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『翠子さんの日常は何かおかしい』第19話 閃き

 定時に会社を出た。程々に混雑した電車に揺られ、時田翠子は永瀬川ながせがわ駅に降り立つ。真っ直ぐには帰らず、コンビニエンスストアに立ち寄ってビールのロング缶を四本、それと定番の肴である裂きイカを購入した。
 住宅街の中を軽快に歩いてワンルームマンションに戻ってきた。自宅の扉を開けた瞬間、唐突に後ろを振り返る。
「迷わずに来られたようね。それと遠慮しないでいいわよ」
「今日は、よ、よろしく、お願い申し奉ります!」
「あんた、ホントにいつの時代の人間なのよ。今は亡霊だけどさ」
 柔らかい表情の翠子に半透明の仙石竜司は片方の頬を盛り上げて笑った。
 翠子が先に入って適当に革靴を脱いだ。歩きながらスーツのボタンを外し、ベッドに向かって上着を投げ捨てた。
 座卓の上に膨らんだビニール袋を置くと一つのクッションを指差す。
「あんたはここに座って」
「遠慮なく、失礼させていただきます!」
「だから、そんなのはいいって。今日は私の無理を聞いてくれたんだし。そうね、生前のような感じでいいわよ」
「じゃあ、その方向で」
 竜司はリーゼントを両手で挟むようにして後ろに流す。目に鋭さが戻り、白い特攻服が映えて見えた。
「そうそう」
 弾むような声で翠子は小ぢんまりとした食器棚に向かう。二つのコップを手にして竜司と向き合う形で座った。
「まずはビールよね」
 ロング缶を開けて早々と注ぎ込む。ふんわりとした新雪で蓋をされたようなコップを前に押し出す。
「……俺、この状態だから」
「いいじゃない。気分の問題よ」
 自身にも注いでコップを軽く打ち合わせた。
「カンパーイってことで」
「やっぱ、握るのは無理か」
 竜司は睨み付けたコップを何度も握るが擦り抜ける。握力の訓練をしている状態に陥った。
 その間に翠子は一気に飲み干して荒い息を吐いた。
「仕事のあとの一杯が堪らん!」
「本当に美味そうに飲んで。ま、いいけどよ」
「まあまあ、それで今日はあんたに訊きたいことがあるのよ」
 座卓に左肘を突いて身を乗り出す。ギラギラした目に竜司の背筋が伸びた。
「あんた、最近まで百鬼夜行ひゃっきやぎょうに加わっていたんだよね」
「そうだが、あれだぞ。仲間を売るような真似はできないからな。俺にも総長としての顔がある」
「そこまで非情じゃないわ。その行列にいた時に色々と歩いたよね。凶悪な亡霊や妖怪をどこかで見たことはない?」
 翠子は更に顔を近づける。竜司は深い思考を探るような表情で口を閉ざした。
「……見たことはあるっていうか、遭遇したな。俺がいた百鬼夜行と同じチームでこちらが道を譲った。族のように力関係があって、あの時は悔しい思いをしたぜ」
 自身の掌に拳を打ち付ける。ラップ現象とよく似た乾いた音が部屋に響く。
 翠子はガックリと首を折り、身を引っ込めた。新しいビールを開けてコップに注ぐと半分くらい飲んだ。ふぅ~、と消え入りそうな息を吐く。
「移動してたら探せないよねぇ。ぶん殴ることも無理か」
「姉御、どうして自ら喧嘩を売るんだ? 何の得にも……まさか、族の夢、全国制覇を狙っているのか!」
「なによ、それ。ちゃんと得はするんだから。この間は懸賞金の300万が……」
 飲む前から息が漏れた。竜司は労わるような目で顔を近づける。
「……懸賞金って?」
 翠子はコップのビールを飲み干した。踏ん切りが付いたのか。再び前のめりの姿となった。
「登録制なんだけど、懸賞金の掛かった者を退治するとお金が貰えるのよ」
「賞金稼ぎ! いいなぁ、俺の時代にはなかった職業だ。でも、姉御の腕っぷしの強さがわかった気がする」
「あのね、私は家の事情で登録できないのよ。だから資格を持っている人のお手伝いでお金を得ようと思ったんだけど、これが出会えないのよね~」
 翠子は裂きイカの袋を破った。手を突っ込んで掴んだ物を口に押し込む。虚ろな笑いで咀嚼そしゃくを始める。
 竜司は神妙な顔で腕を組んだ。
「それでタチの悪い連中を探しているのか。登録者は独自の情報を得ているんだろうな。一般にはわからないところで。探すには、どうすればいいんだろう。そうだ、姉御。300万ってなんの話だ?」
「……偶然なんだけど、私が退治した中にいたのよ。その懸賞金の額の悪霊が」
「それは痛いな」
「だよね。私はもう悔しくて」
 竜司は目を見開いた。慌てて顔を左右に振り始める。
「そうじゃなくて賞金稼ぎの方だって。姉御のせいで懸賞金がパーなんだぜ。300万は痛すぎるだろ」
「え、そっち? ん、そうなると……」
 翠子は胡坐を掻いて唸り始める。眼が薄い刃のように細くなった。
「あ、あの、姉御。俺、もしかして調子に乗り過ぎました?」
「……待つんじゃない。攻めればいいのよ! あんた、やるじゃない!」
「え、えええ!? あ、ありがとうございます?」
 突然の翠子の笑顔に竜司は中腰の姿勢となっていた。
「ほら、座って、座って」
 だらりと下げた右腕から赤銅色の極太の腕が現れた。竜司を押し潰すようにして押さえ付ける。
「おおおお、ま、待って! し、死ぬぅぅぅぅ!」
「やだなぁ。もう死んでるって」
 明るく返した翠子は左手でビールを飲んだ。豪快な飲みっぷりに相応しい胸のすくような笑顔であった。


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