いじめは残念ながら発生してしまう。いじめる方が悪いのは言うまでもないが、いじめられる側にも対処法がある。(アドラー心理学的に考えるとこの対処法の方が正しいように思う) 先に結論を言うと、クラスの中で1番ウザい人がいじめられる。だから、クラスの中で1番ウザい人にならなければいいのだ。 その方法は簡単でウザがられることを極力しないことだ。これは好かれることをするではない。 ウザがられることをしないことが重要なのだ。 そもそもどんな人がいじめられるのか考えたことがあるだろうか。
どうやら、情報の民主化がほぼ完璧に終了したらしい。つまり、誰でも欲しい情報にアクセスできるというわけだ。 よって、情報の民主化により頭の性能の差はなくなり、もっと行動力が大事になったと言えるだろう。 みんな同じ情報を持てるならあとは行動するだけである。さあ!今行動の時。 と、自分に言い聞かせてみる。
なぜ死にたいのですか?今まで良いことがなくて、人生どん底だからですか? どん底なら、あとは上がるだけじゃないですか! 微妙にどん底じゃないからですか? どん底じゃないなら、まだどん底まで行けるし、生きていたら、もしかしたら上ってるかもしれないし、 死ぬ理由には足らないんじゃないかなあ? 他人とかどうでもよくて、自分が今生きてて辛いからですか? その辛さは脱出不可能なんですか? 解決策はないんですか? 逃げられないんですか? 結局生きてないと未来がどうなるかわからない
「原子力発電に賛成の人でも自分の家の裏に作るのは嫌っていう」という話を聞いたことがある。 そんなことは当たり前である。 なぜなら、意見を考える時の要素に立場が入ってるいからだ。 自分の家の裏に作られる立場の人間とそうでない人間では立場が違うのだ。 先生と生徒でも違うだろうし、田舎出身と都会出身でも、トイレに今行きたい私と行きたくないみんなでも違う。 ということがわかったら、 少しは他人の意見に耳を貸す余裕ができるのではないだろうか、と私は思う。
岡田斗司夫さんが好きなので、「世界征服」は可能か?という本を読んだ。 たいへん面白く、世界征服の仕方は時代によって変わり、現代でも一応できる。ということがわかった。 しかし、 現代の場合は世界征服というより、世界保護の方が近いのかなと感じた。 1番近いのはアメリカだが、やり方がうまくなく、いつか崩れるだろう。と書かれていた。 大変興味深い。永遠なんてない。現状は一生は続かない。 ヨーロッパ史を知らないが、ヨーロッパの統一(EU)のような流れで人類は地球統一をするので
マスクって別に元々自由であるが、同調圧力的な、日本人的な働きによってマスクの着用は半強制のように感じた。 次は、マスクを外すことが、同調圧力的な、日本人的な働きによって半強制のように感じる。 「マスクをみんなが外すことは可能か」みたいなニュースのタイトルを見た気がする。 同調圧力の権化みたいなタイトルだ。 「マスクをしてる人は存在悪」という印象を私は抱く。 マスクの着用は自由になるだけである。外さなければいけないわけじゃない。 というか、元々自由だったのが次に自由にな
インサイド・ヘッドという映画を見た。 頭の中には感情が住んでいて、その人たちが人間の行動を決めていて、記憶は適切に処理される、みたいな話だった。 流石にこのあらすじは硬すぎるが、私は普通に泣いた。 いい話だなあって、人間ってこうやって成長するんだなって思った。
私は違うと思う。 ほとんどの人は相手によって態度を変えるだろう。こと恋愛になればもっとそうだ。 だから、あなたにとってはクズだった人でも、ほかの人にとってはクズではなくなるのでは? とか、考えた。 他にも理由がある。 この世のことは何でもやってればできるようになる。恋愛も同じだ。 恋愛レベルが上がってる途中の人がクズだったり、するのではないだろうか。 でも卑屈な人はいつでも卑屈だしポジティブな人はいつでもポジティブだったりするか、、、 高望みしないで、自分の恋愛偏
自分には無くて、でも欲しいものを持ってる人の近くで過ごすのは大変有意義である。 例えば、私は友達を遊びに誘うのが苦手である。楽しませないといけないと思って責任を感じてしまうからだ。 だから、私は友達を遊びに誘える人の近くで過ごすようにしている。 そうするとだんだん自分も誘えそうなマインドになる。 そして、誘ってみて遊んだりする。 こうして、自分に無かったものを克服できる。 だから、自分がなりたい人の近くで過ごすのは大変有意義なのだと、私は思う。
質問されると嬉しいよね! 今回は講演会の質問コーナーではなく、日常会話での質問について述べたい。 結論から言うと、相手の行動ではなく考え、判断について質問すれば良い。 そのためには、最低知識、あれば経験が必要だと考える。 行動について聞かれるより考え方について聞かれる方が嬉しくないだろうか? 例えば、 ネイルをつけている女性がいた。もちろん「ネイル綺麗ですね!」という。ここで終わってはいけない。 続いて 「なんでその色にしたんですか?」と聞く。 すると 「好きな色なん
よく無能とか有能とか聞くが、それはその人の情報の好みの問題なのではないだろうか。 ビジネスの情報が好きな人はビジネスの情報を無意識に集めるし、音楽の情報が好きな人は音楽の情報を無意識に集まるだろう。 勉強が好きな人は勉強寄り、運動が好きな人は運動寄り、政治が好きな人は政治寄り、、、 こんな感じで食の好みのように、人類には情報の好みがあるのではないだろうか。 全てはこの「情報の好み」で決まり、無能や有能があるのだろう。 この無能や有能もその情報の中の話で、自分の好みの
判断は早い方が良い。 正しい判断をすることがそれほど大事だろうか? 私は正しく判断をするより、早く判断する方が重要だと考える。 判断するのに3日かけても3分でも同じ判断になるなら3分の方が良いだろう。 さらに、迷うということはどちらでもあまり変わらないということだ。どちらか片方が圧倒的に良い選択肢ならすぐにそっちを選ぶ。 大学生のぺーぺーであるが、私が判断を早くする為に意識していることを伝授しようと思う。 判断を早くする為に意識していることが3つ、コツが1つある。 意
おそらくデートという概念ができた時から始まったであろう「デート代、男が奢るべきか」論争。 人生の中で最もデートをする回数が増えるであろう大学生であるのにも関わらず、デートの回数が少ない私が、私見を述べようと思う。 結論から言うと、恋愛偏差値によるが初デートでは奢る構えをするのが無難だと考える。それ以降のデートでは関係値によって変わるだろう。 女性に関しては「奢るべき」と考えても、「奢ってくれたら嬉しいな」と考えても、その他でも、なんでも良いだろう。これは性格の問題で、男
相関関係と因果関係がごっちゃになってる人は多いのではないだろうか。 相関関係と因果関係は全く違うと思っている。 相関関係は「した方が良い」ことだが、 因果関係は「絶対にした方が良い」ことだと、 私は考えている。 相関関係とは、要素Aが動くと連動して要素Bも動く関係である。要素Bが動くと要素Aも動く。 因果関係とは、要素Aが動くことによって要素Bが動く関係である。要素Bが動くことによって要素Aが動くわけではない。 相関関係は比較的簡単で直感的である。「楽しいと時間の進み
トゥキディデスの罠とは、台頭する新興国と覇権国の衝突がいつしか「引くに引けない」状況に追い込まれて戦争になる、という罠である。 実際に調べたところ、16件中12件が戦争になったらしい。確率にして75%である。 現代のアメリカと中国の状況はまさに、覇権国と台頭する新興国であろう。 私はたまたま統計学をかじっているので、この「トゥキディデスの罠」が相関関係なのか因果関係なのか気になった。 相関関係とは、Aの事柄が動いた時、Bの事柄が動く関係のこと(AとBには関係がある)だ。
久しぶりに電車の中で立ったまま寝そうになるぐらい眠かった。セルフ膝カックンが何回もなった。