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5日間普通列車だけで日本縦断した話-1日目

こんにちは。ゲンキです。

今回の記事は昨年3月に「5日間普通列車だけで日本縦断」した時の旅行記的なものになります。
ツイッター等には一切告知せずひっそりと旅していたのですが、そろそろ実施から1年になるので良いタイミングだし一度まとめておこうと思います。

・ルートと切符

まずは今回の旅の概要を説明します。

出発点は鹿児島県、日本最南端の終着駅「枕崎(まくらざき)駅」。ゴールは北海道、日本最北端の終着駅「稚内(わっかない)駅」。その距離なんと3000キロオーバー。

ルートはこんな感じ。

経由:指宿枕崎線・鹿児島本線・日豊本線・鹿児島本線・山陽本線・東海道本線・東北本線・仙山線・奥羽本線・津軽線・北海道新幹線・道南いさりび鉄道線・函館本線・宗谷本線

使用するのは青春18きっぷ1枚。5日間JR全線の普通列車が乗り放題になる超お得なフリー切符。今回はこの切符を限界まで使い倒し、JRの端から端まで普通列車だけで行ってしまおうというふざけた行程になっております。(先に言っておきますが、途中やむを得ない事情で特急と新幹線を使いました。いきなりタイトル破綻してますがどうかお付き合いください…)

また、ここで紹介する行程は2022年3月(ダイヤ改正後)時点のものなので現在とは一部異なっています。ご了承ください。

それでは早速本編へどうぞ!



1日目 枕崎駅

早朝5時半に起床。枕崎のシティホテル福住に前泊していた僕は、いよいよこの日が来たとワクワクしていた。荷造りを終え、ホテルの部屋を出てフロントへ向かう。
さあついに出発の時だ!!!!

!?

えげつない土砂降りだった。
ホテルの優れた防音性のおかげで部屋は静寂そのもの、この瞬間まで荒天に全く気付かなかったのだ。なんだこれは天変地異か。すぐそこにある海をひっくり返したようなめちゃくちゃな勢いで雨が降っている。列車の発車まであまり時間がない。「マジで…?」と思いつつ、全く役に立たなさそうな小さい折り畳み傘を差して雨中に飛び込んだ。

駅まで地味に遠い

絵だから誇張してると思われるかもしれないが、本当にこのぐらい降ってた。道路は既に道路ではなく、建物と建物の間を流れる川を突き進む。数歩で靴が浸水し、スーツケースが船のような航跡を引いている。しかも僕のスーツケースは布製なので水を吸ってどんどん重くなる。体力が奪われていく……

枕崎駅・キハ47形

なんとか枕崎駅に到着。こんな豪雨の中でも列車はちゃんとホームに停まっていた。枕崎駅は全国のJRの中でも一番南にある終着駅であり、この先に続く線路はない。沖縄にはモノレールがあるが、普通鉄道としてはここが日本最南端である。今から反対側の端っこ、北海道の稚内駅を目指す。

第1列車 6:04発 普通 鹿児島中央行き

列車は時間通りに発車。古いディーゼルカーの2両編成。連結部に一番近いボックス席を確保し、とにかくティッシュで荷物や体に染み込んだ雨水を拭いていく。持ってきたポケットティッシュはすぐに空になり、また別のティッシュで水を吸い取る。幸い車内にゴミ箱が設置してあったのでそこに捨てることができた。一通り拭いたところで持ち物を壁のフックに引っ掛けて干してみるが、どう見ても乾きそうにない。ぐじょぐじょの靴下が気持ち悪い。

キハ47形の車内

しばらくすると地元の学生たちが乗り込んできた。外を見ると送迎の車が何台か停まっている。まだ6時台だが、本数が極めて少ないので必ずこの列車に乗らないといけないのだろう。こんな雨の中、子どもも親御さんも大変だ。

だんだんと窓の外が明るくなってきたが、雨は相変わらず降り続けている。列車は「西大山」という駅に停車。ここは正真正銘「JR日本最南端」の駅であり、枕崎駅よりもさらに南に位置している。前日ここに訪れた際、開聞岳をバックに記念碑と列車を写真に収めようとしたら、同じく観光で訪れていた奥様方御一行が綺麗にフレームインしてしまった。うわあ良い笑顔…

西大山駅

結果的にこの写真はとても気に入っている。あまりにも良い写真なので、ご本人に連絡できたらぜひとも送って差し上げたい。この西大山駅からも何人かの学生、そして旅人と思しき男性も一人乗り込んできた。ここまで南西に進んできた列車は、まもなく北に進路を向ける。

温泉地として名高い指宿を通過し、列車は通勤ラッシュに突入。車内は通勤客と学生であっという間に満員状態。と思ったら、とある駅で制服集団がごっそり降りていった。車窓には学校が見えたので、おそらくそこに通う生徒たちだったのだろう。最果てのローカル線で1時間、なんともたくましい通学路だ。


指宿枕崎線から眺める錦江湾(雨)

晴れていれば錦江湾の向こうに桜島が望めるはずだが、雨が強すぎてなんも見えない。だんだん沿線に建物が増え、街が近づいてきたことがわかる。もうすぐこの列車の終点、鹿児島中央駅だ。ここまでで既に3時間近く乗車してきた。

第2列車 9:00発 普通 宮崎行き

817系

改札で18きっぷに今日の分のスタンプを押してもらい、間髪入れずに次の列車に乗り継ぐ。ここからは日豊本線で九州の東側を通っていくルートだ。
列車は海のすぐ近くを走っていく。引き続き天気は悪いままだが、電車は大きく遅れることもなく順調に走ってくれて頼もしい。

1日目のスタンプは鹿児島中央駅

隼人、霧島などの街を通り、山間区間を抜けて宮崎県に入った。通勤ラッシュも終わり、ゆったりとした雰囲気で列車に揺られる。雨もようやく止んできた。田園と一軒家、その向こうに山が広がる景色が続く。この日は3月中旬、沿線にはもう菜の花や桜が咲き始めて春の始まりを告げていた。実際九州に入ってからはかなり暖かく、持ってきたジャンパーもほとんど出番がない。しかしこれから向かうのはまだまだ真冬の北海道。一体どれほど季節の差があるのだろうか。

大淀川

車窓に建物が増えるにつれて乗客も増える。川幅の広い大淀川を渡り、列車は宮崎駅に到着。ここで昼食を買うことにした。


第3列車 11:57発 普通 延岡行き

またも817系

どんどん行こう。ここからは日向灘に沿ってさらに北上する。
時計は昼の12時を周り、宮崎市街を抜けると車窓に再び海が現れた。今朝の土砂降りが嘘のように空には晴れ間が覗き、しばらくの間砂浜の風景とオーシャンビューを楽しむことができた。

日向灘


列車が海から離れ、なんとなく進行方向右側に目をやると、謎の高架橋が線路に並行して設置されているのに気付いた。その時思い出したが、これはかつて「リニア実験線」として使われていた線路の廃線跡だ。今はリニア実験線といえば山梨県にあるが、それよりも前には宮崎県に存在していたのだ。僕が小学生の頃には大阪の弁天町に交通科学博物館があり、祖父に連れられてよく「マグレブ」を見に行ったものだ。その「マグレブ」車両は正式名称をML500といい、今は東京で保存されているらしい。無人運転のため窓がなく、全体の形状も丸みを帯びていてどことなくUFOっぽかったのを覚えている。

リニア実験線跡

と、ここで車内にある異変が起こっていた。なんだかものすごく臭いのだ。
それはまるで夏の汗が染み込んだ服を洗濯して部屋干ししたら生乾きになった時のような臭いだった。迷惑だなあと思いつつ、そういえば車内も比較的空いているから今のうちに朝の雨で濡れたままの靴下を履き替えることにした。

そして靴下を履き替えた途端、あんなに酷かった臭いがピタリと止んだ。これはつまり………あんまり考えたくなかったけど…………。

悪臭の原因は僕の足でした。マジですいません。

これをお読みの皆さんもぜひ普段から予備の靴下を一足持ち歩き、雨に濡れたら乾くのを待つ前に早く履き替えましょう。その方が絶対良いです。

自分で描いてて惨めになった



靴下のことはさておき、おもしろ駅名を発見。
となりの…

作品には一切関係ないが、現地にはトトロにあやかった店名などが複数ある

そうこうしているうちに、列車は宮崎県北部の主要都市・延岡に到着。

さて、ここからが問題なわけだ。
宮崎県から大分県に抜けるにあたって、「宗太郎峠(そうたろうとうげ)」という険しい山々を越えて行かねばならない。しかしこの区間の普通列車は驚愕の1日1.5往復。北へ向かう普通列車は朝晩合わせて2本、南へ向かう普通列車は朝の1本のみ。これが日本一早い終電である。

実はこれ以外の鉄道ルートを以ってしても、2022〜23年現在、5日間以内に18きっぷだけで日本縦断することは不可能となっている。理由はこの宗太郎峠、災害運休、新幹線開業による営業分離などなど。

「宗太郎峠には普通列車が少ないから18きっぷで特急に乗ってもいいよ〜」なんて甘いことはなく、18きっぷでこの難所を越えるには20時台の普通列車を待たなければならない。しかしそんなことをしていては間に合わない。かくなる上は……


第4列車 13:39発 特急にちりん12号 大分行き

『特急』

タイトル破綻!!!!!

どうしても無理なので、開き直って特急が次に停まる佐伯(さいき)駅までの分だけ乗車券と特急券を買って助けてもらうことにした。
さすが特急の車内は快適だ。半日近く普通列車に乗ってきたからなおさら…と言いたいところだが、実際それほどは疲れていなかった。普通列車も十分に快適だったし、僕がハードな旅に慣れすぎているせいかもしれない。どちらにしてもまだ1日目の昼だ。先は長い。

787系の車内

ここで遅めの昼ごはんを頂くことにした。
宮崎駅で買った「元祖椎茸めし」。正直キノコはあまり得意ではなかったのだが、この椎茸めしは衝撃的な美味さだった。「あれ、椎茸ってこんな美味しかったっけ!?」とビックリしながら食べた。間違いなく人生で一番のキノコ料理。これからというもの、料理に椎茸が入っていると若干嬉しくなってしまうようになった。一人の人間の味の好みを変えてしまう、これが絶品の力か。

宮崎駅弁 元祖椎茸めし

先ほど宗太郎峠には普通列車が1日3本しかないと書いたが、特急列車なら朝から晩まで何本も走っている。列車は急峻な谷川に沿ってうねうねと進んでいく。民家もほとんど見当たらない。普通列車の少なさにも納得してしまう。

宗太郎峠

いくつかの民家が見えたところで駅を一つ通過した。ここが宗太郎駅。駅名のインパクトもさることながら、延岡方面の普通列車は朝6:54発が始発かつ終電。この列車に乗ると7:26に延岡に着き、丸一日延岡で用事を済ませて、延岡からの帰りの電車は20:07発、20:35分に宗太郎駅に帰ってこれる。こう見ると案外悪くない時間帯で運行されているが、往復ともに「終電」なのが恐ろしい。もし実際に宗太郎駅から延岡に通勤する人がいれば、その人は日本一「乗り遅れたら終わり」な通勤客と言えるだろう。ちなみにこの駅から大分県に入っている。

宗太郎駅
掲示されている時刻表が真っ白
宗太郎駅

無停車で山間を駆け抜けること1時間弱、ようやく停車の案内がかかった。次は大分県最初の街、佐伯である。

佐伯駅

佐伯に到着。乗り換え時間が30分ほどあるので外に出てみた。青い屋根が目立つレトロな駅舎だ。何かお土産屋がないものかと駅前を見渡すと、交差点の向こうに何やらそれっぽいお店を発見。

出雲堂 ひきちゃ饅頭本店

店内には佐伯名物のお菓子や様々な和菓子が並べられ、どれも美味しそうだ。その中でもやはり外壁でデカデカと宣伝されていた「挽茶まんじゅう」が気になるので一箱購入。

挽茶まんじゅう

見た目は小さな白い饅頭だが、中身の餡は緑色。食べてみるとしっとりした食感に少し塩気のある抹茶味。苦さと甘さのバランスもちょうどいい。実際に食べてから1年後にこの記事を書いているわけだが、今でも味の記憶が残っている。とても美味しかった。これを食べるためだけにわざわざ佐伯まで行ってもいいくらいだ。

第5列車 15:11発 普通 大神行き

815系

山越えから一転して、ここから再び海に近づいて走ることになる。このあたりは入江と岬が連続しているのか、海岸すれすれを走ってはトンネルに入ってを繰り返す。仕切りのない大きな窓からはのどかな港町の風景がバッチリ見渡せる。

これだけ大きな窓は全国的にも珍しい

いつの間にか時刻は夕方の下校ラッシュに差し掛かり、地元の学生たちが少しずつ乗り込んできた。各駅で乗客を拾い、佐伯出発時点でガラガラだった2両の電車はすぐに満員になった。まもなく大分駅だ。停車時間が長いので少し降りてみることにした。

大分駅

人多っ。
正直大分がこんなに栄えているとは知らず、今日はずっと静かな区間を乗ってきたこともあって何よりもまず人の多さに驚いた。地方を旅しているとこうして予想以上に活気のある街によく出会うものだ。
大分駅は四方からの路線が交わる鉄道のジャンクションであり、ここから九州を横断して久留米や阿蘇、熊本まで行くこともできる。駅の規模も大きく、向こうのホームには青い車体の博多行き特急ソニックが停まっていた。いよいよ九州北部までやってきたのだと実感する。

大分駅 特急ソニック
別府湾

大分駅を出るとすぐに別府湾が見え始める。大分市は別府湾の南に位置しており、これから湾に沿ってCの字を描きながら北に進んでいく。進行方向には日本有数の温泉街・別府の街が見える。列車からもわかるほど旅館やホテルがそこかしこに林立しており、リゾート地ならではの独特な街並みを形成していた。

今乗っている列車は別府駅よりも先の大神(おおが)駅まで行くが、そこから先へ行くには1時間ほど待たなければならない。しかも次の列車は別府駅からでも乗ることができる。つまり強制的に別府で1時間のフリータイムを貰えるということだ。別府で時間があればやることは一つ……

シンプルで可愛らしい駅名標
レトロな洋風建築

電車を降りてやってきたのは「駅前高等温泉」。駅前という名の通り、駅から歩いて3分ぐらいでアクセスできる。建物は大正13年(1924年)に建てられたもので、なんと来年には築100年を迎えるそうだ。しかも年中無休バリバリ現役。さらに驚くべきことに一人あたりたったの200円で入ることができる!!!現在は250円になったらしいが、それでも温泉としては破格の安さであることに変わりはない。(もっと言うと素泊まり可能らしい。凄すぎる)

温泉は「ぬる湯」と「あつ湯」に分かれており、今回は「ぬる湯」を選択。
脱衣所に入ってみると、この「ぬる湯」がかなり面白い構造をしていた。

こういうの大好き

こんな感じの立体的な構造は秘密基地感があってワクワクする。

さあ入るぞ!と思ったところでフロントから脱衣所に入るドアが開いた。開けたのはまさかのおばさんだった。どうやら女湯と間違えたらしい。「あっすいません」と謝られてすぐに閉めてくれたが、普通に全裸を見られた。まあ自分が間違える方じゃなくてよかったと考えよう。

気を取り直して入浴。ぬる湯というのはあつ湯に対する相対的な温度のことで、お湯は40度ぐらいの適温。特に脱衣所の真下にある檜風呂が気に入った。ちょうどいい閉塞感というか、暗くて暖かくて落ち着く空間である。早朝から列車に乗り続けた疲労も吹っ飛ばしてくれた。30分ほどではあるが、しっかりと本物の別府温泉を楽しむことができて大満足だ。


第6列車 18:07発 普通 中津行き

815系

温泉から上がって旅を再開する。
電車は帰宅ラッシュで大混雑しており、座ることはできなかった。日も落ちてだんだんと窓の外が暗くなっていく。枕崎を出発して12時間が経過したが、今日はまだまだ電車に乗り続ける。

途中「中山香」という駅に着いた。なかやまかおるって誰?と思ったら「なかやまが」と読むらしい。こういう人名っぽい駅名は他にも「安中榛名(あんなかはるな)」「井川さくら」などがある。そういえば「宗太郎」もこの仲間か。

駅名繋がりで言うとこの列車は「宇佐」という駅にも停車する。宇佐はローマ字だと「USA」、つまりアメリカである(アメリカではない)。しかし駅名標はちゃっかり星条旗風にデザインされていたりする。

USA


外は完全に真っ暗になり、終点の中津駅に到着。もう19時半だ。腹減った。
中津の名物といえば中津からあげだが、この時間までやっているお店は流石にないようだった。せめてもの雰囲気を演出するために駅併設のファミマで買ったファミチキを食べる。

中津駅

ホームにこんなものがあった。「日本一長い鱧(ハモ)の椅子」。
中津はからあげの他にハモも名物らしくそれにちなんだ椅子だという。ただ関西人の僕からすると、京阪電車の駅にある壁と一体化したベンチの方がこれよりずっと長い気がしてしまうのだが実際どうなんだろう。あれは「ハモの椅子」じゃないからセーフなのか。


第7列車 19:46発 普通 小倉行き

415系

ついに北九州市が射程圏内に入ってきた。
いかにも昭和っぽさを感じさせるこの電車は2022年秋に完全引退となってしまい、今では乗ることができない。引退前に乗ることができてラッキーだった。

中津駅を出るとすぐに山国川を渡って福岡県に突入。真っ暗闇を切り裂くような爆音のモーターが車内に響き渡り、年老いた電車は残り少ない寿命を燃やかの如く疾走する。古い電車は夜に乗る時ほど頼もしい走りをしてくれる気がする。
同じ車両には自分を含めて数人しか乗っておらず、多くの人々は既に車窓を流れる灯りの点いた部屋の中でのんびりしている頃だろう。自分以外の乗客もみんな疲れているようだ。

415系の車内

座席がまばらに埋まる程度に乗客が増え、いよいよ北九州のターミナル・小倉に到着する。鹿児島から今日一日ずっと乗ってきた日豊本線はここで終わり、鹿児島から熊本、博多などの西側ルートを通ってきた鹿児島本線と合流。ネクストステージの本州も目前に迫っている。


第8列車 21:01発 快速 門司港行き

813系

鹿児島本線の快速で一駅だけ進み、5分ほどで門司駅に到着。

門司駅

ここがついに九州最後の駅。長かった。
門司駅からは山陽本線に入り、関門トンネルをくぐっていよいよ本州に上陸する。ちなみに枕崎から日豊本線経由で門司までの距離は約560キロであり、これは東海道新幹線の東京〜新大阪とほとんど同じ距離を進んできたことになる。新幹線を使えば午前中には小倉に着けていたが、それをわざわざ丸一日かけて(ほぼ)普通列車だけでやってきたのだ。既に達成感がある。


第9列車 21:24発 普通 下関行き

再び415系

九州最後の列車がゆっくりと動き出した。

地下に潜り、海底の下に掘られた関門トンネルを走り抜ける。窓の向こうにはトンネル内の白い蛍光灯だけが見える。

関門トンネル


トンネルの反響音が少し静かになり、窓の外には店の看板や窓の灯り、街灯などが見えるようになった。記念すべき本州上陸の瞬間である。

などと感慨深く語っているが、実際のところ北九州市と下関市の間にはとても深い繋がりがある。関門海峡を挟んで互いに反対側の街へ通勤通学する人も多いという。みたいなことを受験生時代に地理Bの模試で知った。他の乗客たちはみんな普段通りの仕事か遊びの帰りで、九州と本州を行き来することは日常の一部なのだろう。自分にとっての非日常が周りにとってはなんでもないただの日常であるという視点の揺らぎは、普通列車の旅でこそ感じられるものである。


下関駅

山口県・下関駅に到着。青色の駅名標はJR西日本の証であり、京都で育った私にはとても馴染み深い。


第10列車 21:37発 普通 下松行き

115系

さて、ここからまた長い長い本州の旅が始まる。その最初の列車にして、1日目の最後の列車である。
列車は家に帰る人たち(+狂った旅行者1名)を乗せて真っ暗な山陽本線を進む。外は何も見えず、ただただ揺られているしかない。別に長距離を歩いたりしたわけではないものの、流石に一日中乗り続けていては体が凝り固まってきて逆に疲れる。脚をぐ〜っと伸ばしたいところだが、足元に設置された前の座席のヒーターがリラックスを全力で阻止している。もうあと数十分の辛抱で今日のゴールだ…



新山口駅

22時43分、新山口駅に到着。枕崎出発から16時間39分、距離にして634キロ。スカイツリー1000本分。

乗ってきた列車はまだ先まで進むが今日はここまで。明日は5時3分発の始発に乗車するため、今すぐにでも休む必要がある。コンビニで明日の朝食を買ったあと、駅前の東横インにチェックインして1日目は終了である。

最後に1日目の行程を振り返ろう。

ほぼ移動しかしてない、という割には意外と観光もできたのではないだろうか。2日目は山陽本線・東海道本線をひたすら乗り継いで日本の中心・東京を目指す予定だ。


さいごに

1日目の旅行記は以上となります。面白かったという方はぜひ2日目以降も引き続きお楽しみください。それでは。

↓旅行記2日目はこちら


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