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#3 辛いことがあった時.....

最近、有名な芸能人が自殺をしてしまうニュースが立て続けに続いた。

周りは「どんなことがあっても、死という選択をしなくてもいいのに」、「生きていれば、やり直しが効くのに」と思う人が多い感じる。
もちろん、僕は正論だと思う。死んでしまえば、そこで時が止まってしまい、前に進むことができないと思うし、生きていればどん底人生であっても、好転する機会は必ず訪れる考えている。しかし、追い詰められてる人ほど、死という選択をしやすくなっているように感じる。
「もう楽になりたい」、「自分がいなくなった方が上手くいく」、「こんな自分がいないほうがいい」…etc.
こう考えてしまうのだろう。でも、それぞれ死という選択をした人の理由は一生わかるはずもない。しかし、追い詰められてる人ほど、打ち明けないものだ…。

死を選択する人の共通点として考えられることがある。
「本音を吐き出すことがない」
「本当の自分を晒すことが苦手」
「使命感が強い」

どれも、根が優しすぎる人に多いのかなって思う。
ぼくは、上記3つ全て当てはまる人間である。でも、辛い時はもちろん過去にたくさんあったけど、決して「死」を選択することはなかった。

辛いことがあればあるほど、人に言えなくなる。なぜなら、余計に心配をかけてしまうから。
本当の自分を晒すことで、周りから幻滅され、人が離れていってしまうと思ってるから。
周りから求められている期待に期待以上で応えないと、周りに認めてくれないと思うから。

あくまでも、ぼくの中で思ってたことだ。
これらを強く思えば思うほど、胸が締め付けられる感覚に駆られ、心に余裕が無くなる。
心に余裕が無いほど「死」という選択をしてしまうのだと思う。
でも、「死」という選択をしないためにしていたことを書いてみようと思う。

① 自分の現状を吐き出す機会を設ける

これは、重要事項の1つだと思っている。よく聞くと思うけど、自分の中でストレスが貯めたままにしておくと、どんどん精神的に苦しくなってきて、気力が失われていく。ぼくも経験したことで、精神的に病めば病むほど、駅のホームで線路を見た瞬間に吸い寄せられていく感覚があり、「落ちたら、一瞬の痛みを感じるだけで、あとは楽になれるのかなぁ?」と思うことが常にあった。
友人と話す機会があると、ストレスがかかっている中でも、一時的に紛らわすことができて、少しは楽になれる感覚があった。
どんなにしょうもないことでも良いから、とにかく人と話す機会を設けれ
ば、少しでも「死」という選択肢を選ぶ確率は下がると思う。

② 自分と周りを比較しない!

自分と周りを比較してしまうからこそ、自分に対する自信を失い、劣等感を持つのだ。周りと比較したところで、ガラッと好転するわけでもないし、自分らしさを失っていくことにつながる。周りは、その人と心からつながりたい、つながっていたいと思っているからこそ連絡を取り合うわけであり、友人関係を築くことができる。ましてや、その人に対して、いい人でいて欲しいとか、人間レベル同等でいて欲しいなど思っている人は存在しないし、そう思っている人は友人ではないと言っても過言ではない。その人の友人はその人らしさに魅力や敬意を感じているのだから、「周りは周り、自分は自分」と割り切って、生きていって欲しい。


③ 完璧を求めない

周りからかけられている期待に応えるべく、必要以上の労力を費やし、常に完璧以上のクオリティーの人になろうと努力する人がいるかもしれない。もちろん、期待に応えるべく、労力を費やすことは良いことだが、完璧にこなそうとする必要はない。テストでも、100点を取らなくても及第点をクリアしていれば文句は言われない。だからといって、手を抜くということではない。自分の中でやれる事をやったうえで、100点取れなくても及第点取れてればいいということである。何かの代表者など、リーダー的ポジションを務める時があった際、やれる事全てやったうえで、失敗したとしてもリーダー的ポジションに抜擢した人間が悪いという風に考えれば気楽にはなれるだろう。
また、人間誰しもが得手不得手を持っている。自分の得意なことをとことん追求して欲しい。全部が高スペックの人間なんてそうそういないのだから。
野球選手だって、走攻守3拍子揃っている選手ばかりがいるわけではない。
レギュラー選手でも、打撃力は弱いけど、走塁部分において秀でてる人もいれば、守備走塁は劣っているけど、ホームランを30本打ってる人もいる。
自分の得意なことを磨いていけば、やがてその人らしさになる。
全てにおいて、高スペックを求めるのではなく、自分の得意なことを磨くことに重視して欲しい。


④ プライベートの時間を作る

要は、気を紛らわす機会を設けるということだ。気を紛らわす時間が無ければ、思い詰めてしまうだろう。好きなことをするのもよし、誰かへのプレゼントを探しに行ってみるのも良いだろう。とにかく、辛いことから目を逸らす瞬間はあった方が、精神衛生上、得策だろう。


⑤ どん底の先は必ず上向くだろうと信じる

過去の人生を振り返ってみてほしい。今まで、ずっとどん底だったり、ずっと絶好調だった人はいないに等しいだろう。人間必ずしも、どん底の先には好調に上向いて、好調の先にはどん底があり、波のような人生を歩んできていると思う。そこで、辛いことがあったとしても、この先には必ず光が差すだろうと信じてみてほしい。この先に好調の未来があるとするならば、「死」を選択するのはとても惜しいだろう。


ここまで、自分が辛いことはあった時の対処法を書いてきたが、万人受けする方法ではない。自分の中で、自分なりの対処法を見つけるのが、一番の良薬である。自分なりの対処法を見つけるうえでの手がかりにしてもらえればと思う。

最後に、どんなに辛いことがあったとしても、「死」を選択しなければ、この先良いことが必ずあるだろう。それは1ヶ月後かもしれないし、1年後かもしれないし、100年後かもしれないし、誰もが予想できることではない。でも、生きていれば良いことに遭遇できるチャンスが必ず訪れる。
辛いことがあったとしても、良いことに遭遇するための準備期間であり、耐える時であると思って、今日もこれからも生きていってほしいと思う今日この頃…。

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