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努力の先の失敗

「ごめん。寝ちゃったよ。あんなに頑張ったのに、上手く行かなかったから、心がついていかない」

息子が、電話の向こうの父親に話しかけている。スピーカーの状態だから、私にも聞こえてくる。息子は、ほぼ毎晩、父親からオンラインで英語を学んでいるが、約束の時間に寝てしまっていた。

息子は、中学3年生の2月に開成高校を受験した。
だが、結果は不合格だった。
「絶対ムリ」と思っていたところから、勉強はスタートした。苦手な数学では、難問を2,000題近く解いた。そして、難問を解いているうちに、数学の面白さに目覚める。難しいけれど、面白い。開成高校の過去問題を解くにつれ、いい学校だな……と、少しずつ好きになっていった。だが、「両思い」というわけにいかず、息子の「片思い」で終わってしまった。

息子は、3年前にも中学受験に失敗し、3年間その挫折を忘れたことがなかった。今度こそ……と夏からはさらに力を入れ、休日は10時間ぐらい受験勉強をしていた。中学3年生の息子は、自分の力で道を切り開こうとしていた。3年前の、勉強に向き合えなかった「自分」を乗り越えたくて、本気で限界まで勉強した。だが、合格にはならなかった。

「頑張った先に、上手く行かないことを学ぶのが、受験なんだよ……その経験ができてよかった」
電話の向こうから、父親の話す声が聞こえてきた。
「あんなに先生達に力になってもらったのに、申し訳なくて、塾に行くのもつらい……」
息子は、苦しそうに語る。
私と同じように、塾の講師をしている元夫は、
「俺は、受からなくてすみませんでした、って言われたことは、人生で3回しかない。そして、それを聞くと、あぁ、もっとしてあげられなかったかな? と思うよ。塾の先生は、生徒が喜ぶ顔を見たいだけで、謝ってほしいなんて思わない。だから、申し訳ないなんて思わなくていいんだよ」
穏やかな声で息子に語りかけた。

話を聞いていたら、私の心を表してくれているようで、急に心が緩み、涙が出てきた。泣くつもりもないのに涙が溢れてくる。何の感情かは分からないが、泣きたかったのに、泣く時間もなかった自分に気づいた。
次に向かわせねば、前を向かなければ……そう思っていたのだろう。息子を支えねば……それしか頭になかったかもしれない。
3年間、傷ついた息子を見てきた。それを誰よりも応援してきた私だって、悲しいはずなのだ。

私の父が亡くなった時を思い出した。あの時は、1週間涙が出なかった。あるきっかけで心が緩んだ途端、涙が出たら止まらなくなった。その時に似ている。

スピーカーに声が聞こえないよう、静かに聞いていたが涙が止まらない。息子が電話を切った途端、しゃくり上げながら泣く。まるで、私が不合格だったくらいの状態だ。
「何でそんなに泣くんだよぉ……」
息子は私に言ったが、もはや説明できない感情だ。3年分の気持ちが溢れてしまう。すると、息子は食べようとしたお菓子を私に差し出した。いつも、私にピリピリする息子だが、無言の心を理解してくれたのだろう。
私は、母として、先生として、2倍苦しいのだ。ただ、シンプルに息子が喜ぶ顔が見たかった。すごく難しい高校に合格した息子を見たいのではなく、「頑張った先の喜び」を味わわせてあげたかったのだ。

元夫が言うように、
「頑張っても、上手く行かないこともある」
この気持ちを味わった息子は、知らなかった時より、心が豊かになっているはずだ。
「あぁ、もう学校に行きたくない。先生達に励まされるのも嫌だ。不合格の現実を噛み締めるわけだから……」
息子は、父親にぼやいていた。優しさは、時に心に痛く響くこともあるだろう。
「また朝はやって来るから、もう寝よう」
しばらく様々な話をし、父親にそう言われ、息子は電話を切った。
この電話が一番必要だったのは、私だったのかもしれない。思いがけない電話で、自分の気持ちに気づくことができた。

「負けを知る」
きっと、息子は、将来もっともっと情のある、優しい子になるだろう。本気でやること、それが上手く行かないこと、その両方を味わったからだ。流した涙の分だけ、人は優しくなれるはずだ。
上手く行くような試みは、人生のチャレンジとは言わないかもしれない。上手く行きそうなことを成し遂げて無難に喜ぶより、大きなチャレンジをしたことに価値がある。努力の先の失敗は、人生の失敗ではない。
不合格だった今、これからの3年間はこの「挫折」を誇りにしてほしい。

「僕は、失敗したことがあります。人生で挫折を味わったことが、僕の誇りです」これからは、そう語れる素敵な高校生になってほしい。
そんな息子を、これからも応援していきたい。

#創作大賞2023 #エッセイ部門