発することが多々あります。というか私が通常する会話のうちほぼ全てそれです。そしてその(漢字)変換を、声のトーンなどでなんとなく私の中のその(漢字)変換のイメージに最も近い状態にして相手に投げかけています。分かり易いのでいうと、カタカナ変換のイメージでカタコトっぽくいうとか、アルファベット表記のイメージで「r」サウンドを強めに表現してみるとか、もしかしたら皆さんにも共感していただけるのでは無いかな、と思います。
…なんて打っていたらチャイムがなってしまいましたので、帰宅後に続きを打ち込んでいます。

「ひざし」の話に戻ると、要は私はその言葉の中にジリジリと焼け付くような強い物をイメージするか、はたまた包み込むような柔らかいあたたかさを持った物をイメージするか…というざっくりとした分け方があります。

私の中の感性をバイアスかけずに言葉に落とし込む為に、今は敢えてどの漢字表記が正しいとか、意味の違いがどうとか言ったことは調べずに書き進めているのですが…。何となく「日差し」と言うと太陽からの光それ自体を事実として無機質に捉えた感じを、「日射し」というと夏のじりじりとアスファルトを焦がす鋭い熱い光の線を、「陽射し」というと冬や春のポカポカとした包み込むお布団のような柔らかな温かさを持つ物を想像します。「日」の方が「陽」よりもより太陽それ自体にフォーカスしているような、「陽」の方が「日」よりもその明るさやあたたかさに目を向けているような、そんな感じがします。

明日の朝起きたら日本語のプロ達の見解を漁って答え合わせをしてみようと思います。まあ、答え合わせと言っても私の中でのイメージはそれとしてそのまま持っておきたいと思っているのですが、きっと調べたらその事実に思考の左上の方から摘み上げられてしまう気がするので、現時点での私の思考の記録としてnoteを使ってしまいました。

細切れで書き過ぎてまとまらない文章になってしまった…。次はもっと纏まった時間に勢いに任せずしっかり書いてみる…つもりです。ここまで長々とお付き合い有難う御座いました。もし良ければ、皆さんの中の「ひざし」のイメージを知りたいなぁ、と思いつつ…。

もう1時か、明日は文化人類学と債権法の授業です。最高気温36℃だって…暑さ対策、念入りに。それではおやすみなさい🌙明日も、明後日もそれぞれに良い一日を…。


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