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常に頭から離れないテーマ:”生きる”って何だろう。


生きるって何?
どうゆうこと?



そんなこと考えて意味あるの?ってことを
考えずにはいられない私。



だから、

社会と私の間にズレを感じるたび、

自分には価値のない人間だ。
生きてたってしょうがない。

毎回毎回。そう思っていた。


でもだからって、
死のう。そうともなり切れない意気地なしの私。

そんなモヤモヤとして気持ちを
なんとかなんとか誤魔化し続けてきたし、


だからこそ、
なにか私は為さなければならない。

そうすればこのモヤモヤともおさらばできるのでは。
そう思ってきた。


焦燥感「何かを為さないと。」


幸か不幸か、
ギフテッドネスと言って良いのかはわからないけれど、
大抵のことは人よりも上手くこなすことができる。


せっかくその能力があるのならば、
なにか意味のあることを成さないと。

その能力が、私の焦燥感を加速させた。


けど、子どもの頃の私から見えていた世界は非常に限られたもので、

焦燥感を解消する、つまり、
自分が何かを為していくための道筋を見出すには、

しらないことが多すぎた。
(調べろよって話なのだが、何から知ればいいのかもわからなかった)


だから私の人生、くねくね。

無駄なことをきっといっぱいしている。


って、私は思っているのだけれど、
周囲からの評価は逆。

すごいね。すごいね。


ちがう。私は努力してない。
なのに。なんで褒められているんだろう。

そういう褒められ方に対してうれしさを感じられないようになっていった。


たぶん私は、人生に対して、
生きることに対して、

他者からの評価より、
自分の納得や満足が欲しかったのだ。


自分にわがままに生きる。


1,2年ほど前に方向転換。
思い切って”わがまま”を心がけることにした。


自分が楽しいって思えることを大切に。

自分かやりたいって思えることを大切に。


当たり前なことのように思えるけれど、これが案外当たり前ではなかったことに気づく。


がまんを美徳のように感じていたけれど、


自分くらいは、自分のこと甘やかしてやらないと、


他にだれが甘やかしてくれるんだろう。


そう考えるようになってから、

何か意味を成さないとという焦燥感に駆られることが減った
(もちろん今でもその感情に襲われることもあるが)。


終わりのある人生の消化法


人生は有限だ。

限られたものであるならば、

自分が幸せな気持ちでいられる時間をなるべく長く過ごしたいものだ。

誰かのために、社会のために、何かしなきゃという気持ちももちろんある。

けど、

自分1人を幸せにできない人間が、
他者を幸せにできるだろうか。


なんかすごく綺麗事を言っている気もするが、
今はそう考えることで気持ちが割と落ち着いている。


ギフテッドなら、なにかすごいことやってみなよって、そうやって言ってくださる人がたまーにいらっしゃるが、

なんであなたのものさしで評価されないといけないのか。


私は私のものさしで自分を評価する。


私の人生は私のものだし、

能力があるから人のために使うべきだ、なんて
私という個人が尊重されていない考え、

そんなものに飲まれてたまるか。



つらつらと書いてしまいましたが、
誰かに届けというメッセージというよりも、
今後も生きることにたくさん迷うであろう自分へのメッセージ。


さて、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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では。


どいあやみ。

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