坩堝
自分を振り返るために大事にしたい価値観を洗い出した。そのなかの一つに人はカテゴリではないというのがある。これは強く思うことだ。どうやらぼくはパターンで考えるのが苦手だ。だから仕事の効率があまりよろしくない。自覚はある。したがって量をこなして解決するタイプである。これは物事に限らず人に接した自分そのものでもそうなようだ。人を最小単位の粒子と捉えることで輪郭が鮮明で、その人の凹凸が見える。
恋人の誕生日で箱根へ行った。箱根湯本から歩いて20分くらい、川沿いにある宿だ。大変景色の良い、由緒正しい?らしいところらしく、400年前からあるそう。かなり古びたその場所は不思議な部屋が多くあった。その割に人は多くなく、かなり静かに過ごせた。温泉は洋風なタイルと狭い天井、ゴツゴツとした岩に囲まれており、たまに恵比寿様とかがいる。妖怪と話せてもおかしくない宿だった。けれども川の水音がひっきりなしに流れて気持ち良いほどゆっくりできた。また旅行したい。
昨年の8-12月、僕はほとんど一人で仕事をしていた。案件が決まり、常駐することになったがその実、小さな案件ではあったので一人きりでお客さんと相対した。同期やらみんなはやっぱり近くに同期や年齢の近い人がいる。僕だけ10歳の離れた人が最も年齢の近い人だった。寂しさはあった。だが気楽でよかった。1週間に一回、アウトプットを用意すればよくスケジュールも自分で管理した。そういうわけで昼間に野鳥を見に、公園に行ったりしたものだ。翻って、今年の1月からはチーム体制になった。やはりチームでの
上司をバックするというけれど、これがどうも合わない。仕事をスムーズに進めるうえで上司の思うところを見つけて、それに対応するというのは類稀なるスキルだと思う。けれどもそもそも何をしたいのかわからない。要は上司の欲望の指向性を見つけていくことが相手がある瞬間になにを思い浮かべるのかを推定することになるが、そもそもその欲望を理解できなければ通じようがない。僕は乗り切ることよりもやはり面白いことがしたいと思うし、そういう欲望は理解が容易いがそうでないと難しい。とは言え、結局のところ何
あまりに仕事に手がつかなかった。やることが飽和して優先度をつけられなくなったのだ。情報が錯綜しているときに自分の裁量がないと僕は混乱する。自分のなかで思う優先度で動くことはできるが、他人の優先度を推定して動くことができないからだ。他人の優先度というのを慮るのは難しい。それがチームのためであればまだわかるが、個人での優先度になると話が変わる。自分で優先度を決められる、あるいは決めて動いてもらうみたいな働き方がしたい。
今日、ひょんなことから横浜スタジアムに行った。大勢の観客の一部としてゆらゆら揺られながらペンライトを振っていた。辺りを見渡していると、きらきらと光が揺れていて、なんていうかクリオネみたいのがいっぱい湧いているような、ボウフラなのかもしれない。スタジアムの大きな照明を見上げる。昆虫の眼のようなびっしりライトが埋まっていて、そこに舞台の照明がチラチラと反射し、少しだけ綺麗だった。
夕食を食べていると外で子猫の叫び声。恋人がえらく気にしている様子だった。それに子猫をそのまま回収したいと言い出した。僕はいいんだけれど動物を飼うには唐突すぎると思った。でも近くで死なれるよりずっといいのかもしれない。 実際に鳴き声のする方へ子猫を探しに行った。でも見つからない。近くにいるはずなのだがどこにいるかわからない。一度家に戻った。けれども鳴き声があまりに止まないので再び家を出た。そうするとちょうどお隣さんが猫を捕まえようと出てきた。真白いタオルを手にしている。隣人の家
今日久しく出社した。全快でないせいか煙草を吸う気になれずに本を読んでいた。8:30まで。そのあと少しだけ勉強してから仕事に取り掛かった。久しぶりだとやっぱり少しだけ楽しい。新しい情報が多くてわくわくする。脳にぴかぴかと電気が走るようで、新しい発見があって。でもやっぱり家にはいつも帰りたい。今日も疲れた。みんなお疲れさまって感じです。
今日も会社を休んだ。胃腸炎から生じる熱が治らなかったためだ。けれど、通知が気になって少し休まり切らない。いっそ通知を切ることにした。とは言え、1時間に一回ほど何が起きているか気になってしまう。携帯のない時間ならまだしも便利な時代は脳が身体が休まらない。と言いつつ、数時間寝た。ふと起きると熱が治り身体がだいぶ楽になっていた。起きた瞬間、メロンパンが食べたいと思った。メロンパン、メロンパン、と頭にそのワードが駆け巡る。サクッとした表面とふんわり広がる甘みを想像した。メロンパンが食
今朝、あまりの吐き気に目が覚めた。思わずトイレに行く。でも胃には何も入っていないはずなので、吐きようがない。けれども水っぽい何かが僕の食道を通って便器に吐き出された。想定していた色とは異なり、真黄色の液体が吐き出された。口の中は苦味でいっぱいである。熊の胆に似ている味がした。一通り吐くと少し落ち着いて、再び布団に戻る。けれども、またもや吐き気を催してトイレに向かう。眠ってしまえたらどれだけ楽なことか、そう思いながら吐き気に打ち勝とうと必死で眠ろうとする。けれども、大きな吐き気
『君たちはどう生きるか』を読んだ。何を正しさとして持ち、どのような形で人間関係に寄与し、そして人のためを成すかをよくよく考えるようになった。 仕事をしていると足元のことばかりで顔を上げないから肩が凝る。縮こまった生き方はあまりに窮屈で、自分という存在がますます矮小なものに思えてならない。 本は良い。僕を自由にしてくれる。果てしない思索と夢の世界へ招待してくれる。
このアルバイトをしていて、一つ後ろめたいことがあるとすれば、それは親へなんと伝えるべきかという一点に限られる。差し当たり、両親には大学受験予備校で働いていると伝えている。幸いにも、三年ほど前までそういうところでアルバイトをしていたので、嘘が辛うじてまかり通っているのだけれど、そろそろ潮時だろうか。というか、大学最後の年だからという仕様もない理由で、僕は髪を伸ばしていた。しかも、その髪の長さは間もなく肩へ達そうとしていたし、ツーブロックで髪を結ぶ姿はイカツイというより、不潔で
もうすっかり梅雨が明けようとしている。アスファルトから攫われた水分が大気に充満していて、街中が石油の香りに溢れていた。フロントは客の顔など見ることができないので、彼らの服装を眺めていると、露出が目立つ。最近、気が付いたことなのだけれど、男であれ女であれ、顔が見えなくとも色気がダダ漏れな人間がいる。グラマラスだとか、マッチョだとかそういうのは関係ないのである。どんな体型であれ、何か出してはならないフェロモンを彼ら/彼女らは出している。一つ一つの所作に、香りに、声に色気があって
この頃は客の代わりに雨がよく降る。初夏を迎える間もなくのころ、雨がほとんどひっきりなしに降っていて、客足が少し遠のいていた。これまでも雨の日は何回かあったけれど、こういう日はあまり客が来ないことが多い。そうはいっても、平常時の八割程度は来るので暇がないかと言われればそういうわけでもない。しかし、雨の日はたいてい、ゆっくり本が読めるので僕にとっては少しばかりありがたい。強いて不平を漏らすならば、フロントの窓を全開にできないことが嫌だ。フロントも客室と同じくして、ほとんど密閉空
かれこれ文句を言いながらも、結局、研修は既に終わっていた。勤務が二回目のころには業務を見るだけではなく実際に行う段階まで達していた。僕がフロントに座っているときに店長は事務所の方へと行くので、事実上、僕一人だけでフロント業務を回していた。とはいえ、業務はそれほど複雑なものではない。客から金を受け取り、帰りに鍵を受け取るくらいだ。あとは無料案内所からやってくる電話ぐらいだろうか。渋谷近辺、なかでも道玄坂には随所に無料案内所があり、十分に一回ぐらいのペースでそこから電話がかかっ
疲れから来るのか、何なのかさっぱり分からないが、初勤務を終える頃には頭がぼんやりとしてしまった。疲れを構成する大半はおそらく、気疲れである。2畳半というスペースでは、パーソナルスペースが辛うじて確保できるだけであって、他者との緊張関係は維持され続ける。そのうえ、食事から水分補給まで常に共にすることになるのだからなおのことである。八時間の勤務には休憩時間が含まれておらず、したがってコンビニなどで事前に買った食事をフロント業務に従事しながら食するということになる。幸いなことに、