俳句でドラマ 1
さてさて、みなさま。ぼくは、自由律俳句の作品をモチーフにした、短いドラマを書いています。
題材にさせてもらうのは、他人様の自由律俳句です。
北九州市に「新墾(にいはり)」という自由律俳句を定期発行している結社があります。その「新墾」の機関誌に発表された作品の中から一句を選び、短いドラマに仕立てます。10数年前から続いています。
ぼくがこのドラマを発想したのは、俳句は、原作者の句想をこえて、読者を無限で、自由なポエムの世界にいざなってくれる文学だ、と日ごろ思っているからです。
今回ご紹介するのは、坂田隆輔さんの作品から発想したドラマです。くどいようですが、坂田さんが自由律句にこめた詩的感興とはまったく関係ありません。念のため。
前置きが長くなりました。では。
秋風よ無頼の父のオムツ買う 坂田隆輔
「しなびたクリカラモンモン」 徳永純二
アンタの紙パンツ、ここに置くよ。これだって安くはないないんだから、大事に使いなよ。なるべく間に合うようにトイレに行くんだぜ。
今は杖をついて歩けるから、なんとか2人で暮らせるが、それもできなくなりゃあ、アンタをどこかの施設に預かってもらうしか、ないんだからな。
がんばって、今を維持しようぜ。
74歳のオレだって、95歳のアンタに、飯を作って食わせて、風呂に入れる、それだけで精一杯さ。
まあ、愚痴はよそう、オレの気分が落ち込むだけだ。
それにしても、アンタの背中を流すたびに、かつての、あの、剣を片手にえばっていた倶利迦羅竜王の入れ墨の張りがなくなっちゃって、フニャフニャモンモンになっちゃって、思わず涙が出ちゃうよ。
九州一円の賭場は、オレたちが仕切ってみせます、なんて粋がっていたオヤジが、この体たらくかと思うと、カアサンとオレの、70年間の恨みをどこへもっていけばいいんだろうね。
話を聞けば、アンタも、お国のために死ぬんだと、がんばったっていうじゃないか。ところが、「さあ、出陣」という直前に終戦。その後は、予科練崩れの最悪のコースを歩んだわけで、社会のあぶれ者、はみ出し者、無用の者という目で見られ、アウトローに堕ちる道しかなかった、無頼の徒として生きるしかなかったと、カアサンから聞いたのは、ずいぶん後のことだ。
その話を聞いたときは、ああそうだったのかと、ちっとは同情心もわいたもんだが、それまではアンタを恨むばかりだったよ。
カアサンとオレは、「あいつらはヤクザの女房と息子だ」と、ずっと世間様から冷たい目で見られきた。たまりかねたカアサンは、オレの将来のために決心した。アンタから逃げるしかないと、ね、その後、転々として、この町に来たんだ。
結局、オレは所帯をもてず、カアサンと2人暮らしだった。カアサンを看取ったあとは、みじめな1人暮らしさ。
そこへ、3年前、だれに訊いたか、オレの居場所を嗅ぎつけて、アンタが転がり込んできたというわけだ。
なんやかんやあったが、結局、オレはアンタを受け入れた。
すげなくできなかったのは、同じ血が流れている親子だからだ。
こんなあんなも、今じゃ半分認知のアンタの耳にはほとんど届かない。まあ、かえってその方がいいのかもしれない。
おたがいがまともじゃあ、いたたまれないからね。
オヤジ、もう一度、言うぜ。紙パンツは大事に使うんだぜ。いいな。
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