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東京・赤坂~新宿紀行(2)芝・赤坂アークヒルズ~サントリーホール初体験~築地のホテルへ

アークヒルズ『アークガーデン』から、音楽の殿堂『サントリーホール』へ

Karajan Platz:カラヤン=プラッツ(広場)

アークヒルズに到着しましたが、それでもまだ午後4時台前半でした。
夕食を取るレストランが開店するまで、まだ大分時間があるので、アークガーデンにて、空中庭園の散策をすることにしました。

殿堂のエントランス。気品に満ちあふれています。
すぐお隣は、テレビ朝日の本社でした
エントランス全景
大指揮者「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の、
サインが刻まれたメタルプレート
モニュメント
ホールエントランス左翼の噴水施設
本日のプログラム。中央の「映像の世紀~スペシャルコンサート」です。
ピアノ演奏は、作曲者の加古隆先生ご本人です。
ホールの右側に、アークガーデンへ続く階段が。
『カラヤン=プラッツ』のプレート。
カラヤンとの並々ならぬ関係の深さが分かります。

アーク・ガーデン

ホールの右側の階段を上ると、空中庭園とは思えないような、よく手入れされた、完成度の高い庭園が広がっていました。

アークタワーズ
東京砂漠のウォーターフロント
庭師さんによる管理と、生命力溢れる
植物の繁茂の調和が絶妙です。
紫陽花が見頃でした
超高層ビルの谷間にある緑。貴重です。
信州でも希少種のホタルブクロ
アークタワーは、田舎から来た旅行者にはやはり凄い。
咲き始めたばかりの紫陽花

神谷町からの徒歩で疲れていたため、ちょうど良い小休止になりました。
午後五時。そろそろ夕食の時間です。

シティ・ベーカリー・ブロッサリー・ルービン・赤坂アークヒルズ

アークヒルズ界隈を、ディナー会場を求めながら彷徨い歩いていると、こんな素敵なベーカリーレストランに出会えました。
以下は、Google Mapに投稿したお店のレビュー・食レポです。

(Google Mapより転載):

初めての芝・赤坂での、初サントリーホールで催行されるコンサート前のディナーを、どこで頂くか探しあぐねていました。 「コスパは良く、ある程度のクオリティは確保したい」、この希望を叶えてくれたのが当店でした。
予約なしの飛び込みでしたが、早い時間のディナーだったので、ほどなく店内中央の、居心地の良い席に案内して頂けました。
店内は、品の良いブラックを基調とした、落ち着いた印象です。注文前にお借りしたお手洗いも、大変に綺麗に掃除され、設備も最新でした。
メニューを見ながら、お店のあらましに目を通しましたが、どうやら米国発の、ベーカリーダイニングのようです。
本店はニューヨークにあるようで、店内にも、米国本社からの派遣組と思われる、アメリカ人の方が、接客やレジをされていました。 
夕食の後は、2時間にわたるコンサートを見るので、元気の出るものを、と思い、エスニック系の「シュリンプ=ミーフンゴレン」を注文。
この選択、間違いではありませんでしたが、どのメニューにもたっぷりの焼きたてブレッドがサーブされるので、次回はグリルチキンや、ローストビーフ・ポークステーキ等も頼んでみたい、と思いました。
 店内は、いかにも「東京の週末アフター5」、と言った印象の、人生を満喫するオフのビジネスマンや旦那衆、週末ディナーを楽しむ中年ご夫婦、といった方々での構成でした。 

まずは、季節限定ドリンクの「季節のハーブティー」を嗜んでみました。 果物とハーブで抽出したホットティーなので、鮮やかなクリムゾンのお茶…、田舎のカフェでは到底、お目にかかれない逸品です。 砂糖は入っていないものの、果物やハーブの自然な甘みが、神谷町から歩いてきた自分の身体に、優しく染み渡りました。 

季節のハーブティー(期間限定)

ドリンクの次にサーブされた「サービスベーカリー」も、焼きたてふわふわの、しかも噛み応えのある準バゲット風の焼き加減で、お腹にガツンと来る旨さでした。 

ルービン謹製ブレッド

そして、お待ちかねのメイン「ミーフンゴレン」がサーブされました。 新鮮なプリプリのシュリンプ、青物はスナップエンドウ、てっぺんには高価なパクチーが、ふんだんに乗せられています。 苦手な日本人もいるパクチーには、嫌なクセや匂いもなく、もりもりと食べられました。本体の麺であるビーフンも、堅すぎたり伸びたりしていた、ということは全くなく、絶妙の炒め加減でした。

本日のメイン:『シュリンプ=ミーフンゴレン』

食事を済ませた後、VISAクレジットカードで決済したのですが、会計を担当して下さったのが、先ほどのアメリカ人の方でした。 一等地のレストランでのディナーだったのに、アンダー2300円で、美味しい食事を満喫できたのも感謝です。 なので、店を出るとき、英語で、"Thank you very much for your nice dinner!"とお礼を申し上げたら、"You're welcome!"と返して下さいました。 満ち足りた気持で、次の目的地のサントリーホールへ向かうことが出来ました。 次回以降の芝・赤坂エリア観光や、サントリーホールでのコンサート鑑賞の際も、定レストランとして利用させて頂きたい名店でした。

食事が終わっても、まだ優に時間が合ったので、カラヤン=プラッツでのお散歩・見聞を深めていました。

開演時間が近くなり、他の参加者が集合してくる頃合いになりました。さすが、国内最高峰のコンサートホール、ということもあり、会長・社長・院長・御曹司・ご令嬢クラスの、「エスタブリッシュメントな」雰囲気の方々が多く、田舎の平民出身者は恐縮してきました。

そして、午後6時15分。ゲートが開場です!

サントリーホール入城~コンサート開演

サントリーホールに入場しましたが、本当に今まで経験したことのない気品に満ちあふれていて、気後れしてしまうほどでした。
天井に超弩級のシャンデリア吊り下げられていた、と数ヶ月後に、BSプレミアムの「美の壺」で知ったのですが、見逃してしまったようです。

ローチケで予約した席は、最前列の右方よりです。
予約席のすぐ目の前に、ナレーション担当の山根基世キャスターが出演するための演台が置かれていました。手を伸ばせば、届く可と思うほどの近さです。

そして、午後7時。
定刻通り、運命のコンサートが開演しました。

まずは東京フィルハーモニー交響楽団の演奏者の方々が入場。
続いて、指揮の岩村力先生、山根基世キャスター、そして最後に自らピアノを演奏される作曲者の加古隆先生がステージに上がられました。
加古先生は、「映像の世紀」の初回シリーズが製作された30余年前(1995)の前から、トレードマークとなっていた黒いエレガントなハットを、この場でも被っていらっしゃいました。

序曲として、あのもの哀しく重厚なテーマ「パリは燃えているか」が演奏されました。
背景のスクリーンでは、20世紀の様々な映像の記録が映画館よりも大きく投射され、音楽だけでなく、映像とのコラボレーションも為されていました。
過去のシリーズで繰り返し報じられた、20世紀の数々の凄惨な戦争・災禍の記録だけで無く、本年2月24日に開戦した「ウクライナ侵攻戦争」での映像も相まって、冒頭曲から「涙腺崩壊」してしまいました。

演目は次の通りでした。


<前半>
オープニング:パリは燃えているか

第一部『映像の始まり』

  1. 時の刻印

  2. シネマトグラフ

  3. はるかなる王宮

すべてはリュミエール兄弟の作った「シネマトグラフ」という発明から、「映像の世紀」は始まりました。
「工場の入口」などの作品ですね。コンサート内では「シネマトグラフ」が充てられていました。

工場の入口(wikipediaより引用)

第二部『第一次世界大戦』

  1. 神のパッサカリア

  2. 最後の海戦 パート1、2

  3. パリは燃えているか

『神のパッサカリア』のパートでは、WWⅠの西部戦線において、塹壕から機関銃掃射の嵐の中へ突撃して、その格好の餌食となる若い向こう見ずな新兵、また傷つき息絶え絶えになった戦友を、塹壕の中で負ぶって逃げ惑いながら、カメラを呆然と見据える一兵士の映像が身につまされました。
心の琴線に触れるような悲劇的な旋律が、加古先生の優しくも力強いピアノと、東フィルのストリングス編成で奏でられ、ここでも感極まるほどの深い悲しみに、心を揺さぶられました。

第三部『ヒトラーの野望」

  1. 未来世紀

  2. 大いなるもの東方より

  3. マネーは踊る

  4. パリは燃えているか

そして、コンサートは前半の山場、「第二次世界大戦」に差し掛かかりました。
米国発世界恐慌(1929)での煽りを矢面に受けた、当時のドイツ(ワイマール共和国)の経済的惨状、ヒトラー率いる「国家社会主義ドイツ労働者(ナチス)党」の台頭、そして第二次世界大戦への戦端が、映像と共に展開されていきました。

幕間~オリジナル・サウンドトラックのCDアルバムを購入

休憩時間の幕間には、HMVグループによるCD物販のコーナーもありました(キャッシュレス決済完全対応でした)。
あまりにも映像音楽の質が高いので、私も完全盤サウンドトラックを購入しました(Spotifyでの配信等がまだ無いので)。帰宅して後、ALACフォーマットにて、ロスレス品質でリッピングしました。

また、演奏中の写真撮影が全て禁止であったため、幕間にステージの様子を撮影しました。

幻想的な雰囲気のステージ。
ステージ背後の音響板の構造が独特です。
Intermission
超弩級のパイプオルガンが背後に控えています
加古隆先生が演奏されていた、ピアノに肉薄。サントリーホールは、スタインウェイ(Steinway)と双璧を為す、世界トップクラスの独ブランド「ベーゼンドルファー(Bösendorfer)」の、
グランドピアノを採用していたと分かりました。

コンサート後半

後半オープニング(映像なし) パリは燃えているか(ピアノ・ソロ)

第4部 第二次世界大戦

  1. 大いなるもの東方より

  2. 最後の海戦 パート2

  3. 神のパッサカリア

  4. 狂気の影

太平洋戦線、ヨーロッパ戦線等の映像と共に、先の大戦による再度の破滅を迎えた「第三帝国(サードライヒ)」の顛末、そしてアジア太平洋戦争の帰結として、文字通りの『焦土』となった我が国が、東フィルの華やかながらも、かつ鬼気迫る演奏で紡がれました。
パリを初めとした、大戦下のヨーロッパ各地でのレジスタンス(ナチ抵抗運動)の様子も紹介されました。
山根キャスターの、落ち着きもあり、聴き取りやすい情感のこもったナレーションが、数々の悲劇的な映像の力に、さらに厚みを加えていました。

第5部 冷戦時代

  1. パリは燃えているか

  2. シネマトグラフ

  3. 最後の海戦 パート1

  4. 黒い霧

WWⅡでの、連合国による「枢軸国ファシズム打倒」もつかの間、2年もしないうちに、米ソが超大国として睨み合い、世界各地で代理戦争を繰り広げる時代となりました。
朝鮮戦争などの、アジア地域を含めての各地での悲劇を繰り返しながら、時代は激動の1960年代を迎えます。

第6部 ベトナム戦争、若者たちの反乱

  1. パリは燃えているか

  2. ザ・サード・ワールド

  3. 睡蓮のアトリエ

ベビーブーマー世代の若者等が大学生になった頃、東のアジアではベトナム戦争が、泥沼化の様相を呈していました。
無意味な戦争、また未来ある若者を、兵員として徴兵し続ける「国家」のあり方そのものに疑問を投げかける社会的機運が、戦争当事国のアメリカのみならず、西欧民主主義諸国・当邦でも、一大的に湧き上がりました。

米国・ワシントンの「無名戦士」の像

かくして、1973年に「パリ平和協定」が結ばれ、アメリカは『敗戦』を受諾します。
『天下無敵の民主主義国家』を豪語し、誇った超大国が、「ヴェトミンのゲリラ戦法」に屈した瞬間でした。
そして、2年後の1975年、南ヴェトナムは崩壊し、国父「ホー・チ・ミン」亡き後を継いだ、レ・ズアン書記長率いる北ヴェトナムによって、戦後の民族国家分断は再統一されました。
南ヴェトナムの首都であった「サイゴン」は、この統一により「ホーチミン」と改称されました。

第7部 現代の悲劇、未来への希望
    愛と憎しみの果てに
エンディング 
    パリは燃えているか

そして、壮大なコンサートの一夜は終幕を迎えました。
鳴り止まない拍手の中、ピアノの加古先生と、指揮者の岩代先生、ナレーションの山根キャスターが、何度も深々と感謝で頭を下げておられました。
音楽を聴いて(映像が連動していると言うこともありましたが)、落涙するほど感極まるという経験は、このコンサートが初めてだったのでは、と思います。
初サントリーホールでのコンサート観覧は、とてつもない感動を私の感性に与えながら、成功裏に終了することが出来ました。

分散退場で、会場を後にします
ライトアップされた、夜のアークヒルズ噴水
会場を出ると、時計は2120を回っていました。

溜池山王【21:29】(東京メトロ銀座線~日比谷線)~築地【21:46】

東京メトロ銀座線~日比谷線へ乗り換え、予約した「アパホテル築地駅南」に到着です。
以前の旅行で、アパホテルグループの会員カードを発行しておいたので、決済は専用端末で、ごく短時間で済みました。

近くにセブンもあり、立地条件は申し分ないです。
下町にあるので、都会の喧噪を気にすることなく、
ゆっくりと休めます。

一日、遅くまでお疲れ様でした。
おやすみなさい。


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