見出し画像

上流工程は未来予測である

下流工程の都合で上流工程が捻じ曲げられないためには両者の分離が不可欠なのだけれども上流工程だけの案件でビジネスを成立させるのは極めて困難なのが現状である。

上流工程に限ったビジネスが困難なのは、これを適切に評価する方法が無いから。上流工程の品質は一般に、下流工程が完了して成果物が出来上がってからでないと評価できない。ゆえにやたらと軽視されて値切られることが多いが、著名なプロデューサーや企業が関わると逆に過大評価されたりする。

それにも関らず上流工程は極めて重要。これは、上流工程の問題を下流工程ではカバーできないから。「戦略の失敗を戦術では補えない」「物を収納するときは大きい物から」といったことと同じ。

上流工程をf、下流工程をg、最終的に生まれる価値をVとすると例えば、
V=f*g
0≦f≦1000, 0≦g≦10
といったイメージ。gが0だとfが台無しになるのは当然だが、通常100が期待されるfが10しかないとgを完璧に成し遂げてもVは100にしか届かない。f=100, g=5のときのV=500に全く及ばない。

市場に出回る上流工程fと下流工程gの品質分布は、たとえば図のようなイメージになる。このような状況下でクライアントは、fについてはだいたい50~100を期待し、gについては4~8を期待する。gの品質評価と管理には比較的「正解」があるが、fについてはあまり手がかりがないしばらつきが大きすぎる。

上流工程・下流工程それぞれの品質分布(イメージ)

こういった背景があるため、クライアントは上流工程の評価、管理、そしてそれへの投資に対する動機を失いがちである。しかしこれはこのような業務形態に留まらず、全て1人の人間が行う場合、つまり個人作業であっても同様の事態は発生する。結局問題は、未来をどう予測するか、という点に収束する。

上流工程を適切に評価しようとすると、然るべき未来にどのような成果物としてそれが結実するのか(アウトプット)、その成果物がどのようにユーザーに体験され(アウトカム)、社会に影響を与えるのか(インパクト)ということを「予測」しなければならない。いかにしてこのような予測が可能か。

我々は過去の経験や記録、様々な知識を手がかりに未来を予測するが、これらはいずれも未来そのものではなく、不十分な情報からそれを推定しているだけである。言い換えるとこれは、未来の母集団からのサンプリングによる統計的推定の一種である。

例えばプロトタイピングという手法。これは完成品のモデルを作ることによって完成品という「未来の母集団」から「サンプリング」を行っているのである。そしてこのプロトタイプというモデルを用いてユーザーテストなどのシミュレーションを行うことによって、完成品のもたらすアウトカムを推定する。

絵コンテ、モックアップ、実証実験などといったものもすべて本質は同じである。これらは制作行為によって起こりうる未来全体のうち一部を前倒しで実現し、それを触りながら評価を行うためのテクノロジーである。手に取ることのできる「小さな未来」の実現、と言ってもいい。

人間は脳の中でもこれに近いことを行っている。これを制御理論の言葉では「内部モデル」と言う。内部モデルに基づいたシミュレーションにより運動系への望ましいインプット(=運動指令)を計算し、それを発する。このような制御をフィードフォワード制御と言う。

仮に業務における上流下流工程を制御理論の視点で捉えることが可能だとしたら上流工程の問題への対処のヒントがそこから得られるかもしれない。一方、「内部モデルの構築」のためには制作対象はもちろんのことユーザーである人間、社会、自然環境、それらの相互作用に関する膨大な知識が必要となる。

これらはエージェントベースシミュレーションの領域だと言える。他方、これらの認知負荷は一般には過大となり得るため、業務上の経験によって得られた「結果的に価値を生み出した上流工程の部分条件」をヒューリスティックスとし、そのライブラリを整備していくことがある程度有効であろう。

アジャイル開発というのはこれらの観点からすると非常にラディカルな考え方で、現在というものを永遠に小さな未来、未来のモデル、未来の母集団のサンプリングとして捉え続けるという構えであると言える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?