石村源生

石村源生

最近の記事

上流工程は未来予測である

下流工程の都合で上流工程が捻じ曲げられないためには両者の分離が不可欠なのだけれども上流工程だけの案件でビジネスを成立させるのは極めて困難なのが現状である。 上流工程に限ったビジネスが困難なのは、これを適切に評価する方法が無いから。上流工程の品質は一般に、下流工程が完了して成果物が出来上がってからでないと評価できない。ゆえにやたらと軽視されて値切られることが多いが、著名なプロデューサーや企業が関わると逆に過大評価されたりする。 それにも関らず上流工程は極めて重要。これは、

    • 「トランスサイエンス」を巡る議論はなぜ混乱しがちなのか

      トランスサイエンスを巡る議論がしばしば混乱しがちな原因の一つは、「サイエンス」とは原則として「方法」を指す概念であるのに対し、「トランスサイエンス」とは「問題」を指す概念である、つまり両者は異なるカテゴリの概念である、という点にあるのではないだろうか。 サイエンスの方法は様々な(というより原則的にすべての)対象や問い、問題に適用しうる。しかしそれが(単独では)必ずしも適切かつ十分な問題解決や理解をもたらすわけではない。トランスサイエンスはそのような状況を招くような種類の「問

      • 専門性をめぐるメディアとアカデミズムの問題

        (2022/3/11) この意見に対して現役の記者から「いかにも学者さんの意見って感じ」「もっと多様な背景の人がメディアには必要」「あらゆるテーマに精通した人材を揃えることは総合大学でもない限り不可能」「その分野の専門知識がないと語ってはならないというのは、専門家の権威主義」といった異議の声が上がっていた。「社員のレベルアップが必須」との問題提起とその処方箋を「一つの意見」として述べていることに対しての、かなり強い拒絶反応だと感じた。 大学院レベルの知的訓練というのは何も

        • 「専門性を持つ人材」が重用されるためには

          (2022/11/16) 専門知識を身に着けた人材に高い報酬が支払われるようになるためには、企業がそうしなければ人材をつなぎとめられないと考えるような人材の流動性が存在することが必要。それと同時に、企業がそういった人材を活かして高い付加価値を生み出せるようなビジネスを行うことが必要。 流動性は規制緩和などを除けば主として「結果」として現れるものなので、まずは「専門知識人材を活用した高付加価値ビジネス」に注目すべき。現状、この活用のアイディアが圧倒的に足りないことが問題なの

        上流工程は未来予測である

          大学教育が「役に立つ」とはどういうことか

          (2023/9/10) 大学教員は原則として研究者ではなく教員として雇用されているので、一般社会からの理解という観点からは研究よりも大学教育の問題のほうが重要かもしれない。だとすると「大学教育は役に立たない」論に正面から向き合う必要がある。 外形的な「単位の実質化」は無意味。また「役に立つこと」はエクセルを教えることではない。陳腐化の恐れもある。ではどうするか。3点ある。 現時点あるいは近い将来企業が切実に求めているコアスキル、例えば「DXに不可欠なワークフローの抽象化

          大学教育が「役に立つ」とはどういうことか

          「科学技術コミュニケーション」をめぐる原理的問題についての試論

          (2023年6月) 現在「科学技術コミュニケーションの範疇に入る」と言われている対象をすべて包含しようとするならば、この言葉の定義は「科学技術に関する何らかのコミュニケーション活動」とするしかない。つまりこれは研究でもなく何らかの具体的な目的を達成するための社会運動でもなく、「気圧配置」や「人口分布」のような単なる「現象」にすぎないということである。 だとすると、ここからさらに「良い科学技術コミュニケーション」といった価値的な判断をしようとするのであれば、別途何らかの理想

          「科学技術コミュニケーション」をめぐる原理的問題についての試論

          オートメーションの上でダンスを

          人々の努力はできるだけ報われて欲しいと思う一方、報われるかどうかはその時々の社会制度、市場動向、立ち位置、コミュニティの価値観等に依存せざるを得ない。残念ながら全く的外れの努力、というものもあって、2つのバケツの間で水を移し替える作業をいくら繰り返してもそれに報いよとはならない。 究極的には、努力が報われるためには「努力そのものが報いであるような種類の努力をする」しかない。つまり自己充足的であれ、ということである。しかしその場合、果たして社会は成り立つのか。外部から報われる

          オートメーションの上でダンスを

          学問・教育、行政官僚機構、政治、公共性

          例の文科省課長の発言、上から目線とかそういう話は一旦置いておいて、ここでは行政官僚の行動性向に注目したい。 1.価値や感情からのデタッチメント 2.形式や手続きへの固執 3.俯瞰への欲望 3は1ゆえに優先順位や実現への意志を欠く単なる羅列となり、いわゆる「ポンチ絵」に結実する。2は1を支える防壁となる。 シェアしたXは上記性向の典型的な表現型。さて、何故行政官僚はこのような行動性向を持つのか。官僚組織がそのようなパーソナリティを引き寄せるのか、採用人事の問題か、それとも省

          学問・教育、行政官僚機構、政治、公共性

          生成系AIについての現時点での雑感

          (主としてChatGPT3.5を使用。何度かBingAIを使用。) ユーザーと生成系AIとのインタラクションの基本は、「(a)ユーザーが指示してAIにアウトプットさせる」というもの。このバリエーションとして「(b)ユーザーが指示してAIに「ユーザーへの指示を」アウトプットさせる」「(c)ユーザーが指示してAIに「AIへのアウトプットに対する反応を」アウトプットさせる」というものがある。これらの組み合わせによって、ユーザーが新たな知識を得たり、AIの支援によってユーザーが経験

          生成系AIについての現時点での雑感

          社会における切実な問題解決の全体像を考えるために ~『お金のむこうに人がいる』(田内学著)をもとに~

          自分自身の、自力では解決できない問題を解決するには、それを解決してくれる誰か別の人間が存在しなければならない。自力を鍛えればよいではないか、と言うかもしれないが、自力では鍛えられない自力、という問題を解決するにはやはり、それを解決してくれる誰か別の人間が存在しなければならない。 この社会に生きる全ての人間にとって、自力では解決できない自分自身の、(とりわけ放置し得ない)問題を解決してくれる他者が存在する社会が、自分が生きていく、あるいは善く生きていくための必須条件だとすると

          社会における切実な問題解決の全体像を考えるために ~『お金のむこうに人がいる』(田内学著)をもとに~