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「トランスサイエンス」を巡る議論はなぜ混乱しがちなのか

トランスサイエンスを巡る議論がしばしば混乱しがちな理由の一つは、「サイエンス」とは原則として「方法」を指す概念であるのに対し、「トランスサイエンス」とは「問題」を指す概念である、つまり両者は異なるカテゴリの概念である、という点なのではないだろうか。

サイエンスの方法は様々な(というより原則的にすべての)対象や問い、問題に適用しうる。しかしそれが(単独では)必ずしも適切かつ十分な問題解決や理解をもたらすわけではない。トランスサイエンスはそのような状況を招くような種類の「問題」を指す言葉であり、サイエンスという「方法」を同じカテゴリの概念(=別の「方法」)で置き換えるものではない。

従ってそもそも「サイエンス/トランスサイエンス」などと、異なるカテゴリを同列であるかのように対置すること自体誤解を誘発する表現なのである。「サイエンスという<方法>と異なるいくつもの<方法>を組み合わせることでより適切にアプローチしうるような<問題>」を「トランスサイエンス」と呼ぶ」としなければならない。

さらに、このような誤解が生じるより根深い原因は、「サイエンス」という言葉には、サイエンスの方法が専ら適用され、その成果として語られがちな対象や問題が、サイエンスという方法と強く結び付けられ、その典型例や代表例とされる傾向があるということである。

たとえば、宇宙といえば科学、科学といえば宇宙、といったような事例がそれにあたる。そうなると、宇宙の話にどうして科学者以外が口を出すのか、といったことが理解できなくなる。

だからこそ「トランスサイエンス」などという、いわば至極当然な事柄をわざわざ指摘しなければならない事態が生じているのであるが、逆にだからこそ「トランスサイエンス」が「科学への無理解」「科学軽視」「疑似科学」「反科学」ではあるかのように受け止められてしまうのである。

他方、原理的には「あらゆる問題はトランスサイエンスである」ということもできる。サイエンスの内部にすらトランスサイエンスは存在する。また、トランスサイエンスを論じるのは「文系」研究者の専売特許かと言うともちろんそうではなく、すべての専門家、非専門家、すべての市民が当事者である。

したがって当然ながら「理系」研究者が特定の問題について「科学的事実」の提示を越えて「市民として」発言してはならないわけではなく、そういった行為もまた「トランスサイエンス」への参加なのである。

「欠如モデル」に対して「双方向モデル」を掲げる時、「双方向」の相手として位置づけるべきなのは、実は「科学者としての役割を果たす科学者」ではなく「市民として発言する科学者」なのではないだろうか。これを「科学者としての役割を果たす科学者」だと見なしてしまうところにも混乱の一因があるように思う。

「理系」に限らず研究者がSNSや日常場面などで自らの研究分野に基づいて規範的な発言をすること自体、それがいかなる動機であろうと彼ら彼女らが議論の対象を「トランスサイエンス」であると捉えている証拠である。なぜならそこには「現実はこうあるべきだ」との価値意識が(それが倫理観に基づくものなのか、パターナリズムやポジショントークなのかを問わず)介在しているからである。

その意味では、「文系」研究者の主張もまた(それぞれの専門分野の方法論だけでは問題を解決できないという意味で)トランスサイエンス的観点からの相対化や批判を免れない。

補足すると、「研究者」と「専門家」は日常的には同様のものとして扱われることが多いが、実際には異なる概念である。専門家は研究者の生産する科学的知識を基盤としながらも、それのみから導く出すことはできないある種の「判断」「量子化」「選択肢の提示」「望ましい施策の提示」を行うことで、社会における意思決定を支援する。そういう意味では本来この議論は、「研究者/専門家/市民としての役割」といった解像度で考えたほうが良い。また、狭義の研究者/専門家ではないステークホルダーにも実は同様のグラデーションがある。

一方、トランスサイエンス、つまり「サイエンスという<方法>と異なるいくつもの<方法>を組み合わせることでより適切にアプローチしうるような<問題>」に対して、異なる手法が示すそれぞれの方向性をどのように調停すべきか、という問題は依然として極めて困難な問いであり、このように多様な方法を組み合わせたからといって自然に「正解」が浮かび上がってくるようなシロモノでは全くない(ここでいう「方法」とは、必ずしも研究者や狭義の専門家でない市民が仕事や日常生活を通じて培った考え方、といったものも含む)。

これらを踏まえることによって初めて、「科学的事実」とされるものはどのように生産されるのか、どのように伝えられるべきか、どのように尊重されるべきか、どのように説得や意思決定の際に用いられるべきか、といった重要な論点について適切に議論することができる。

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