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東日本大震災と子育て③ 子どもであふれかえる新幹線で東京を後にする


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東日本大震災と子育て① 地震発生・初めて体験する震度5強
東日本大震災と子育て② 原発爆発・遠い場所の話が自分のことになるまで

【3月15日(火) 】
その後再び夫の実家へ身を寄せて過ごしていました。福島第一原発の爆発後、放射能に関する報道が連日行われていました。

昼間に夫から連絡があり、赤ちゃんへの影響が心配だからと、急遽私の実家へ子どもを連れて帰ることになりました。

「今から娘を連れて実家に帰ります」急なことに驚きを隠せない義母に事情を説明し、お世話になったお礼を伝えると、自宅から持ってきていた手荷物ひとつで出発しました。当時はベビーカーをまだ持っていなかったので、抱っこでの移動です。義母は送っていけないからと、交通費を持たせてくれました。

駅についたものの、新幹線の指定席は数時間後まで満席。子どもを連れて長時間駅で過ごすことは出来ないと判断し、かろうじて空いていたグリーン車の指定席を予約しました。

人生初のグリーン車。隣の席はスーツ姿の男性でした。平日、昼間のグリーン車です。普段は空いた車内でリラックスして過ごすのでしょう。しかしその時は違いました。子どもであふれかえり、通路には座っていられずに歩きまわる子もいます。まるで保育園のように、小さな子どもたちの声で賑わう車内。しかしそこには大人たちの心からの笑みや余裕は感じられず、緊迫感が漂っていました。

「みんな逃げるんだ…。」

今まで感じたことのないなにかを感じていました。恐怖?焦り?感じたことのないなにか。起きてはいけないことが起こったんだ。戦時中の疎開を思い出していました。

途中でお昼寝から目が覚めた娘はご機嫌でした。その頃の娘は「きゃぁきゃぁ」とかん高い声を出すのがブームでした。何度も何度も声を出しては喜んでいます。当時、しつけをとても気にしていた私は、隣で目を閉じている男性になんだか申し訳ない気持ちでいっぱいでした。30分ほど「きゃぁきゃぁ」タイムが続き、下車する時に「大きな声を出してすみませんでした」と隣の男性にお詫びすると、全然問題ないですよ、といった様子でお返事を下さって、ほっとしました。

「みなさん、お気をつけて。」そんな気持ちで新幹線を後にしました。絶対といえる確信があって出てきた訳じゃない。お世話になったお義母さんにちゃんとした説明もできなかった。けれど「子どもを連れて東京を後にするのは私だけじゃない」と安心させていただきました。

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東日本大震災と子育て④ 帰省後の穏やかな生活と帰宅後の現実


東日本大震災後1年間の子育てをひも解いていく
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0歳児の子育て日記 ~2011年~

原発のことなどで先の見えない日々でしたが、初めて食べたもの、初めて話した言葉、明るい言葉や喜びがたくさん記録されています。
コロナ禍を子育てされる方へのエールになりますように^^

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