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決断、のち


24日、カウンセリングで、入院を勧められた。


お風呂も入れない、歯も磨けない、ご飯もあまり食べられない。そして、深い気分の落ち込み。
働いていないのに家事の手伝い一つできないことに、ひどく罪悪感を覚え、自己嫌悪を募らせる毎日。
自己嫌悪は、自責へと変わり、希死念慮へと化けていく。


死にたい。死にたい。死にたい。生まれてきたくなかった。
自分にまったく期待ができない。将来に希望を持てない。うつ病が治る気がしない。治せる気がしない。
死にたくて、現実から逃げたくて、毎夜涙で枕を濡らす。私の人生なんて、私が生きていることなんて、なんの意味もないと思った。


26日、火曜日の夜。
私の好きなものばかりが並んだ夕ご飯のメニューを、私はほとんど食べることができなかった。そんなこともできないのかと、自分を責めた。
その前日には、逆に、ご飯を食べてしまったことで、自分を責めた。

矛盾した様々なことが、私の中に巨大な混沌を作り出し、その中に呑まれていくのを感じた。

「もう私ダメなのかな」

自分の心の限界を感じた。


27日、水曜日。通院日だった。
主治医に、今の私の心身の状況と、カウンセリングで言われたことを話した。
先生は、「入院してみるのもアリだと思います。」とおっしゃった。年内最後の受診日だったので、入院するなら、今日中に決めなければいけなかった。

私は、とりあえず病棟の見学をさせてもらうことにした。案内されたのは、閉鎖病棟の中でも一番静かな、個室が並ぶエリア。

見学が終わり、待合室で母と話す。
入院するなら、どの値段の部屋を選ぶか、何が必要か、何日くらい入院するのか…。
会話をしているうちに、だんだんと怖くなってきた。私がうつ病と診断されて4年目になるが、そのほとんどを、家の中で過ごした。人間関係が、家族内で収束している。半年に一度ほど、友人や高校時代の先輩と会ったりするが、それだって頻繁にあるわけではない。
おまけに、我が家はアパート暮らしなので、一人部屋というものを持ったことがない。全ての部屋が共有スペース。トイレ内だけが、唯一のプライベートな場所だった。


そんな私が、閉鎖病棟の個室に突然入れられて、生活できるのか?急な環境の変化についていけるのか?
今入院するとなると、年末年始にかかってくる。
当直の先生や、看護師さんの数も減るとのことだった。
そんな中で、私は不安を感じずにいられるのか?心を休めることができるのか?


私の中の天秤が、入院することのデメリットの方へ傾いた。
要は、ビビってしまったのだ。家族のいない場所で暮らすこと、そして、今得られている安心を手放して、慣れない環境に身を置くことのリスクに。


その後、結局主治医には、入院はせず、自宅で過ごすことを伝えた。
先生は、「あなたが自分で決断したことに大きな意味がある。とても良いことだと思いますよ」とおっしゃった。



しかし、今のままでは、苦しい毎日は変わらない。


そこで、私は実家暮らしをいいことに、こんなことをやってみることにした。
それは、手帳に「休み」の予定を毎日入れること。こうすれば、もともと休みの予定なのだから、何もできない日があっても、家事を家族に任せてしまっても、「今日は休日だから、大丈夫」と思えるのではないか?

もちろん、手伝える範囲で家事は手伝う。でも、無理はしない。できなくても良い。
散歩に行けたり、風呂に入れたり、歯を磨けたりしたら、加点をつけよう。
一日を振り返って、今日は気持ちを休められたと感じたら、手帳に丸を書こう。カレンダーに丸が続くことではなく、あくまでも、どれだけ一日を穏やかに過ごせたかを考えよう。


続けられるかは分からない。バツ印ばかりの手帳になるかもしれない。死にたい気持ちは簡単には消えないだろう。
もしそうだとしても、とにかくやってみようと思う。
「死にたい」を無くそうと考えなくて良い。ただ、過度に己を責める自分から、少しずつ距離をとろう。

一つ、何かを変えてみよう。積極的に「何もしない」をしよう。
今はきっと、それでいいんだ。そういう時期なんだ。うつ病を治すために、よく食べ、よく休むことが必要なんだ。


こんなふうに、ポジティブに考えられるのは今だけかもしれないけれど。

入院しないことを決断した水曜日。
そして、今の過ごし方を改めて考えた今日一日であった。

来年からの手帳。気持ちが明るくなるように、花柄にした。

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