みな例外なく、幼少期が自分のルーツ

人によって幼少期は様々ですが、幼少期そのものをスッ飛ばして成長した人間はいません。
全員、幼少期を経て、人格を形成していきます。


さて、僕はほとんど論理だけで生きているような人間で、それによって人間関係やら何やらの問題がいろいろ生じているわけですが、それら根本にあるのが幼少期の人格形成なんだなと、本質が見えたので記事にしてみました。
すなわち、なぜ僕が感情より何より論理であらゆる行動を決めるようになったかという話です。

僕は幼少期、末っ子なのに、兄弟間のあらゆる揉めごとでガマンをさせられていました。
つまり、自分の要求や感情を抑圧せざるを得なかったのです。
それが生きる術、幼いながらも自分で自分の心を守る叡智だったのでしょう。

そして感情の抑圧の次に来るのは、論理武装です。
僕の上兄弟は8才と6才離れていましたから、どう逆立ちしても喧嘩に勝てる要素がありません。
さすがの僕でも包丁を持ち出す幼稚園児ではなく、微笑ましくも涙ぐましい(と今振り返れば思える)"口喧嘩"のスキルが尖りに尖っていくのはこれまた必然の生きる術だったのでしょう。
このようにして、感情より論理に偏重しまくった思考や行動指針の基礎土台が形成されたのだと、先日ハッキリと確信したのです。


深層心理には、気付きがあふれています。
自分自身でしっかり認識していなくても、心というものは、我々を根底で支えたり守ろうとしてくれているものですよ。
そう考えると、自分のことがとても愛おしく思えてきます。
皆さんも、何かに行き詰まった時や、自分の性格の嫌な面が気になってしまう時、幼少期に答えを求めてみるのもいいかもしれません。

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