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東日本大震災と子育て① 地震発生・初めて体験する震度5強

【2020年3月11日(金) 地震発生当日:東京にて】
娘は当時生まれて3か月ほど。午前中は春のやわらかい陽の中、抱っこして近所をお散歩しました。近くの保育園では卒園式が行われていたようです。

午後、生まれて数ヵ月の娘を床に寝かせて、全身に保湿クリームを塗っている時でした。ゆっくりぐわんぐわんと揺れ出したと思うとだんだん揺れが大きくなり、私は脱がせてあった服で娘をくるみ、壁に身を寄せてなすすべもなく立っていました。

テレビを支えている脚が左右交互に台から浮くように大きく揺れ、ミシミシという聞いたことのない音が辺りから聞こえます。ローテーブルに置かれたポテトチップスの筒も大きく揺れています。

体感で3分ほど揺れていたでしょうか。初めて経験する震度5強に、揺れがおさまった後も心臓はバクバク鳴ったまま、怖くてたまりませんでした。地震対策に低い家具しかおいていなかったため、上から倒れてくる恐れはなかったのですが、胸ほどの高さの窓辺に置いてあった鉢植えが落ちてソファの上に散らばっていました。

ガスの元栓を閉め部屋のドアを開けたりしてから、小さな我が子を胸に抱えてソファに座りテレビをつけます。携帯電話も不通になり、余震の中不安で仕方ありませんでした。そして数時間後に現実のものとは思えない光景を目にしました。テレビに映るライブ映像で田畑が、家が、道が、津波に飲み込まれていきます。解説者も言葉にならない声を出していました。ヘリコプターから俯瞰している映像の中には、波に飲まれるあの橋の上には、車や家の中には…。お昼寝をする我が子をお守りのように胸に抱いたまま画面を見つめ、言葉が出ませんでした。

夕方になり夫の家族が車で迎えに来てくれました。娘を抱っこひもで抱え、衣類とおむつと貴重品をカバンにまとめて持ちます。都内の道は大渋滞。隣の区にも関わらず暗くなりようやく夫の実家に到着し、一旦そこに身を寄せることになりました。

携帯からひっきりなく鳴り響く災害アラームと余震に怯えながら過ごした夜。普段めったに泣かない娘が、環境の変化を敏感に感じとり、その夜はギャンギャン泣いていました。余震があのときのようにまた大きくなっていくんじゃないかと、怖くてたまりませんでした。

~その日の日記より~
「娘がいたからひとりじゃなくて耐えられた。でもこわいものはこわかった。」


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東日本大震災と子育て③ 子どもであふれかえる新幹線で東京を後にする
東日本大震災と子育て④ 帰省後の穏やかな生活と帰宅後の現実

東日本大震災後の子育てをひも解く
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0歳児の子育て日記 ~2011年~

原発のことなどで先の見えない日々でしたが、初めて食べたもの、初めて話した言葉、明るい言葉や喜びがたくさん記録されています。
コロナ禍を子育てされる方へのエールになりますように^^

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