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好きの発信に知識は必要ない

これ好きなら○○知ってるの当たり前。
○○知らないの?それって本当に好きなの?

こういった事を言われた経験がある。
直接的、遠回し、そういう空気感…手法は様々だが、こうした考えが蔓延している世の中だと感じる。

単なる私の勘違い、被害妄想なのかもしれない。
しかし、そうではないかもしれない。だからこの事について書こうと思う。

私は、「好きの発信に知識は必要ない」と考える。
だからこそ、そういう事を気にせず発信できる環境がもっとあればいいのに、と強く思う。

「好き=知識を豊富に知っている」?

この考えは非常に悪質だ。
「好き=それについての知識を豊富に知っている」と認識している。
逆を言うと、「それについての知識を詳しく知らない=好きではない」ということだ。
こうやって書くと、その考えは間違いであることは誰にだって分かるはず。
しかし、この考えを持っている人は大勢いる。(もしかしたら、私がたまたまそういう人とばかりであっている可能性もあるが)
彼らは無自覚にこの考えを身につけてしまった。だからこそ非常に悪質なのだ。

「好きを発信したい」をストップさせる

こういった考えは、「好きを発信したい」という気持ちをストップさせる。
知識がなければ、発信してはいけない。
発信して、知識がないと認識されたら、貴方はそれを好きではない。と言われてしまう。
自分の好きを否定される。
私の完璧主義を生み出した元凶も、恐らくこの考えだ。

アウトプットは健やかな成長に必要不可欠

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発信―つまり、アウトプットは健やかに生きていく上で非常に重要だ。
その中でも、「好き」のアウトプットは飛び抜けて重要だ。
「好き」をアウトプットすると、「好き」が「もっと好き」「より深く好き」になるからだ。

アウトプットできないと、人は荒んでしまい、悪い方向に進んでしまう。
褒めてほしいという強い気持ちからくる自慢話は周囲に嫌がられる。
知識がないと言われないための理論武装は、逆に知識がない人を攻撃してしまう。
冒頭で述べたような考えを身に着けてしまうのも、悪い方向に進んでしまった1つの結果だ。

上手い、下手はあれど、下手だからといってアウトプットする資格がないわけではない。
成長するためにはアウトプットが必要不可欠。どの人もそれは変わらない。
最初は下手になるのは皆同じ。沢山アウトプットするから上手くなる。
息をするように紡げる言語を使うからといって、簡単に見てしまう人がいる。
アウトプットを侮ってはいけない。

知識がないことはダメなことではない

アウトプットをする事と、知識を身につける事は全くの別物だ。
沢山アウトプットして、どんどん上達していけばいい。
その上で、「知識が必要だ」「知識を知りたい」と感じたら身につければ良い。

しかしながら、これらを混同して考え、アウトプットする時に必要のない緊張感が伴ってしまう環境が沢山存在する。

もっともっと健やかに好きをアウトプットできる環境が増えたらいいのに、と強く思う。
また、私自身そういった環境を作れたら良いなと思うし、私が単にそういう環境を知らないだけかもなので、視野を広げて探して行きたいと思う。

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