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東日本大震災と子育て④ 帰省後の穏やかな生活と帰宅後の現実

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東日本大震災と子育て① 地震発生・初めて体験する震度5強
東日本大震災と子育て② 原発爆発・遠い場所の話が自分のことになるまで
東日本大震災と子育て③ 子どもであふれかえる新幹線で東京を後にする

【3月15日(火) 夜:実家にて】
急に帰ってきたことを知らない仕事帰りのじーじを驚かせよう。実家に到着した私はソファに座り、その影に娘を座らせました。
帰ってきて驚いた様子のじーじ。

「あれっ!帰ってきたの?」
そしてその影にいる娘を見つけて

「どこの子?」

じーじのおとぼけ発言にみんなで笑いました。

数時間前まで、子どもの賑やかさとは対象に張りつめた空気の車内にいた私たちです。実家はまるで別世界のように穏やかな時間が流れていました。

~その日の日記より~
「帰る場所はすごく大切だと思った。日曜の夜からひととき(自宅に)帰ったけど、ホッとひといきつけた。居心地のよい場所をつくりたいと思うと同時に、それを一瞬にして失った人の悲しみはどれほどのものだろうと思った。」

翌日からここ数日の緊張した生活が嘘だったかのような穏やかな生活が始まりました。余震や放射能の不安から離れたことで、私の気持ちが落ち着いたのはとても大きかったと思います。娘も帰省した夜から泣くこともなく、夜中に1度起きるだけの生活に戻りました。

その後、おむつやミネラルウォーターが売りきれているお店が目立ちました。関東方面に住む人へ送ってあげているのかな、と話したことを覚えています。長野でも大きな地震が起こり、実家でも余震を体験して避難してきたけれどここも一緒なのかと不安になりました。いつ帰ることができるか分からないまま日々を過ごし、防災用品を準備したり、放射能の事を調べたり、数か月後には離乳食も始まりました。あっという間に成長していく時期をパパと離れて過ごすことは残念でしたが、目に見えないものへの不安からは解放され、母子ともに穏やかに過ごすことができました。

その後7か月ほどを実家で過ごし、秋に東京へ帰りました。しかし、東京へ帰ったからと言って安心な日々を過ごしていたかというとそうではありません。線量計でベランダの放射線量を計測すると高めの数値が出たため洗濯は室内干しにしたり、屋外には除染されていない放射性物質があるため娘を屋外で歩かせたのもだいぶ後になってからでした。大気、水、子どもの食べるもの…。様々なものに気を配る生活がずっと続きました。

東日本大震災によって私自身の生き方や子育てが大きく変わりました。10年がたち、今はコロナ禍での子育てを体験しています。小さなお子さんや初めてのお子さんがいらっしゃる親御さんは特に、たくさんのことを考え選択していく必要があり、その責任の重さを感じられているのではないでしょうか。私も東日本大震災後に様々な情報があり、何を信じていいかも分からない中での子育てを経験しました。そこには現在のコロナ禍と通ずる部分を感じています。

子育ても10年がたち、折り返しを過ぎました。当時書き留めていた娘の成長記録を、これからnoteで振り返っていきます。娘も私も今、元気で生きていられることは本当に幸せです。読んでいただきありがとうございます^^

東日本大震災後の子育てをひも解いていく
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0歳児の子育て日記 ~2011年~

原発のことなどで先の見えない日々でしたが、初めて食べたもの、初めて話した言葉、明るい言葉や喜びがたくさん記録されています。
コロナ禍を子育てされる方へのエールになりますように^^

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