徳永純二

コラム、エッセイ、小説、そして自由律俳句などを、過去、現在、未来、そして思いつくまま、…

徳永純二

コラム、エッセイ、小説、そして自由律俳句などを、過去、現在、未来、そして思いつくまま、気の向くままに、行方定めぬ、言葉の旅を続けています。

マガジン

  • あとで読む

    あとで読む記事をマガジンに保存しておくことができます。不要であれば、マガジンの削除も可能です。

最近の記事

コラム キャンプの思い出

 高校教師になって4年目の夏休みのことです。  その夏、学校ではキャンプが流行っていて、生徒たちの強い希望で、ぼくたち5,6人の若手教師が、クラスや部活動のキャンプを一手に引き受ける羽目になって。  ある教師が発案したのは、それぞれが違う場所でキャンプするのは、計画も実施も面倒だ、同じ場所へ行こう、しかも、公共の施設を借りることができれば省力化できるぞ、ということで、「なるほど、なるほど」と全員で納得。 「では、A島はどうだろう、定期船の便数も多いし、島の学校の前は広い砂浜が

    • 自由律俳句ー6

      それぞれに春の陽にくるまれて羅漢さま 老梅のくびれくびれよ 命の管よ 神様 もう盗まないで 残り少ない寿命ですから 言の葉に生きた証の濃淡あり 「ご破算に願いましては」とならないままに 枯れるまで反抗したかどくだみ茶 ぼくの道はひらがなばかり お変わりないですか あの約束は忘れません 達磨さんが転んだ ダークマターはどこじゃ

      • コラム 元気だったあの人が

         知人が大病で入院した、という。  その知人を共通して知っている人たちが、知人のことを話している。ともに、70代後半である。 「若い頃、スポーツ万能だった、あの人がねえ」 「5年ほど前に会ったとき、スポーツジムにも通っている、1日1万歩のウオーキングを欠かさない、と言っていたがねえ」  この会話をする二人は、今もほどほどに元気な人たちだ。普通の生活が、過去からこれまで、普通に継続している人たちだ。  彼らは、病気の苛酷さを知らない。  一夜にして、普通が逆転する老いの真相を知

        • 俳句でドラマ 3

          今回の「俳句でドラマ」は、次の自由律俳句が題材です。 干涸びたみみずのさいごの抵抗  瀬崎峰永 「だから言ったじゃないか」  徳永純二  ぼくが今いる場所は、ある農家の庭の端っこの、土の上に直接置かれた植木鉢です。  植木鉢には結構大ぶりのカネノナルキが植わっていて、ぼくはその鉢の底に住んでいます。  ぼくは普段は無口で、話し下手なんです。でも、昨日とても悲しい出来事があって、誰かに聞いてもらいたくて、こうやってしゃべっています。  こういう事態になるのは予想できたので

        コラム キャンプの思い出

        マガジン

        • あとで読む
          1本

        記事

          自由律俳句ー5

             死 相 ぼくの死相はまだ涅槃を知らないらしい 宇宙太陽系地球日本国大分県臼杵市大字海添字死相 死相を変換したらそこは永遠だった あの雲を千切って死相を作ってみたい 死相は「ぼく」と「生きる」の繋ぎ目 ぎょっとしたのは鏡の中の死相の方だった 「なんだか腹が減ったなあ」と死相が言ってるよ そーゆーのってぼくの死相らしくなーい ぼくの細胞のどこかに死相が寄生している 死相を保存パックに入れ拾得物として届けたい 死相の生年月日がぼくと同じだって 死相よゆ

          自由律俳句ー5

          コラム どうしようもない人たち  

           本当のことは言わないは、昔も今も  村上春樹さんはエッセイを書くに当たって、時事的な話題には触れないことを原則にしているとか。ぼくもそう考えておるのですが、最近、ええっ、ということがあまりにも続くので、ついつい。   ここのところの政局は、自由民主党の、政治資金パーティーの、キックバック不記載の問題が中心です。  マスコミ報道や政治倫理審査会の答弁などを聞いていると、かねてから行われてきたものであり、慣例にそって事務局が処理したもので、従って、派閥の事務総長や役員の代議士

          コラム どうしようもない人たち  

          コラム 匂い騒動事件

           今、匂いに悩んでいます。  世の中、特にコロナ禍で、匂いがわからなくなった、と悩んでいる方が大勢いるらしい。ところが、ぼくは匂いに敏感すぎて困っています。  特に、魚。食べる間は問題ないのです。おいしいのです。ところが、食後数分もすると、口中に魚臭が取り憑き、ぼくを悩ませるのです。  魚のほかに、焼肉、ふろふき大根、調理の油煙の残り香も。それに、デパートの化粧品売り場や、すれちがった女性の濃い香水も、NOです。  そんな時は、ていねいに歯磨きをします。ガムを噛みます。のど飴

          コラム 匂い騒動事件

          俳句でドラマ 2

           今回で2回目の「俳句でドラマ」。  1回目でご説明いたしましたが、この「ドラマ」の趣旨はお分かりいただけましたでしょうか。まだまだですよね。なんたって、2回目ですからねえ。  で、簡単に、もう一度。  ぼくは、人様の俳句を読んでいると、やたらと、ぼくの頭の中にドラマが浮かんでくる作品があるんです。それを、さっとすくい上げて、短い文に仕立てる。これが、結構、快感なのです。寄席の大喜利で、お題をいただいて、お客様にも、自分にも、「うーん、なるほどね」という回答ができた噺家さんの

          俳句でドラマ 2

          自由律俳句ー4

          あの日も月を見ていた 少年のぼくと決別した日 端役にもなりきれず でもそれらしいふうをして 最後までつつましく善人のままで ひょいと出てきた陽水を一日中口ずさんでいる 飲んで来し方 酔って行く末 大阪の串揚げ屋の夫婦は同郷の人だったよ 背中が寒い だから言っておきたいことがある

          自由律俳句ー4

          俳句でドラマ 1               

           さてさて、みなさま。ぼくは、自由律俳句の作品をモチーフにした、短いドラマを書いています。  題材にさせてもらうのは、他人様の自由律俳句です。  北九州市に「新墾(にいはり)」という自由律俳句を定期発行している結社があります。その「新墾」の機関誌に発表された作品の中から一句を選び、短いドラマに仕立てます。10数年前から続いています。  ぼくがこのドラマを発想したのは、俳句は、原作者の句想をこえて、読者を無限で、自由なポエムの世界にいざなってくれる文学だ、と日ごろ思っているから

          俳句でドラマ 1               

          ぼくのエポックメイキングを回想するー3

           今日は、2つのことを書きます。  ぼくが小学6年生だったかなあ、戦争が終わって7,8年たっていたころの話です。  取るに足らないことのようだが、なぜか、ぼくの心から離れないのです。  共通するのは、父親が経営していた小さな鉄工所に関連することです。ですから、まず、その工場(こうじょう、ではなく、こうば)のことから書きます。  当時、私の父は漁船の鉄鋼部品を製作する小さな鉄工所を経営していました。経営といっても、従業員10数人の、零細な町工場です。戦前に、四国から九州にやっ

          ぼくのエポックメイキングを回想するー3

          自由律俳句ー3

          百万画素でソーラーの防犯カメラに孫の万歳 右折しても左折しても だれにも死因はある 父母の墓を洗う 深爪痛い ChatGTPに「おれはだれ?」と打って、消去 飽食の街にもひとつ冬の月

          自由律俳句ー3

          コラム 夕涼みの景色があった頃

           ぼくの家は港に近い橋のたもとにあるので、夏になると、毎夕、橋の欄干あたりに、だれかれなく寄ってきて、四方山話に花を咲かせておりました。  浴衣やランニング&ステテコのおっちゃん、台所を終えたアッパッパのおばちゃんたち、それに若い者も、子どももまじって、うちわを片手に三々五々涼を求めて集まる、が日常であった頃のお話です。  1965年だったと思います。ぼくが高校教師になった1年目の夏のことです。  その日の橋の欄干には、14,5人は、いたかなあ。    そこへ、ぼくたちの前、

          コラム 夕涼みの景色があった頃

          自由律俳句ー2

          ギーギーゴットン私の命が回ってる 向かい風でも私は人生肯定派 おーい波よヘミングウェイの海に連れて行け 冬の月銀河渺渺として粛として         渺渺 → 広くて果てしないさま 吐く息と吸う息のつなぎ目で生きている        

          自由律俳句ー2

          コラム 「ぼく」、でいいのか

           ぼくはこれまでにエッセイ集を3冊出しています。なに、「出しています」というほどのシロモノじゃあありません。どれも、頭に浮かぶよしなしごとを、つたない文章でつづった、軽ーい読み物であります。  ところが、それぞれを出版するたびに、「大分合同新聞」の読書欄やコラムで紹介されまして、地方新聞というのは、地元では中央紙をはるかにしのぐ発行部数がありますので、おかげでボチボチ売れたのです。  特に、2冊目のエッセイは、出版元の予想を超える売れ行きで、なんと2版を出すことに。書き手にと

          コラム 「ぼく」、でいいのか

          ぼくのエポックメイキングを回想する-2

           今回は、ぼくのエポックメイキングと言っても、これって言うほどのものじゃないのですが、生まれてからこれまで、このことを意識しなかったことはなかったもの、ということで。  結論的にいうと、「健康」について、もっと手っ取り早くいうと、「虚弱な身体」について、です。  ①でお話したように、ぼくが生まれたのは1941年(昭和16年)。身内からも、世間様からも祝福されてこの世に出てまいったのですが、なんといっても、戦時の真っ只中、意気上がるのはスローガンばかりで、一部を除く国民の生活は

          ぼくのエポックメイキングを回想する-2