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田舎から逃げた私は、東京で救われたのか

岡山県の県境にある小さな田舎町から上京して、半年を迎えました。

小学生の頃から憧れていた東京での暮らし。やっと手に入れた生活。それも、特にありがたみのない当たり前の日常になり、NAVITIMEを見ずとも大体の場所には行けるようになりました。平日の人の多さにも何も感じません。

それでも、いまだに東京という場所の魅力には、毎日心を動かされます。
時刻表なんていらないし、いわゆる港区女子もパパ活女子も普通に目にするし、一流企業の立派な本社も東大生も慶應生も実在します(私は生で見たことがありませんでした)。私にとっては、インスタよりもツイッターでしか見たことのない世界が広がっています。
東京に住んでいるというだけで、回ってくるチャンスの質も量も全く違うし、ちゃんと私が出会いたかった人に出会えるのです。私に行動力と正しい努力をする才能さえあれば、何でも叶えられるような気分になります。
地元よりも段違いに高い家賃も妥当だと感じられるほどのメリットが、この街にはあると感じます。

それと同時に、二十数年を山と田んぼの中で過ごしてきた私と、この大都会で過ごしてきた人との間には、私がどう頑張っても埋められない差があることを痛感します。東京の魅力を知れば知るほど、田舎コンプレックスは重症化していくのです。

私が田んぼでおたまじゃくしをつっついている間、あの子は塾に通って“お受験”ってのに励んでいたのです。私が爆発音騒ぎでやって来た警察の現場検証を横目に、理科の授業を受けている間、あの子は高校数学の先取りをしていたのです。
なんでしょう、地盤が違うって感じるんです。私って埋立地って感じなんです。何かあったら液状化するんです。それでもその上に高級タワマンを建設して、湾岸エリア!とか言えたらいいのですが。

ツイッターで話題になった「3年4組のみんなへ」(ツイート上では6年4組)という話を目にしたとき、私は息をするのも忘れて最後まで読んだのを覚えています。このツイートが世に放たれたのは、ちょうど私が上京してきたときでした。ちょうど私がこれから待つキラキラ東京ライフに胸をふくらませていたときです。
この「先生」が岡山出身という設定だったのも大きかったのでしょう。とてもリアルでした。
早慶MARCH卒でも地方国立卒でも桜蔭やJG卒でもなく、大手メーカー勤務でもなく上京して半年ほどしか経っていない私が、麻布競馬場さんの描く人々に共感を示すのは、お門違いも甚だしいかと思います。それでも心の底から共感しました。


そして先日、『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』という本が出版されました。

もちろん読みました。レジに持っていくのは少し恥ずかしかったけど。
性別も出身地も出身校も違うのに、みんな私みたいでした。私への暴力でした。
私が“頑張っちゃってる”のも、側からみればこう見えているのかもしれない、と勝手に惨めになりました。

地方でも、せめて県庁所在地ならよかったのです。私のとこは違います。12時台には電車が1本も来ない私鉄だけが走る、そんな町です。道端にはコイン洗米所があります。
田舎の遊び場の頂点といえばイオンモールですが、もちろんありません。学校帰りにタピオカは飲めないし、プリクラも撮れません。私たちの遊び場は、スーパーの休憩所でした。自転車で集まって、58円のアイスを買って、座って喋るだけです。大きめなダイソーができたときは感動しました。

意見があれば授業中に挙手するし、納得いかなければ先生にも反論するし、やたら海外かぶれでグローバル志向の強かった私。頑張らなくてもいつも成績はいい方。体育は絶望的にできませんでした。課外活動にも励み、イベントや団体をつくる活動的な私は、小さな教室の中で、人気者でもない陰キャだったけれど、目立つ存在でした。その程度で目立てるし、“個性的”になれるのです。
「将来は絶対大物になるね」と言われてきました。
多感な時期にそんな環境で過ごしていたので、当然「私はみんなとは違う。特別な人生を送るんだ」と思っていました。そして、それはほとんど周りを見下す感情でもありました。

こんなところにいられやしない。こんな環境では輝けない。私の才能を見出せる人なんて誰もいない。“本当にすごい人”と一緒にいたい。

そうやって田舎を小馬鹿にし、田舎の価値観や風習に悪態をつきながら、意気揚々と東京に来ました。

でも、それは間違いでした。
“本当にすごい人”とやらのコミュニティからすれば、私なんてお呼びではないのです。何でもないから。“個性的な人”は、その個性がほとんど才能に近いのです。私が自分で“個性的”だと思っていた部分なんて、社会不適合で変なだけ。厄介なだけ。
そして、残念ながら私がどれだけ足掻いても、私は骨の髄まで田舎者です。
かつての私は、目立っていたのではなく、浮いていただけだと気づきました。私が自分を特別だと思えていたのは、そう思わせてくれる周りのおかげだったと気づきました。
町のスターとして、地域活性化活動に勤しんで、「広報見たよ!山陽新聞見たよ!」と言われている方が幸せだったのかもなぁと時々思います。

『この部屋から〜』を読んでも、しあわせな気持ちにはなれません。共感して病むか、そんな奴いるんだかわいそwとなるだけでしょう。とにかくほっこりはしません。
でも、いいんです。地方から出てきて東京で花開いたカリスマの話なんて、読みたかないのです。再現性ないもん。
みんなそれぞれ地獄があって、それでもなんとかその地獄に折り合いをつけて、今日も生きている。登場人物たちのそんな姿を見ると、これが人生か、と思うし、これが大人になるということか、と思います。そして、これは私がこの街で生きている間に乗り越えるべき精神の修行だと思います。

幸いなことに、私を田舎者だと馬鹿にしてくる人はいません。陰では思っていても、直接言ってくる人はいません。私が勝手にコンプレックスに感じているだけなのです。

この街で私が幸せになるには、脇目もふらず、一心不乱に極限まで努力して、執念で願望を全部叶えていくか、何も成し遂げられないしがない自分を受け入れ、色々あきらめるか、もうどちらかしかなさそうです。

でも、23年かけてガチガチに構築された私の理想像や幸福論を、今さら方向転換するのもなかなか難しいのです。方向転換とは、身の程を知るとは、私にとってすなわち妥協であり、挫折であるからです。

私はもう少し、東京で夢を見ていきたいです。
私は何かを成し遂げられるし、まだ世間に見出されていない才能があるのだと信じたいです。
SNSで映えるような幸せを追い求めていきたいです。

私には、私にしか見れない東京がある。私にしか描けない東京がある。

もちろん私の部屋からも東京タワーは見えません。でも職場からは東京スカイツリーが見えます。

精神を病まない程度に、適度に拗らせながら、もうしばらくは東京を嗜んでいきたいと思います。


そうそう、スカイツリーのイントネーションって、ブルース・リーとマリー・キュリー、どっちが正しいの?

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