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PLEBS(平民)の軽井沢~離山エリアにて美食&美術館巡りの日帰り旅


OP:「軽井沢コネクション」by 荻野目洋子

早朝に現地入りが狙い目

前回(昭和の日)に引き続き、平日に初夏の軽井沢を再訪。今回はコンサート観覧は無く、美食・美術館、そして自然散策のバス&徒歩の旅です。
離山公園での散策時間を多めに取りたいと思案した際、軽井沢駅から現地へ向かう町内循環バス(内回り線)の始発時刻に間に合わせる必要があったため、私の街を出る時間も前倒ししました。

弊街の街頭フラワーポット。沿線の商店主の方々が、常に手入れして下さっています。
午前620過ぎの長野駅・善光寺口前
弊街は快晴!目的地への期待も膨らみます。

前回と同じあさま604号・自由席に乗車。平日なので新幹線通勤のビジネスマンもいらっしゃるものの、週末のような混雑とは無縁でした。

あさま604号入線、出発!

30分程度で軽井沢駅着。ここから北口へ向かい、バス乗り場を目指します。
時間があるので、南口から見える雄大な数々の稜線を愛でて参りました。一番大きな浅間山は、この位置からだと離山にほぼ隠れてしまうようです。

「レンタサイクル」の看板裏に控える大きなお椀型の低山が離山、その後ろに薄く隠れて見えているのが浅間山です。
軽井沢本通り。まだ観光客もまばら、シャッターも閉じています。
萌える新緑の溢れる、南口の植栽・ウォーターフロント。

乗合循環バスにて、離山公園エリアへ

町内を行き来する際、自家用車で乗付ける方、タクシーをお使いになる方、レンタサイクルを同じ南口から利用する方など、様々な手段があるかとは思います。
私はそれらも勘案した結果、循環バスを利用することにしました。西武バスでの運行で、どの区間を乗っても定額100円という破格です(しかもモバイルSuica完全対応)。ダイヤ本数は少なめの時間もありますが、1エリアでの滞在時間が長いため、時間をやりくりすれば過疎地の路線バスのような不便さはありませんよ。

令和6年4月現在の路線図・ダイヤも参考までに:

https://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1001000000599/simple/jyunkanbasuhigashiminamimawarisen.pdf

南口を背中に見て、右側の方面にあるこの「1番のりば」から乗ります。循環の「内回り・外回り」を取り違えると旅程が大きく狂うので、計画段階で良く確認しましょう。
平成年間・埼玉県内仕様のカラーの西武バスが入線。地元高校生等も多数乗車します。

この路線、私の目的地以外にも旧軽井沢銀座・雲場池なども回る、大変に使い勝手の良い路線です。実際、この時も前述バス停下車の観光客も数名いました。
私は目的地最寄りの「図書館前」まで乗ります。下車するバス停は国道18号の大型バイパス下り線側にあるため、スピードを上げて通過する乗用車・トラック等と接触しないよう細心の注意を払いながら、横断歩道で安全に離山公園側へ渡りましょう。

もともと、江戸期まで「中山道」だった区間です。

離山公園にて自然散策

離山は、登山対象になるクラスの低山です。私が公園内に入った時間、まだ南側登山道入口のミニゲートが閉門されていました。

今回は観光のため、離山登山はまた別の機会に。
朝のきりりと引き締まった清冽な空気に、軽井沢の初夏の爽やかさを感じます。

西方向の雨宮池側まで出ると、池の水は抜かれていたものの、中学校の校舎の向こうに、浅間山の雄大な稜線をしっかりと目の当たりに出来ました。

中央の大きな山が浅間山です。

離山公園はそれほど敷地は広くはありませんが、絨毯のようなフカフカした杉苔、心地よい木漏れ日、木々や珍しい草花、小川のせせらぎ、そして絶え間なく響き渡る野鳥の美しいさえずりなど、ずっとそこにいたくなるほどの素晴らしい空間です。しっかりとした作りの東屋や清潔な公衆お手洗いなども整備されており、立地的にも穴場の自然公園です。
公園内で目にした風景をご覧下さい。

この散策路を東へ抜けると、現代美術館や民俗資料館へも出られます。
天然のウツボカズラ。このような野生が、この公園にはあるのです。
オオルリやキビタキなどの美しい野鳥のさえずりが、常に耳に心地よい。
登山までしなくても、自然の豊かさは十二分に満喫出来ますよ。

この離山公園での最初の訪問施設、旧近衛文麿別荘(市村記念館)の午前九時開館を待ちます。

旧近衛文麿別荘(市村記念館)

旧近衛邸別荘前景
近衛卿の別荘が町内の他のエリアへ移転した後、オーナーとなった市村今朝蔵(卿とも親交のあった政治学者)による、軽井沢の発展に対する功績を顕彰する展示物が所蔵されています。

邸内とその展示物はすべて撮影禁止でしたが、近衛卿が軽井沢滞在中に実際に使用された机、また別荘に特別に敷設された専用電話線(海外要人直通の国際電話含む)とその電話帳リストなど、興味深い展示物が多かったです。
設えは意外と実用的な設備が多く、長期滞在も快適に過ごせるような浴室、日当たりや風通しの良い寝室・客間・書斎、別荘を来訪する客人をホームパーティーでもてなせるような当時としては大分広めの台所もありました。
一階にあった蓄音機(米Victor製、1920年製造)に目が留まったので、学芸員の方にお話を伺いました。木製ホーンの「朝顔」がピカピカになっているので「最近、復元されたのですか」と尋ねると、「復元というわけではありませんが、演奏が十分に可能な音響機器であるため、昨年から今年にかけてレストアしたのです」との回答。「卿のご実弟(後のN響設立者の一人である秀麿殿下)が、国際的にも著名な指揮者だったと伺っているのですが」、との質問には、「これは近衛卿の所蔵品では無く、後のオーナーの市村夫妻の所蔵品なのです。しかし、『スクール・モデル』というタイプで、ホームオーディオというよりは学校等での行事での音楽演奏に使用された出力の大きなモデルですよ」とご回答下さり、「ご興味がおありなら来月下旬、この蓄音機のリストア記念の蓄音機コンサートが、隣接の民俗資料館主催で行なわれます。事前予約等も、そちらで対応が可能ですよ」と耳寄りな情報を頂きました。

6/24(月)開催の蓄音機レコード・コンサート案内&PDFチラシ(事前予約要

学芸員さんにお礼を告げ、離山公園の自然を満喫しながら次の歴史民俗資料館へ向かいます。隣接する雨宮記念館は当日は非公開であったために、入館はせずに向かいました。

公園入口のツツジ。

軽井沢町歴史民俗資料館

歴史民俗資料館入口
教会のような清々しい新緑のゲートです

中山道の交通の要衝としての古代からの発展、江戸時代の宿場町「軽井沢宿・信濃追分」としての賑わい、明治中盤にカナダ人宣教師A・ショーが軽井沢を別荘地・転地療養地に最適な高原の街、と紹介してから令和の現在まで続く一大国際リゾート避暑地としての隆盛などの歴史がよく分かる展示でした。軽井沢に別荘を構えたライシャワー駐日元米国大使、日本人で最初に当地に別荘を建設した海軍大佐の八田裕次郎、同じく東武鉄道社長だった根津嘉一郎の別荘の写真や模型、2Fには貴重な当地の名産家具「軽井沢彫」の貴重な調度品の数々も展示してありました。旧軽の高級家具調度店等では気兼ねせずには見学できないため、その一番の特徴である桜の花の見事な彫刻なども間近で堪能して参りました。
また、館内の1F左手には、杉浦非水(夫、画家)・翠子(妻、歌人)夫妻の功績を偲ぶ展示室もありました。

資料館入口左手にある、翠子の歌碑説明
あめつちに おのれさびしと おもうとき 浅間はもゆる 陽のいりぎはを」(翠子)

歌碑周辺の新緑のロケーションにも、しばらく目を奪われていました。

木漏れ日が心地よいので、キャップ程度の熱中症対策で十分です。

西側の坂道を上り、軽井沢現代美術館を目指します。途中にあった「離山図書館」は、臨時閉館中でした。

軽井沢現代美術館

建築関係商工グループの別荘
現代美術館の入口。頑丈な鉄の扉で仕切られています。
斜度はきつめなので、私の後に乗付けた高齢女性の二人組はタクシーにて乗付けていました。

開館直後に入館。学芸員の方々は、大変ご親切に対応して下さいました。
実は「2025年の秋期にて営業終了」という告知があったため、「まだ営業しているうちに」と思い駆けつけました。他の観覧者も少なめだったので、奈良美智・ロッカクアヤコ・元永定正などの代表作を鑑賞。苦手めの前衛派ではありましたが、郷土の英雄である芸術家・草間彌生画伯の作品も鑑賞して参りました。筆者と同じメンタル疾患を抱えながらも、国際的な名声を獲得して、現在も世界の第一線で活躍し続けるスーパーレディーです。「パンプキン3部作」も勢揃いしていました。
2Fには、当館のコンセプトである「海を渡ったアーチスト」のパイオニア、藤田嗣治画伯の代表作も4~5作ほど展示されていました。ギャラリーや、購入可能な作品群も観覧した上で、予約済のランチの会場、離山の老舗洋食軒「菊水」さんへ徒歩で向かいます。

菊水さんへの別荘地散歩

予約時間に間に合いそうなバスがなかったため、30分程度の別荘地散策を満喫しながらランチ会場まで歩きます。
起点近くに菓子処「おらが」さんがあったので、ここでイートインでの黒糖饅頭にてお茶休憩。お土産の「きなこ餅」・「きんつば」なども購入しました。
品数は豊富ですが、観光地価格ではないのに美味しく丁寧な和菓子のため、ここもオススメショップですよ。

キャッシュレスはキャリア・バーコード決済も含め、完全対応。
お得な和菓子から上生菓子、季節和菓子までラインナップは広いです。

北陸新幹線架線を越えなければなりませんが、道路左側にある地下道をくぐって抜けます。上の陸橋には歩道は全くないので、安全を優先しましょう。

この地下道です。右側はレンタサイクル勢の通り道なので、なるべく左に寄り、邪魔になったりすれ違い・追い抜かれ時に接触したりしないように注意しましょう。

地下道を抜け、ヤフマアプリでの順路案内を頼りに別荘地を踏破していきます。

予備校の先生も来る、軽井沢。
柵での仕切り等無く、別荘が自然に溶け込んでいます。
生け垣等での遮りもないですね。
この時期は滞在中の夏季に向けて、別荘の修繕をするオーナーも多いようでした。

しかし、ここでアプリがまさかのミス。18号を横断するのですが、最短距離優先のため、横断歩道も歩道橋も無いような順路を提示してきました。
左右の乗用車・トラック等の往来の様子を確認しましたが、到底安全に横断できるエリアではありません。前沢原の歩道橋まで、西方向へ200mほど余計に歩くことになりました。

軽井沢の老舗名洋食軒、「菊水」さんにてランチ

旅程に余裕は持たせていたので、予約の正午よりは余裕を持って到着出来ました。駐車場には錚々たる高級外車が、山のように駐車されています。

軽井沢に総本家をお持ちの、大学恩師のおすすめで来店しました
紅白のオオテマリ。ちょうど満開でした。
元々町内中心部に戦前(創業:1936~)からあった店舗が、こちらへ移転したそうです。

意を決して入店。2ヶ月前から予約をしておいたので、待ち等はありませんでしたが、店内はエスタブリッシュメントなアクティブシニアのグループ、当店のシェフとも顔なじみのミドル夫婦連れなど、まだ1130過ぎだというのに大変に賑わっておりました。

カウンター席の設え。ダークブラウンのウッド調に統一され、温かみのある内装です。
調理場上シェルフにある、高級ワイン・ウイスキーの数々

事前に調べたとおり、軽井沢の最古参級洋食軒であるのにランチメニューはリーズナブルな価格設定となっていました。ランチでのスペシャルリコメンドは「カナダ産ビーフの赤身ステーキ」でしたが、筆者は地産地消派であるので、「蓼科ポーク・キャベツのメンチカツ定食(¥1980)」をオーダー。ちなみにランチメニューは本体の金額で、サラダ・ライス・スープ(当日はミネストローネ)・食後の紅茶 or 珈琲の4点オプションはすべて込みとなっていますよ。
店内の叔父様・伯母様グループの方々は、彼らの若かりし頃の軽井沢での思い出話などに花が咲いていて和やかな雰囲気の店内でした。厨房内シェフは一人のみ、給仕の叔母様も一人のみで機敏にサーブ・注文・お冷補充などをこなしており、昨今では珍しくなってしまったプロのお仕事とお見受けしていました。
まずサーブされたのは、東信産の新鮮な地場野菜ミンチがたっぷり入った特製ミネストローネ。トマトの自然な酸味をしっかり利かせ、チーズも控えめの投入で丁寧な味の仕上がりです。スプーンでスープを掬って頂いていると、「食べるスープ」級に惜しげも無くお野菜が投下されているのは、やはり当地で3代続く老舗洋食軒としての立ち位置を感じました。

この真っ赤なミネストローネの中に、大量の新鮮地場野菜のミンチが控えています。

そして20分ほどの後、ライスと同時にメインのサーブ。まずはその盛の良さに驚きます。

本日のメイン:蓼科ポーク・キャベツのメンチカツ

揚げたての重量級蓼科ポーク・メンチカツが目の前に。添えサラダも、キャベツ・レタス・胡瓜等の冷野菜だけで無く、青々と茹でられたブロッコリー、ベイク済みの茄子や南瓜などの総てが新鮮さそのものです。
メインのメンチカツはつなぎ等ではごまかさず、ビーフ赤身ミンチのように口の中で柔らかくホロホロと崩れるものの、ポークと共にミンチしたキャベツとの相乗効果で脂っこさの殆どないものでした。ポーク本体の肉の旨味も、丁寧な揚げ調理のお仕事で存分に引き出されています。また揚げる手法だけでなく、盛付け皿の効果か、食べ終わるまでずっと熱々が持続していたのも美味しさポイントでした。添える粒入りマスタードもシェフが挽き・練り上げたもの、ソースのデミグラスは肉の旨味を引き出すのに最適だったため、メインが終わっても三口ほど僅かに舐めていたほどでした。
店内の他の客は「セットの米飯の量が足りないので追加で」と注文していたシニアの方もいらっしゃいましたが、この写真の左側にあるベイクドベジの下にはきめ細かく調製されたマッシュポテトがたっぷり添えられていたため、私は当初サーブの米飯の量で十分でした。
食後の余韻に浸っていると、熱々の紅茶が〆として提供されました。

高級ティーカップに並々と注がれた、熱々の紅茶。最後はミルクのみを入れて、余韻を楽しみました。

キレと味の澄み・深さが絶妙にマッチした、食後の至福でした。洋食の〆を紅茶にて、というのは昨秋の神戸・北野異人街でのランチから励行するようにしています。

シェフは馴染み客との久しぶりの歓談で、私は時間を取れなかったため、会計の際に給仕の叔母さんに「恩師のおすすめで予約来店したのですが、大変に美味しかったです。また、当地での日帰り観光の際に参ります」とお礼を述べ、次の「軽井沢千住博美術館」に向かいました。

軽井沢千住博美術館

5分程度元来た道を歩き、町内の花々を愛でながら歩くと、午後の旅程の一番目である軽井沢千住博美術館に到着しました

美しい5月の花々や、草花の植栽に彩られています
軽井沢千住博美術館。名ベーカリー「浅野屋」も、併設ミュージアムカフェを営業しています。

5mほどの順路にも、よく手入れされた数々の草花の植栽がありました。

美術館本館は左側です
ここを右に曲がると、入館口があります。

ここで収蔵されている千住博画伯は、かの千住三兄弟(著名作曲家の弟:明、名ヴァイオリニストの妹:真理子)の長兄です。館内は決まった順路等はなく、米・クパティーノのApple本社のようなフォルムの美術館内を観覧者が思い思いに好きな順路・順番で鑑賞する、という粋な趣向でした。私が最も好む絵画のジャンルは近代日本画ですが、千住画伯のフィールドは「現代日本画」です。その名の通り、前者と同じ要素である膠・岩絵具を利用しながらも、もやのかかる雄大な浅間山や、瀑布・滝、崖や断崖、日本各地の著名な桜の大樹など、今年度企画展『チキュウ・ウチュウノキセキ』に相応しい、数々の壮大な作品が一堂に会していました。中庭の曲面ガラスの外に植栽された桔梗の花々なども、観覧の目を和ませてくれる優しい植栽でした。
映像作品の大作プロジェクションアート「四季」も、上映時間に間に合ったため7分間の総てを見学しました。四季の穏やかなと艶やかさ、雄大さの中にも繊細さのある「日本・和の美」を、令和の感覚で見事に表現し尽くしていたことに感服するばかりでした。
40分ほどかけてゆっくりとアートを楽しんだ後、館内の中庭を歩きました。

中庭の草花まで、アートのように感じるほどです
ここを歩く他の観光客は皆無でした。折角の軽井沢なのですから、「自然」を満喫しましょうよ。
芽吹いたばかりの新芽。赤ちゃんのようで可愛らしい。

中庭を歩き切るとギャラリー棟があり、発育に先天的なハンディを持ちながらも幼児期から力作を発表し続ける DAIGO 画伯のミニ展覧会が開催されていました。

軽井沢の絵画アートは、これからの世代も支援していこうという意欲が強く感じられ、将来的にも頼もしい気風です。

観覧後に中庭に目をやると、棟の傍らに満開の紅白牡丹が。

美術館を後にし、もう一度東へ歩きながら、本日のメイン・デスティネーション「離山房」を目指します。ザ・ビートルズの実質的リーダーであった、かのサー・ジョン・レノンが愛した名店、と紀行番組で知ったので、この初夏の間に是非、足を運んでおきたい高級喫茶でした。

名喫茶「離山房」の「レノン」席にて、珠玉のアフタヌーン珈琲を

この美術館~喫茶区間も、歩道橋で往来安全を確保するために若干余計に、東方向へ歩く必要がありました。大きめの塩沢交差点まで歩き、そこから一気に北へ。
一度、緑が濃くなった中に、目的地の「離山房」はありました。

落ち着いた、高級ログハウスのような店先。襟を正して入店です。

先客のミドルシニアご夫婦が、同じように店内中庭の鳥かごに遊びに来るオオルリやシジュウカラ、アカショウビンの愛らしい姿と美しいさえずりに、目を細めていらっしゃいました。

入店して、屋内席にしようとしたところ、短髪の若くて大柄な優しいマスターが、「本日はテラス席の突き当たり、ジョン・レノンさんがお気に入りだったコーナー席が空いていますよ」と耳よりな情報を。天気・気温共に穏やかな午後だったので、迷わずそこへ着席。

かの「レノン席」。確かに、コーナー席で落ち着きます。
愛息子ショーンと、アイスをシェアされていたりしていたのでしょうか。

メニューはまずは迷わず、「離山房スペシャルブレンド」、そしてアテるスーツは当店のフラグシップ「ミノリヤ特製・ロイヤルスウィート・バニラアイス」です。
(※なお、シート・珈琲・カフェメニュー以外の店内内装などの撮影はNGとのことでした。皆さんも是非、現地に足を運ばれて下さい!)

ミノリヤ特製・ロイヤルスウィート・バニラアイス(¥920)

アイスは街や駅前で出てくるような漂白した白さでは無く、生乳を丁寧に練り上げた本格派です。自家製の酸味の利いたブルーベリージャムも甘さを引き立てます。添加物が少ないため、溶けやすくなっているのには注意しましょう。

離山房スペシャルブレンド(¥970)

ジョンのお気に入りの一杯だったホット珈琲。コーヒーカップの装飾の美意識の高さもさることながら、頂く前に香りを嗜むと、何とも穏やかな優しい気分になれます。口にした後の澄み・キレ・コク・深さの調和は、文字通りの絶品です。弊街でもスペシャリティ珈琲を売りにする喫茶店は多々ありますが、私も自分で淹れるハンドドリップは、この味を完成形として目標にしたいと思うほどでした。
軽井沢のそよ風に吹かれながら、25分以上かけてゆっくりと「サーの愛した軽井沢の味」と、その店内の豊かな自然を満喫していました。

軽井沢タリアセン・塩沢湖で見た「囲い込み」

旅の最後は、これから夏が本格化する軽井沢タリアセン・塩沢湖を訪れることにしていました。先ほどの塩沢交差点・歩道橋をもう一度反対方向へ渡り、塩沢エリアへ下っていきます。

道中の菖蒲

塩沢湖は近づいてきましたが、懸念していた予感が現実のものとなってしまいました。ここは「軽井沢タリアセン」という観光施設が、主に開発・整備等を行なっているのですが、塩沢湖の周辺が総て鉄柵で囲まれゲートで入場料を支払わないと、湖単体の散歩すら叶わないような「囲い込み」が行なわれていたのです。障害者割引があっても¥450。想定外の出費ではありました。

タリアセンゲート入場後。ネモフィラの植え込みが美しいです。

帰りのバスまで1時間余りだったので、塩沢湖の周辺を散策することにしました。

英・湖水地方のような風景。右手のヴォーリズ建築「睡鳩荘」は、小説『赤毛のアン』をイメージして建設されたそうです。
雲場池ほど、湖面は澄んではいないようです
オプション料金で、入館も出来るようです(私はしませんでした)
人懐こいカルガモ君たちが、寄ってきてくれました。可愛いですね。
東欧の著名建築家、アントニン・レーモンドの「夏の家」。現在は「ペイネ美術館」となっています。
仏の画家、レイモン・ペイネ(1901~1999)の美術館。観覧は別の機会に。
尊い「愛の形」。

時間的余裕が無かったのもありますが、オプション料金のかかる施設が多く、純粋に周遊だけの散策でした。

美しい羽毛の3匹のマガモが、湖畔で毛繕いをしていました。こちらも人慣れしていて、逃げません。
湖上の浮き島より、睡鳩荘を望む。柔らかめの西日に照らされ、湖面と木調が映えます。
一周して、スカイブルーの美しいネモフィラを再度愛でます。
願わくは、あのベンチに…(続きはお察し下さい)

周遊の間、二組もの新婚カップルが記念写真を新郎はタキシード、新婦は純白のウェディングドレスで撮影中でした。
2年前に同じ軽井沢を来訪した際、「次回は必ず、7年間一途に想い続け、お慕いする恋人と共にここへ再訪する」と誓ったのに、今回もその約束を果たすことは出来ませんでした。

帰路(家路へ)

さて、1520。軽井沢駅へ帰るための循環・外回りバスの発車時刻が迫ってきました。旅程を総てコンプリートしたので、「塩沢湖」バス停へ向かいます。湖側の路線を走るのは、一回目のバス停通過(塩沢でUターンし、進行方向を変える)ので、1535発となります。

「塩沢湖」バス停。ミドル夫婦の他客もいました。

ここから50分ほどかけて、ゆっくりと軽井沢駅まで戻っていきます。途中の風越公園では遠足帰りの地元小学生も、わんさか乗車してきました。しかし、西武バスの運転手さんの運転スキルは高く、急停車などは一切無くリムジンバスのように快適な乗り心地で、総計2万歩以上歩いた私の帰路には大変にありがたい公共交通機関でした。
左手の車窓からは夕日を背にした浅間山、軽井沢病院のロータリーを過ぎると、小高い離山の稜線を再度目の当たりにし、各所の別荘地の木立を含め、これだけでもバス観光をしているかのような美しい車窓風景も楽しんでいました。
バス復路途中の旧軽では、自家用車で路上駐車をして表通りの名店でせせこましく買い物をする若者も多数いましたが、道交法は守ってほしいものですね。
1625、朝に乗車した軽井沢駅南口まで無事に戻ってきました。

有名な1998年長野冬季五輪でのカーリング会場、だけでなく初回・東京五輪(1964)の馬術競技の会場ともなった軽井沢です。
駅南口から、日の傾いた離山を望みます。朝とは全く違う様相。
北口から軽井沢駅を。プリンスホテルスキー場、アウトレットモールはこちらから。
新軽井沢アウトレットモール。週末も近くなり、賑わい始めていました。

今回は、ランチとカフェで大分奮発してしまったので、廉価めの駅弁で帰り瓶の新幹線に(1709発・あさま609号、自由席)。
日帰りでしたが、大変にお疲れ様でした!

ED:「避暑地の出来事」by 荻野目洋子


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