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037_Interpol「Turn On the Bright Lights」

この坂をあがりきると、ちょうど10年前に、俺たちが3年間通った中学校が見えてくる。そうだ、あいつとよくこの坂を一緒に登ったんだったな。

不意に、死んだ親父の好きだった古い歌の歌詞が、思わず口をついて出てくる。

夢は砕けて夢と知り、愛は破れて愛と知り、時は流れて時と知り、友は別れて友と知り

いい歌詞だ。昔はわからなかったが、段々とこの意味がわかる年齢まで、いつの間にかベルトコンベアーのように運ばれて来てしまっていたんだろう。「友は別れて友と知り」もうすでにいない友人がいる人にとって、これは岩のように重く意味のあるフレーズになる。大人になって、今となっては、もう決して繰り返すことのできない日々を、思い出として「名前をつけて保存」する術を、いつの間にか俺たちは覚えたんだ。

3月でもこの時期、生まれ育ったここら辺の地方一帯ではよく今日みたいな粉雪が舞い散る天気になる。お袋には夕飯までに帰るからと言って散歩に出かけることにした。大学生最後の春休みで実家に帰ってきている。
なんとか第1志望だった印刷会社に就職することになった俺は、4月から社会人になる。社長が品田さんだから「SHINAX」という、非常にわかりやすい単純明快な名前の会社だ。すっかり大学の友人たちにイジられるネタになってしまったが、名前なんて、それくらい単純でいいんだと思った。意味はあるようで、ないんだ、世の中の名前なんてものは全て。

あの頃から歩幅は大きくなったかもしれないが、坂を上がる足どりは中学生だった当時とあまり変わらない。小学校、高校はすごく家から学校が近くて通いやすかったのだが、校区の関係で、家から離れたこの中学校に泣く泣く3年間通わされる羽目になった。だから、なにぶんと通学に苦労した覚えがある。
そしてその3年間の通学はいつも正樹と一緒だった。教科書は重いし、正樹の野球部の朝練が異常に早かったりして、嫌々ながら歩を進めていた。そして、よく正樹と一緒にダベりながら登ったものだ。

正樹とは家が同じ町内で、小学校の頃から必ず学校帰りはずっと一緒に遊んでいたのだ。正樹の家の後ろが空き地になっていて、古いソファが打ち捨てられていたので、二人でそれをずっとジャングルジムのように遊び道具にしていた。空き地は今はコンクリートの敷き詰められた駐車場になっている。

正樹のおじさんがボウリング場を経営していた関係で、営業が終わった後に、正樹のおかげで、お小遣いのない小学生の子供2人は、タダでボウリングのゲームをさせてもらえたりした。そして正樹は5年生の時におじさんのプレゼントで、自分のマイボールを持ち出した。正樹は親父さんを早くに亡くしたから、おじさんが正樹のことを自分の子供のように可愛がっていたのだろう。よく俺に自慢したものだ。ボウリングはあくまでただの遊びだと認識していた俺は、マイボールを手にした正樹の目の輝きに、これまでとは違うものを感じていた。

正樹は野球もずっとやっていて、球技などを中心に運動神経は良かった。ただ足はそこまで速くなかった。俺はちょうどその反対、足だけは早くて、球技関係がまるでダメ。必然的に、中学に入ると、正樹は野球部で、俺は陸上部に入ることになった。正樹は重い野球道具を詰めたバッグを肩からかけて、学校に上るこの急な坂を上らざるを得なかったが、対照的に俺はスパイクとジャージを入れたナップサックだけだから軽い。

2人で歩いていると、必然的に「なんでお前、そんな荷物軽いん?不公平だよな、これ」と正樹がいちゃもんをつけてくる。「なんでだよ、おまえが野球部だからだろ。全然俺関係ないじゃん」というわけで、この正樹の重い野球バッグの押し付け合いが始まり、そこから電信柱のところでじゃんけんをして、負けた方が正樹の野球バッグを、買った方が俺の陸上道具の入ったナップサックを背負うというお遊びがはじまった。そんな風に、この退屈な通学路の急な登り坂のいなし方というものを中学生ながらに考えていたのだろう。

部活は放課後に行うものだし、陸上部と野球部では練習時間や場所も違うから、下校は正樹と一緒になることは基本的にない。ただ、あの時は偶然、正樹と帰りが一緒になった。比較的気分のいい朝とは違って、厳しい部活の練習が終わった後だと、腹を空かしているせいもあってか、二人の会話は弾まない。

「ああー、もう腹減ったな。マジ今日の練習きつかった」
「ああ」
「マジ、あの顧問うんこやぜ、何もしねーんだもん。野球の坂上先生はいいよな。なんか足速そうだし」
「いや、あの先生、特に野球とか学生の時、やってないらしい。卓球部だって」
「なんや、期待して損した」
「ああ、明日も朝練マジだりー」
うなだれる俺に正樹は不意に遠い目をしたような気がした。
「ああ、そうやな」

なんか正樹のやつ、今日はいつもと雰囲気違うな。俺はよくはわからないが、付き合いの長い分、正樹の中の感情の機微を中学生ながらに感じ取っていた。いつも朝、二人で登校の際に上がってくる坂を、今は街の景色を眺めながら、この坂を下っているわけだから、朝と感じ方も自然と違ってくるのかもしれない。ただ、あんまり正樹は、考えて動くタチの性格ではないし、頭も良い方でない。(当時、俺は地域の進学校に進もうと漠然と思っていたが、正樹はたぶん近くの工業高校あたりに進むだろうと、たかを括っていた節がある)

正樹はいつも体を動かしていたし、野球のほか、ボウリングもいまだにすごく上手くて、俺はもう到底太刀打ちできない腕前だ。おじさんのススメでボウリングの東海大会のジュニア選抜に挑戦してみようと思っていることを、この前話してくれた。正樹がマイボールを持ち始めたときから知ってる俺としては、少しそれが誇らしかった。

「なんかさ、最近、妙に考えることがあるんだよな」正樹がポツリ言う。
「何が」返す俺。
「いや、なんかさ、よくわからんのだけど、俺たちの住んでいる星って、地球なんやろ」
「何、急に。なんの話?そら、そうやろ」
「たまたま、地球に住んでてさ、たまたま日本おってさ、たまたま俺っていう人間で生まれてきとるんやけどさ。俺が正樹で、お前がお前で生まれてきたんやけどな、なんでそれが俺でおまえやったんやろうなって。」
「はあ、意味わからんし」
俺は咄嗟にそう返したが、それはなんとなく真面目に受け答えするのが気恥ずかしかったからだ。そんな哲学的なことを急に言いだすとは予想をしていなかった。しかし、正樹の言わんとすることは少しわかる気がした。

「いや、日本以外とか、てかそもそも地球以外のなんかよーわからん奴になる可能性もあったんやろ。なんなんやろなって、何でそんな風に俺とお前に決まったやろなって。不思議じゃね?」
「知らんよ、神様が決めることやん、それ。誰が決めるとかないよ」
「そやけどさ、ただ…」
そのあとは、自分でもらしくないと思ったのか、正樹は押し黙った。空気を読んだ俺は、仕方ないので、再び明日の朝練がどんなにめんどくさいかについて話すことにして、二人が家に帰るまでの時間を潰すことにした。

その後、二人は別々の高校に進み、たまに会っていつものようにボウリングをして、いつものように正樹がストレートで勝ち、そしてくだらない話をして飯を食った。正樹はジュニア選抜で優勝し、プロボウラーを目指すと言っていた。おじさんのボウリング場でバイトしているから、いくらでも練習し放題なんだと。
大学1年生の夏休みには、正樹から、突然、電話がかかってきて、いつ地元に帰ってくるのか、と聞いてきた。懐かしさ半分、俺はサークルの合宿があるから、と言葉を濁した。それが俺が最後に聞いた正樹の声になった。

その冬、酒を飲んでいた遊び仲間の運転する車の後部座席の端っこに正樹は座っていた。凍結した路面で横にスピンした車が電信柱に激突、5人も車に乗っていたのに、死んだのは正樹ただ一人だけだった。葬式で正樹のおばさんはずっと来る人皆に謝り通しだった。なんで一人だけ死んだ息子の母親があんなに謝らなければいけないのか、俺は不思議でしかたなかった。

「なんでそんな風に、俺とお前に決まったんだろうな?」

なんとか上がりきった坂の上から、見える街の景色を眺めながら、俺は正樹に問いかける。




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