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喘息プログラマー(続・IT業界サバイバル ~転職失敗・退職勧奨~)

前回からのつづきになります。

IT業界の門を叩いてから6年の月日が経ち、ついにSESブラックの地獄から抜け出した私は100%自社開発の会社へ転職しました。

自社開発という世界は猛者の集まりでした。
まさに弱肉強食
凄腕のプログラマーは5万といることを思い知らされた私は、弱肉強食の世界で生き抜くため、起死回生の勝負に打って出ました。

起死回生の一手

その策とはキーマンがいる派閥に属することです。

IT業界に限らず、殆どの会社では派閥が存在していると思います。サラリーマンになってまず驚いたことは、どこの派閥に入るかによって会社での居心地が変わってしまうことでした。

一刻も早くキーマンと人間関係を築くこと。
これが起死回生の一手でした。

キーマンがいる派閥はおのずと重要なタスクを任されており、高い技術が集中しています。その中に入り、うまく立ち回ることができれば困ったときに先輩方へ相談し放題と仮説を立てたのです。

これは見事に的中しました。

技術力がある先輩たちというのは、後輩に教える余裕を持っています。
技術力が無い先輩は後輩にかまっている余裕なんてありません。

私は派閥内の先輩たちを観察し、誰が凄腕の技術者か突き止めました。
そしてその先輩と行動を共にするようになり、私の技術力は飛躍的に向上しました。多くのソースを見せていただきました。

転職する前、SESでお世話になった先輩からこんなことを言われていました。

「したたかになれ」「デキる人を利用しろ」

これを実行したわけです。
会社は戦場です。利用できるものはなんでも利用する。
まぁ、昭和の考えかもしれませんね。
生きるためと割り切っていました。
私には喘息という爆弾があるので尚更でした。

さらに派閥だけでなく、会社への帰属意識を高めるようにしました。
手っ取り早く社内コミュニケーションを取るためイベントというイベントに手当たり次第参加し、社員旅行幹事も率先して担当しました。

その甲斐あってか会社の居心地が数段良くなり、人間関係のストレスが殆ど無くなりました。最初は苦労しましたけどね。長い目で見るとメリットばかりですので、社内コミュニケーション(人間関係)は大事だと思います。

一方、仕事については周りのレベルが高すぎて散々苦労しました。最初は付いていくので精一杯で残業だらけ、土日はもちろん勉強の日々でした。

それでも充実していましたね。仕事は大変でしたけど人間関係が楽だったのでストレスによる喘息発作は無かったし、悩んだとしても設計やプログラミングのことくらいでした。

やっぱり仕事していて一番きついのは人間関係です。
この頃はペーペーでしたので、人の調整とか揉めたときの交通整理なんてのは無かったですけど、今になって思うのは人間関係が最強&最悪のストレスということです。

事件

そんな感じでしんどい技術修行の日々が過ぎていき、そのまま会社に根を張ってエンジニアとして成長していくのかなと思ったのですが・・

人生とは何が起きるか分からないものです。

それはある日突然起きました。

クーデター

社長が更迭されたのです。

突然、全社員が会議室に呼び出され幹部達から説明を受けました。

際どい質問する人
落胆する人
泣いている人

その日は仕事にならなかったことをよく覚えています。

そして、本当にヤバい情報というのはギリギリまで隠されて(噂にもならない)、突然公開されるということ、社会の厳しさを知りました。

更迭された社長はその瞬間からオフィスに入れなくなりました。
そこからは展開が早かったです。

新しい経営陣が人頭指揮を取り、元社長派閥の人たちは辞めていきました。
まるでドラマのようで、本当にドラマのようなことが起きるんだと驚いたもんです。

それと不思議なことに、会社でクーデターが起きても何事も無かったかのように仕事が回っていたのです。これは意外でしたね。
もっと大混乱が起きるかと思ったのですがそうでもなかったです。

まあそうですよね、身内の都合でお客様に迷惑をかけるわけにはいきません。当たり前のことであり、いつまでも影響されていてはいけないと思い、頭を切り換え毎日ひたすら仕事をしていました。

体制が変わったのは上の方だけでしたので、下っ端の私の環境はたいして変化がありませんでした。

うだつが上がらない

新経営陣は次々に新戦略を遂行していきました。

まずはオフィス移転です。
広いオフィスへ引っ越し、机と椅子がグレードアップしてノートPCも支給されました。会議室がとんでもなく広くなりました。

それと中途採用促進。一気に社員が増えました。
これで仕事が楽になるかと思ったら、なんと、

楽になりすぎて仕事の奪い合いが起きてしまったのです。

私の仕事が減ってしまいました。
私は仕事を取らないようにしようと毎日必死でした。

仕事で必死なんじゃなくて、自分の仕事を中途社員に取られないように必死だったんです。

「なんか違くね?」

私はそんな会社生活に疑問を持つようになりました。
会社がおかしな状態にあると思いました。

それから3年が経ち、中途入社の人たちが次から次へと出世し、私はうだつが上がらない社員になっていました。

もともと技術力の高い集団へさらに強い技術者たちが入ってきて仕事の取り合いが発生し、それに負けた私は立ち位置を失い、おまけに社内政治もうまくいかずオフィスの角へ追いやられました。

SESであればこんな風になっても単純に現場を変えるだけで済む話ですが、自社開発の場合はそうはいきません。

立ち位置を失った者に残されている場所は窓際です。

私は転職を意識して動き始めました。
そんな矢先に人生の転機が訪れます。

人生とはすごろくのようなもの・・

私にヘッドハンティングの話が来たのです。

以前退職した先輩が起業した会社へ誘われたのです。
迷うこと無く転職を決意しました。

※もっと迷えば良かったと、あとで後悔することになるのですが。。。

地獄のSESブラックから脱出し、夢にまで見た自社開発生活は、技術勉強と社内政治の連続でした。8年在籍し、私は30代となっていました。

ベンチャー

3回目の転職先は小さな小さな会社でした。いわゆるベンチャーです。
自社でパッケージを開発し販売しようとしていました。
ここで私はプログラミング以外での第2のスキルとなる英語と出会うことになります。
たまたま同僚が英語ペラペラで外国人の友達が多く、一緒に遊んでいるうちに片言の英語を話すようになったのが英語学習のきっかけでした。

ベンチャーは甘くありませんでした。
楽でないことは予想していましたが、それを遥かに超える大変さでした。

何でも自分でやらなければならない。
先輩・同僚に聞いても答えは返ってこない。誰も知らないから自分で調べるしかない。土日も関係無い。

よくある話です。

「ベンチャーなら若手でも裁量権を貰える」とよく就活生が言っていますが、確かにひとりで決めなければならないケースが多いです。

開発だったらどの言語を使うとか、海外のライブラリを使うかもしくは自社開発するとか。
それでやってみて何かトラブルがあれば全部自分で面倒見なければなりません。

「助けてぇ」と言っても周りも同じ状況なので、なかなか救済されません。そんな会社生活を希望するのであればベンチャー企業はその人にとって天国なのかもしれません。

私は睡眠時間を削ってなんとか机にかじり付いていましたが、自社パッケージ販売の雲行きは悪くなる一方で、最終的に会社都合で退職することになりました。
この時、頭をよぎったのは前の会社のことでした。

辞めなきゃ良かった・・

明日からどうしよう・・

※未練タラタラの弱い自分がもろに前面に出ていましたね。
 情けない話です。この頃の自分をぶん殴ってやりたいです。


会社都合退職ということで失業保険がすぐに貰えたので、仕事探しながらIT関連のボランティア活動に参加したり、オンライン英会話を利用して英語学習に力を入れていました。

何かやっていないと不安で仕方がなかったのです。

異業種交流会に参加したりもしました。ネットワークビジネスに散々勧誘されましたが、意識してコミュニケーションスキルを磨きました。

ボランティア活動では様々な職業の人がいて、中でも海外出張経験のある人の話が本当におもしろくて、この頃からITスキル x 英語というイメージが浮かんでいました。
(後に海外出張が実現するのですがそれはまだ先の話)

自分にとってIT以外のことを吸収する大事な時間だったと思います。

捨てる神あれば拾う神あり

意外にも次の仕事は早く見つかりました。

まともや私は人脈に助けられたのです。

前回の投稿で大バグを出したとき人脈に助けられた話をしましたが、二度あることは三度ある、人脈とは本当に大事なものであることを思い知らされました。

失業していることをあちこちで話していたら、SES時代に仲良くなった人から「うちに来ないか」と誘われたのです。

捨てる神あれば拾う神あり

ありがたいお話でした。

しかしながらすぐに返事はできませんでした。
理由は誘われた会社の業務内容がSESだからです。

あの地獄のSESに戻るのか・・

時間をいただいて散々悩みました。


そして、

私は生きるために再びSESに戻ることを決意します。


そんなわけで悲しいかな、もう一度SESに戻る羽目になってしまったわけですが、人生なんてこんなもんです。
でもね、この時まだ30代です。
人生は長い。
私は40手前にしてもう一度人生をかけた勝負に出ます。

その勝負に勝ったからこそ今があると思っています。
その話はまた今度。

ではまた。

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