あやふやの中に本質を見つける愚かさ
都知事選が終り、選挙規制が解かれ、選挙の裏話や立候補者の新たな側面が
報道されている。
今日私が話したい事は、着飾り良く見せようとした行動についてである。
投票行動に向かわせる要因は有権者それぞれであると思うが、
「この人が良い」
と判断して一票入れる訳だから、「良い」と思わせた要素があったと言う事である。
そして結果として
「都知事としてふさわしい」
と一票入れる事となる。
そこには全人格的に判断吟味した一票と
雰囲気で入れた票に何らの差、違いはない。
さらば、選挙プランナーは考える、どのようにして支持者を増やすか、政策か、学歴か、スタイルか、顔か、さわやかさか、声か、どの団体に訴えるか、SNSか、街宣か、セクシーか、年齢か、センスか、経歴か、短期間で支持を集める方法を考える。
選挙投票率が60%と予測されれば、60%に受ける方法を考える、残りの40%
は黙って付いて来る付録位としか考えていない。
どう好まれる候補者をつくるか、スタイリストが付く、ヘアメイクアーティストが付く、ボイストレーナーが付く、スピーチライターが付く、カメラマンが付く、演出家が付く、全体のコーディネターが付く、
候補者は七五三の幼児の様に変身に胸をふくまらせる。
支持される候補者と言う偶像が出来て行く、
プランナーの引いた線路上をひたすら走る。
失言、失行は厳しく注意、修正され、TPOに合わせた表情をつくり、プランナーの創り上げた思考の発言をし、好かれる支持される偶像を演じる。
さて、ここで問題なのは、どこまでの偶像が許されるのかと言う事である。
女性がメイクするのは当たり前の話だが、それは誰の為か、恋人、男性、
女性、ただ周りに綺麗に清潔に思われたいから、詐欺的に誰かを騙したいから、メイクが好きだから様々だろうが、
例えば詐欺の意図を持った詐欺的なメイクとかも、それが社会規範に触れなければ問題はない。
作られた偶像としてのアイドルが殺人的に愛らしいウインクをしても問題はない。
しかし詐欺犯がメイクに金をかけブランド物で着飾り、詐欺を働いたらどうだろう。
着飾る事が詐欺に利用される、
被害者は着飾った詐欺犯を金持ちと思い信用し、騙されて被害を受ける。
一般人でも、そのメイク振る舞いから、想像して勝手に偶像を作る事もあるかもしれない、学歴、風貌身なり言葉から偶像を膨らませるかもしれない。
しかし一般人はその対象が身近にいて、他人の評価やその人との対話や振る舞いで相手を評価できる。
では選挙はどうだろう、
立候補者は詐欺的な手法だらけではないか、
公職選挙法で規制されているのだから、それに触れない限り違法ではない。
しかし結果として、どうだったのか、選挙終了後の立ち振る舞いから想像すると、投票前の作られた偶像は騙しでは無かったのか、
「あんたらが勝手に想像を膨らませ偶像を作り上げただけでしょう、
私はそんな事言ってませんよ、約束してませんよ。」
と言われそうだが、残念ながら仕方ない、その通りなのである。
ではどこまでの演出が許されるのか、これもまた線引きは困難である。
残念ながら、受け止める有権者が,個々により受け止め方が違うし、全方位的に考え吟味する人は、演出を全く評価しないだろうし、
なにしろ評価基準はあやふやである。
あやふやな評価方法では、最良の当選者は生まれにくい。
ましてや虚飾まみれの本質を隠した偶像候補者では困る。
それが当選し失政したら、責任を取るのは有権者となる。
一般人がタレント、芸能人作りの手法で偶像スターを崇拝するのは
構わない、何故ならスターは人気という指標に常時評価され続ける
のであるから、騙されても良しとしよう。
問題は、本質を欺こうとす力(演出)と、その力加減、
また候補者の本質を見抜く有権者の心眼か。
今の状況ではだめだと悲観してばかりではいれない。
実は数日前に私は本質を観た。
選挙戦の最中、暗殺未遂事件に見舞われ、右頭部側面から鮮血を流しながら右手を高々と挙げて、聴衆を鼓舞するトランプ前大統領の姿に
本質を観た気がする。
了。