Formaggioの作り方
いつも私が使っているイチョウの小さいまな板がある。これは私の実家の銀杏の木を切らなければならなくなった時に、父が切って、やすって、きれいにしたものだ。あの木はいつも2階の私の部屋から見える、本当に黄金に輝く、何か大きい浮遊体のようだった。父が幼い頃、昔はとても深く見えた、あの森で苗を見つけて、家の庭に植え替えたものらしい。(しかしその話は父本人が覚えておらず、誰が言ったのか、我が家に伝わっている話なだけで、真相は藪の中なのである。)
母は、父の思い出の木なんぞを感傷的になって話すタイプではないのに、あの銀杏の木が切られると決まった時には、切られるまで毎日のようにあの高いのにネバネバとした声で、嘘か本当かわからない父の幼き頃の話を私たちにしながら悲しみに耽っていた。母は歳を取るごとにああゆう象徴的なものに執着していったように思う。銀杏の木とか富士山とか。
さて、そのイチョウのまな板は小さくてなかなか使いにくいのだが、何に使うのかというとチーズ作りである。私にとって毎週木曜日はチーズを作る日である。この日は本当に獣臭いノンホモ牛乳が我が家に届く日なのだ。3L。3Lで3日かけてやっと一つできあがる。本当は牛が家にいて欲しい。牛乳が新鮮なのって本当に清々しい味がする。
日本でチーズを買うと高いのと、フランス系の白カビチーズが売っていることが多くて、(イタリア産のチーズを買うにはそういう専門店に行かないとなかなか手に入らない。また売られていたとしてもハード系ばかり)イタリアで普通に売っているDailyのチーズが食べたくて作り始めた。それになんだか輸入されたイタリアのチーズは味が物足りない気がする…
最初はレモンを入れると牛乳が固まることをどこからか聞いて、そのように作っていたけれど、なんだか変な苦味が残る。それで一度作るのをやめた。
すると近所の人にまた例によって教えてもらった、「Caglioを使うのよ」と。
Caglio(カーリオ)とは英語だとレンネットと言われるタンパク質分解酵素である。これはウシ科の動物の第4胃に含まれているもので、チーズの起源は、やぎの胃を水筒がわりにして牛乳を運んでいたところ、中で固まってチーズができていたと言われているぐらいだ。(もはやこの話は伝説的な位置づけで本当の起源はよくわかっていない)今市場にあるチーズはほとんどこのCaglioによって牛乳のタンパク質を凝固させたものである。(脂肪分を凝固させたものはバター)余談だがインドやネパールなどのチーズはCaglioの作用ではなく自然凝固したものである。それはあの暑い気候が牛乳を酸性化させ、酸がタンパク質を凝固させる。(レモンを使用するのはこのためである)しかしこの場合、カルシウムはかなりの割合で失われてしまうそうだ。栄養価が高いのはCaglioを使用したチーズに軍配が上がる。
Caglioを日本で買ってみて作ったら、やっとそれらしいチーズができた。それでもなんとなく、イタリアのチーズとは違うような気がして、Caglioの問題かもしれない、とイタリアのものが欲しくて現地で、片っ端らからFarmacia(薬局)を回りまくった。(Caglioが薬局で買える理由というのもいまだによくわからない)まず、イタリア語を勉強している日本人は皆苦戦すると思うのだが、この”Gli"という発音が本当に難しい。自然に口から出るものではない。”り”のような”イ”のような・・・舌を口の上顎に触れながら軽く”イ”と発音すると”Gli"になる。イタリアのドラックストアは日本と違って製品が棚に整列されておらず、カウンターに聞きにいって中から出してもらう形式がほとんどだ。なのでカウンターは(一人一人話が長いこともあり)結構並んでたりする。私は"これ買う場所本当に薬局であってるのかなー"とやや緊張しながらカウンターまで行って
「カーリオはありますか?」と聞くと
「カーリオって何?」と聞かれる。やっぱり。頑張って舌を上顎に置いて
「カーリオありますか?」と聞いても、
「すみません、なんのことかわからないわ」と言われる。やっぱりCaglioは薬局では売っていないのかしら。私の勘違いかしらと不安になる。いずれにしても、もはや「カーリオ」という単語を発することは私にとっては意味がないと判断し、
「あの、チーズを作る時に使う・・・」というと
「あーー!Caglio!」
まさか彼らもアジア系の私がCaglioを欲しがっているなんてさらさら想像もしなかったのだろう。とても驚いていた。
「Caglioね・・・けどうちには置いていません、Mi dispiace(残念ながら)」と最初からきっぱり断られるのがほとんどであったが、
「ちょっと待ってくださいね」とパソコンでデータベースから調べて「やっぱり在庫がないですね」とさしあたり対応してくれる人も出てきた。
都会では無いのだろう、と思い、田舎の方のFarmaciaに行くことにした。Caglioの発音は相変わらず通じないけれど、都会よりも薬剤師さんに戸惑いの様子がなく対応してくれるのがわかる。
「あーお取り寄せならできますよ」と言われるようになった。しかしこの町で何日間も待つことはできない。
22軒目。本当に聞いたこともない名前の村にきた。カウンターの後ろからおばあさんの薬剤師さんが
「Caglioあるよ」と一本、ゴツゴツした親指と人差し指で挟んで持ってきたときは、思わず飛び跳ねそうになった。なんと嬉しかったことか。(やっぱりおばあさんが持ってきたな、とそのとき思った。若者でチーズを家で作るという人はイタリアではほとんどいないだろう。彼らは私と違って毎日買えるのだから)
日本に帰国後、イタリアで買ってきた粉状のCaglioをホクホクしながら開けてチーズを作った。なんとよく固まることだろう。とても少量なのに日本で買ったものより固まるのが早い。こうして毎週作ることが習慣化した。しかしだんだんとイタリアで入手したあのCaglioもきれてきたので、そろそろ日本のCaglioに戻さなくてはならない。
チーズは毎週作って専用冷蔵庫で発酵させる。私は素人なので、何か特別なチーズ専用の菌を吹きかけたりはせず、冷蔵庫にある細菌たちに熟成を任せている。(納豆は菌が強すぎるので一緒に入れるのは厳禁)すると最初の1ヶ月ぐらいはPrimo SaleやStracchinoみたいなチーズ、2ヶ月ぐらい経つと、周りがオレンジっぽくなって味がタレッジョみたくなったり、あと3ヶ月以上経つとMontasioみたいにうちではなっている。安定しないのが、逆に作っていて面白い。我が家は消費が早いので、半年も熟成させたことはないが、今夫婦で耐えて消費を抑えている。
ちなみに北イタリアは乳牛のチーズが盛んだが、中部や南部は豊富な牧草などがなかったこともあり、やぎや羊のチーズのほうがメインだ。日本でもヤギミルクが買えるといいのだが。
我が家では色んな料理に使ったり、パンと一緒に食べたりしてます。
このラビオリやVincigrassi(マルケ風ラザーニャ)にも入れてます>>
他レシピも以下マガジンで>>
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※レシピ Ricetta
Formaggio
<材料>Ingredienti
・牛乳 3L (無調整に近いノンホモでないと固まりにくい)
・ヨーグルト 大さじ3
・生クリーム 100ml
・Caglio (それぞれの説明書に従って)
<作り方>
1. 牛乳とヨーグルトと生クリームを混ぜ、ステンレスの鍋で弱火で温める。32度になったら火を止める
2. Caglioを混ぜて蓋をして固まるまで待つ
3. 杏仁豆腐みたいに固まったら、攪拌させ、(表面を増やし)ホエーをもっと出す。
4. 攪拌したら今度は50度まで弱火で温める
5. もっと凝縮して固まるのでそれをカゴに入れて水気を切る。プルプルしていて気持ちいい。
(私はこの水切りカゴがきれいな形になるので、これを2つ使っています)
6. チーズを裏返しにして水をさらに切る。(私はもっと凝縮させて水を切るためにこの時に重石として銀杏のまな板を上から置く。銀杏は抗菌性があるしちょうどいい大きさ。パルミジャーノみたいなハード系は圧縮する専用の器械が必要だが、私はこれぐらいでいいと思っている)
7. 麻布で巻いて1日おく(もっと水が切れる)
8. 周りに塩をまぶして1日おく(もっともっと水が切れる)
9. 冷蔵庫で保存して、たまにカビを塩水で洗ってください。
Buon appetito!