思想の英雄たち
どうも、犬井です。
今回紹介する本は、西部邁(=1939〜2018)の『思想の英雄たち―保守の源流をたずねて』(2012)です。
本書は、近代化もしくは西洋化を成し遂げてきた日本が、近代西洋が率先してつくりだす世界状況に適応するのを専らにしてきたために、つまり、近代西欧のごく表面のみを写生してきたゆえに、近代西欧にはある、近代主義に根本から疑念を呈するという文化を欠いたまま、日本は近代化をしてしまったと論じています。そこで、エドマンド・バークやアレクシス・ド・トックヴィルといった15人の西欧知識人たちの言論を参照し、プレモダニズムとモダニズムのあいだで平衡をとる思想的作業を通して、日本が「文化的小児病」を脱するための思想的拠点を築くことが可能ではないかと主張しています。
それでは以下で、簡単に内容をまとめていこうと思います。
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漸進の熱意
保守思想は熱狂を嫌う。なぜならそうした心性は急進主義に特有のものだからである。急進主義者は人間社会を単純化し、単純化を可能とした自分の明晰さに自ら感激し、早速その幼稚な知識を実地に応用するのに熱狂する。保守思想はこの種の熱狂を避けるべく、自らを保守「主義」とよぶことをすら忌む。主義者にありがちの子供っぽい興奮に陥るまいとしてのことである。
保守思想は人間も社会も複雑かつ微妙であることをわきまえている。その厄介さは社会科学などとよばれるちゃちな代物では到底把握できない水準に達している。そうみなすからには、保守思想はすべての改革を漸進的にのみ進めようとするのである。急進的に改革してしまったとき、取り返しのつかない錯誤にはまったと後悔する羽目になることはほぼ必定だからだ。
おのれの不完全性を知悉した人間がどのような変化をいかに実現すべきかを慎重に考慮するにあたって頼りにするのが、時効を有するものとしての伝統である。伝統と照合させなければいかなる変化にも飛びつくまいと覚悟している保守思想は、漸進的にしか変化を受容しないことになる。しかし漸進主義はそれを行うものが不活発であることを意味しない。まったく逆なのだ。保守思想は変化の種類を見極めその度合いを測定する作業に、いわば静かに熱狂しているのだ。中庸を保つことにおいてのみ人知れず熱狂する、それが保守思想の根本姿勢だといってもよい。
第一権力としての世論
トクヴィルは、単独者もしくは少数者による専制権力と比べれば、人民主権の方が正当であると考えていた。しかし、彼は人民主権の状況の中には「多数者の専制」が胚胎することを強調している。トクヴィルが明晰なのは、「多数者の専制」を、社会的意思決定に多数のものが参加しそこで多数決でことを決めると言う意味での、単なる機構と解釈せずに、その根底には「多数者の道徳的支配」があると捉えた点にある。
多数者の道徳的支配は、ただ一人の人間においてよりも多数の人々の団体において、また卓越した個人においてよりも多数の立法者たちにおいて、より大いなる知識経験と叡智があるという観念の一部に基づいている。これは「知性に適用された平等理論」である。この平等理論は、時には健全で、時には病理となりうる。健全に機能するときは、社会の多数派が歴史の叡智ともいうべきモーレスを平等に会得している場合である。このとき、多数者の形成する意見(=輿論)は正当性および正当性の基盤だということになる。
しかし、歴史を足蹴にするような世間で今流行している世論が優勢の場合、「知性に適用された平等理論」は衆愚政治の引き金となるのである。ここではもはや、独裁政治と民主政治の違いは、民衆を衆愚化することによって成り立つ「唯一者の独裁」と、自ら進んで衆愚と化していく民衆が遂行する「多数者の専制」という違いしかない。
大衆への反逆
国家を支配・統治する能力を持たず、その努力もしないような人々、彼らをオルテガは大衆とよび、そして大衆が自らの限界に反逆して国家の支配者になろうと企てることを指して、大衆の反逆とよんだ。オルテガの指す大衆は、社会的階級でも政治階級でもなく、精神の質に関わる「人間的階級」のことである。
自己懐疑が大衆と選良を隔てるとオルテガは考え、自分がもう少しで愚者になり下がろうとしている危険を絶えず感ずるものがエリートであり、自分を疑うことをせず、むしろ自分がきわめて分別に富む人間だと考えるものを大衆であると主張する。もちろん、自己懐疑といっても「全てを疑うためには、"自分を疑う"ということを疑わないことが必要だ」とオルテガはわきまえていた。それどころか、「真に強力なもの、卓越したもの、充実したもの、深いもの、これら全てに対する感受性が失われた」ことが、自己懐疑の能力を人間から奪ったのだということもオルテガは承知していた。
大衆は前もって意見を作り上げる努力をしないで、その問題について意見を持つ権利があると信じている。大衆とは、良きにつけ悪しきにつけ、自分を”すべての人”と同じだと感じ、しかもことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じる。現代の特徴は、こうした凡俗な人間が、自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとするところにある。大衆は大衆でないものを徹底的に憎む。ある文明がデマゴーグの手に落ち込むほどの段階に達したら、その文明を救済することは、事実上、非常に困難である。
保守的であること
保守的であるとは、見知らぬ者よりも慣れ親しんだものを好むこと、試みられたことのないものよりも試みられたものを、神秘よりも事実を、可能な者よりも現実のものを、無制限なものよりも限度のあるものを、遠いものよりも近くのものを、有り余るものよりも足りるだけのものを、完璧なものよりも重宝なものを、理想郷における至極よりも現在の笑いを、好むことである。
このような性向をもつものとしての保守主義者は、変化に適応することに困難がつきまとうということをよくわきまえている。「変化が無差別に歓迎されることもあるが、そんなことをするのは、大切に思う物事がなにもなく、愛着をすぐに失ってしまうもの、つまり愛情や愛着に無頓着な人間だけである」。愛情や愛着の能力をもつものには、変化を嫌う傾向がある。というのも、変化とは現存するものが剥奪されることに他ならないからである。保守主義者とてあらゆる変化に嫌悪を示すというわけではないのだが、変化の速度は急速なものよりも緩やかなもののほうが良いとみなすのである。
言葉、伝統そして国柄
国民国家は近世および近代初頭における歴史上の偶然の産物などではないと思う。例えば宗教的な教養・戒律に基づいて文明圏がつくられはするものの、そのルールに具体性を与えようとするにつれ、ナショナルなもの、つまり国柄の重みが増してくる。自然的・文化的な共同体の枠組みは、言語的動物としての人間が意思疎通をなす場合、少なくともその密度を高めようと欲する時、不可欠のものである。だから国民国家は人間社会の展開の必然の帰結とみなしてよいのではないか。
このように考えると、戦後日本人が言葉に替える技術をもってし、何事についてにせよ国家に不信を寄せることをもって正義とみなすに至ったのはなぜかすぐに理解できる。それは、歴史、伝統、慣習などの国柄の貯蔵庫を守ることに軽蔑を差し向けたからである。実際には、人は何ほどか守旧派に属することによって生活しえているのだが、戦後日本人はそのことを自覚できずにひたすら改革派に立とうと努めてきた。そしてついに国柄という平行棒を投げ捨ててしまったために、個人は人格の輪郭を曖昧にし、国家は法治の骨格を融解させている。
時あたかも戦後50年の記念すべき年だ。それが真に記念されるべきものとなるのは、人間の歴史が不確実性に直面しそれを超克する過程に他ならなかったと理解し、それゆえ歴史の知恵を保守する以外に、来るべき世紀に待ち構える未知の危険と危機に立ち向かう術はないと知る場合ではないだろうか。
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あとがき
noteで記事を書き始めて、今作でついに50記事目になりました。最初は本の内容を忘れても良いようにメモ感覚でまとめていたのですが、今ではそれなりに読んでくださる方がいる以上、ヘタなものは書けないなと、とりわけこうしたキリがいい数字のときには考えています。特に記事の対象となる本は、相当慎重に選ばなければならないと思い、本の選考には時間をかけています。
そうした熟考のうえ、今回は戦後日本最大の言論人、西部邁先生の本を選ばさせていただきました。実を言うと、西部先生は私の大学の先生の先生のさらに先生にあたる方であり、私自身の思想の源流を辿れば、恐れ多くも西部先生がいらっしゃるということになります。その上で、その西部先生が思想の源流とする知識人をまとめた本書は、私のバイブルにあたるのではないかと思い、今回、手にした次第であります。
私は大学に入る前は今のように本を読んだり、今もそうですが、テレビすら殆ど観ていませんでした。そのため、西部先生の存在を知ったのも大学に入ってからであり、そのときには西部先生とお会いすることは叶わぬ夢となっていました。しかし、先生の著書を読めば読むほど、あるいは生前のカメラの前での姿を観れば観るほど、これほど豊かな「言葉」を操り、かつ「喜怒哀楽」に満ちた方に、生前にお会いしたかったという思いが強まるばかりです。大学入学以前の己の無知を悔いるばかりですが、西部先生の言葉は今なお私の中に生き続けています。
これからも西部邁という思想家から受けた影響を自覚し、”西部一門”、あるいは西部先生の気性を踏まえれば”西部組”を自称しながら、つらつらと本をまとめ、ときには私自身の考えを言葉で表現していこうと思います。
では。
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