2022/03/22

 かれこれ文句を言いながらも、結局、研修は既に終わっていた。勤務が二回目のころには業務を見るだけではなく実際に行う段階まで達していた。僕がフロントに座っているときに店長は事務所の方へと行くので、事実上、僕一人だけでフロント業務を回していた。とはいえ、業務はそれほど複雑なものではない。客から金を受け取り、帰りに鍵を受け取るくらいだ。あとは無料案内所からやってくる電話ぐらいだろうか。渋谷近辺、なかでも道玄坂には随所に無料案内所があり、十分に一回ぐらいのペースでそこから電話がかかってくる。ここら辺の界隈ではどうやらコードネームというものが存在するらしく、無料案内所の電話口の男たちは八割がた「タカハシ」と自称する。「タカハシ」はホテルの空室状況に応じて部屋の予約を取る。
「お電話ありがとうございます。ホテル—です。」
「タカハシです。お部屋空いてますか?」
「空いております。」
「予約できます?」
「予約できます。」
「そこ“タカハシ”でお願いします。」
「はい。ありがとうございます。お待ちしております。失礼いたします。」
 初めはこんな風に丁寧なやり取りをしていたけれど、十数回もこのやり取りを繰り返すうちに電話のやり取りが最適化されて、今ではこんな感じ。
「ホテル—です。」
「タカハシです。」
「予約できます。」
「じゃ、“タカハシ”で。」
「はーい。お待ちしております。」
 いずれにせよ、こんなやり取りをした数分後に男がやってきて、「予約したタカハシです。」と僕に告げる。僕はそれに応じて鍵を渡すのである。
 無料案内所かそうでないかによってデリヘル嬢たちの見目はだいぶ異なる。容姿の整ったデリヘル嬢が来る確率を導き出すために、無料案内所を利用したかしていないかをダミー変数にした回帰式を作ったならば、無料案内所を使った方が比較的、見目の整ったお嬢たちが来る確率が高い。
 ついでやはり感じることはお嬢たちはファッション感度というか、美意識がやはり高いような気がする。着てくる服にほつれやしわの類はほとんど見受けられないし、自分の身体を魅せる服装をしている。終いには、マスクに見られる眉はえらく整っているからきっと鏡の前でちゃんと自分のことを顧みているのではないだろうか。そんなお嬢たちが部屋番号を告げるときには、たいていフロントの窓を思い切り覗き込んでくるので、ドギマギしてしまう。綺麗な人と話すのは昔から苦手だ。

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