Starts with a Goodbye

“元の鞘に収まることは出来ないのかしら”

妻の荷物を実家に運んだ際、彼女のご両親と少し会話をすることが出来た。
彼等と会話をすることも、もう無いのかもしれない。
そう考えると、あの機会を設けてもらえたことにとても感謝している。
そして話をした際に、義母から言われたこの一言が何故か頭にずっと残っている。
このブログを書いている今現在もだ。

もう一度だけ、ヨリを戻せないか。
僕自身、実際に妻にも何回か訪ねた。
この願望自体が既に利己的なのか。
妻に沢山辛い思いや、悲しい思いをさせてきたのであれば、ある意味致し方ないのか。

恥ずかしながら、この離婚の会話が始まるまで僕は自分自身を完全に見失っていた。
妻を最優先に考えることも怠ってきたし、職場でのストレス、自分の未熟さなどを理由に妻に多大なる負荷を掛けてきたのは紛れもない事実である。
勿論、その間に彼女は毎日僕のことを支えてくれていた。
心無い発言もしてきたし、暴言なども多々あった。
自分の事しか考えていない、自分の事ばかりで頭がいっぱいじゃないか言われればきっとそうだったろう。

今だから分かる。僕は夫として、あまりにもクソ過ぎたのだ。

それは何故か。純粋に、自分の視野と生きてる世界が狭かったんだと思われる。
全てにおいて気がつくのが遅かった。
風船が割れてしまってから、どれだけガスが溜まっていたのかに気が付き、割れてしまってからハッと目が覚めた。

これまでの自分の行いに気が付き、友人宅にいる妻に会いに言って手紙を読みに言ったことで、それ以降もやり取りを出来ているのは不幸中の幸いである。

しかし、僕の中で風船が割れた時、妻の中でも気持ちが切れてしまったというのは忘れてはいけない。そう、僕がそうさせてしまったのだ。

妻と初めて会った 2018 年の 1 月から、今日のまで今日まで彼女への好意と愛に嘘はなかった。今この瞬間も、僕は妻のことを心の底から愛している。
離婚届にサインをし、彼女のご両親に挨拶をしてもだ。

僕は自分を見失っていた時間が余りにも長すぎた。元の鞘に収まることの出来ない理由、それは何を隠そう僕自身である。

最終的に、離婚という彼女自身にも大きい決断をすることで僕の目を覚まさせてくれて、結果的に彼女が僕を救ってくれた。

こうやって冷静に物事を考え、文字に起こせているのも彼女のおかげで会って、この彼女の勇気に僕は感謝しても感謝しきれない。

我に返ってからは勿論、誠意を持って彼女に接しているつもりである。
出来る限り自分の考えや、これまでの感謝も伝えている。
彼女の両親との会話も、腹を割って話すことが出来た。
横に座っていた妻は、終始泣いていた。

結局のところ、全ては僕が悪い。全ての責任、原因は僕にある。

ただ、これだけ妻を愛おしく思い、愛しているのに、離婚が間近というのも何とも腑に落ちない状況ではある。。。


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