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残酷な記憶が
ある
その時
なにもしなかった
なんの感情もなく
眺めていた 記憶がある

最も残酷な殺し方
長い時間をかけてじっくりと
苦しむ姿をじっくりと見定め
正義が膝を屈し
自ら頭を下げる様子を
人間として最大限苦しむ姿を
見続ける

1581年5月 鳥取城は不法無法の限りを尽くす秀吉の兵から逃れた農民やら商人やらで溢れていた。もともといた城兵1400人と農民ら2000人。城には20日分の兵糧
秀吉は城を囲み兵糧搬入を阻止した。瞬く間に兵糧はつきた。

「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」

まず農民らが餓死した
残った城兵は草や木の葉を食べ 稲の根っこも食べ
食べつくすと城内の馬も食った
餓死する人絶えず
城外への柵際には
餓鬼となった死相の者たちが
もだえ苦しみながら
やせ細った手を宙に浮かせていた

城内では虫の息となった女や子どもを
刃で切り取り関節を切り離し
肉を食した

その姿を秀吉は
見続けた
自ら殺し合う残酷な姿を
作り出した者は
その成果にほくそ笑んだ

いつの時代にもほくそ笑む者がいる
理性を奪われた人間をあざ笑い
その苦しむ姿に快感を感じる者

UNRWA解体まで言及している
ネタ二アフ首相
ガザを占領・封鎖し囲い込み
危機を作り出し
UNRWAの支援を利用して「支援なくして生きられない」状態を
80年近くにわたって作り出し
今それを断つことで生命を弄ぶ

今それを私は見ている
残酷な今をみている
残酷な危機に加担する国
朝鮮人強制連行の記憶を
隠蔽した国
その国の一員として
罪を背負う
声を背負う

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