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010_山本精一「CROWN OF FUZZY GROOVE」

僕はよく家の近くの池の周りをただひたすらぐるぐると走り続けることがある。
ジョギングといえば聞こえはいいが、走る格好はなんとも滑稽なんだ。別にそれ専用のランニングシューズを履いたり、ウインドブレーカーも着ていない。
自分がただ走りたいと思った時に、着ていた格好でそのまま何時間も走り続けるんだ。この前も仕事終わりにスーツのままで、雨の降る中、2時間ぐらいぐるぐる回り続けていた。
池の周りは当然あまり整地されていないので、革靴は泥だらけになり、はねた泥がスーツを台無しにした。おかげで妻にかなりどやされた。「走っている途中に気づくだろうに。」と。
確かに僕ははねた泥とまつ毛につく水滴を自覚していた覚えはあったが、どうにもそれ以上どうこうしようとする思慮に欠けていたようだ。ただただぐるぐると何も考えず何も感じずに走っていた。

ただ単純に汗をかいて運動不足を解消するというような、一般人が普通に考えうる「走る」こととは、僕の中では明らかに違っていた。確かに走ることは僕の中で必要なことではあったが、決して毎日ではない。毎日走ると逆に具合が悪くなるんだ。別に、体がどうこうと言うんではなく。いや、どちらかというとバランスが悪くなると言ったほうがいいかな。

大学時代にこんな友達がいた。そいつは授業中に退屈し始めるとカバンから高校時代の数学の問題集を取り出して夢中で解き続ける。そいつはいつもその問題集を持ち歩いていて、暇になると人目もはばからず、いそいそと問題集を解いていた。
「俺はあんまり頭がいいほうじゃないんでね。何かしていないと途端に自分の考えがまとまらなくなってくるんだ。高校の問題集を解くのはまあなんていうか、過去の自分の確認作業みたいなもんだよ。別にわかってる問題を解くことに別段意味はないんだ。まったく。ペンを動かす一つ一つの作業に意味がある。」と彼は語っていた。

彼は大学に推薦で通ったこともあってか、自分が周囲と潜在的に学力の格差があるということをどうも気にしているフシがあった。しかし、彼は優秀な成績で大学を卒業し、一流会社の研究職についている。研究者の白衣を着ながら、いまだに問題集を解いているのだろうか。

僕が何の目的もなく走る続けるのも、似たようなものだろう。人から見たら不自然に思えるほど、僕はそうひとりでに納得していた。いつも走り始める時間はまちまちだ。会社から帰ったすぐだったり、あるいは家に帰る前だったり、夕御飯を食べた後だったり。そう、まちまちだ。
その日は日曜で、僕は眠らず朝まで小説を読んでいた。一人でパンとベーコンエッグを焼き、透明なコップにミルクを注いだ。テレビでは大物政治家の汚職事件で持ちきりだ。ふてぶてしい顔をした政治家だった。

走らなければ。別に強迫観念で走ってるわけではない、と自覚はしている。人が朝起きて、まず顔を洗って、家族におはようと言うように。そうしない始まらないんだ、なにもかもが。正確に言うと僕の周りの物事が、うまく回転を始めてくれない。止まったままで、冷たいガラスのコップように虚ろで透明なままだ。コップにはミルクを入れないと。

その朝は異様に霧が濃かった。池の周りはまるでその存在が虚ろだ。もしかしたら池なんてないのかもしれない。でも走るのになにも問題はない。僕は泥をつけてスーツを台無しにしてしまった一件以来、妻から走るときはそれ相応の格好で走るようににきつく言われた。ウインドブレーカーとスニーカー。
「葬式には喪服で出向くでしょ、ディナーには正装で出向くはずよ。」
別に僕にとって走ることはどこかに「出向く」ようなことじゃないんだ。鍛えた体を人に見せるわけでも、問題の答えにマルをつけられることでもない。確認作業なんだ。そんな言葉を飲み込んで、ちゃんとした走る「正装」をする自制心もちゃんと僕は持ち合わせていた。そこらへんは妥協できる大人のはずだ、僕は。

走り始めるにつれ霧の影響もなく、いつも通り一定のペースで走り始めた。
ただずっと前は見えなかった。霧は深く、僕は目の前の距離感も次第に失い始めた。いや距離感だけでなく僕の体全体がこの霧に溶け込んでいくように走っている僕の足も、振っている僕の腕もその実体をなくし始めてきたようだった。

僕の体と外の霧を分かつ皮膚という境界はもはや、浸透圧の実験に使うような、食塩水と真水を分かつセロハンのようなものになった。実験器具内の浸透圧調整がが等しくなろうと、食塩水が真水に入り込み真水が食塩水にに入り込むように、僕と霧が等しくなろうと霧は僕の体に入り込み、僕の体は霧に入り込もうとしていた。

でも何にもぞっとしなかった。今朝に食べたベーコンエッグが、その日の僕の活力になったことは確かだ。ベーコンエッグは僕とひとつになった。僕の胃はベーコンエッグを消化しよう胃液をベーコンエッグに入り込ませ、ベーコンエッグの成分が分解し吸収され、僕の体の隅々までいきわたったはずだ。
別になんともゾッとする事はない。ベーコンエッグもそう思っているはずだ。しかし今となってはゾッとして鳥肌が立つような僕の皮膚も、霧と溶け込んで実感することはできなかった。でもたぶん霧もゾッとしていないだろう。

だんだんと周りをつつむ真白な霧の色が果たしてそれが白なのか、それとも色というものを伴っている物だろうか、と言うのもわからなくなってきた。

僕が見ている白はホントの白か?ホントの白をどこかで僕は見ていたのかな?いったいどこにホントの白がある?ミルクの白か、雲の白か。はたまた人間が理想として捉えているイデアの白か?
よかった、人間何もない真白な部屋に入れられると気が狂うというのを聞いたことがある。この色が白と自分がわからなければ気も狂わずにすむ。矛盾してないだろ?どうせこの世に完璧な白なんて無いんだ。ミルクにも実は黒が混じってる。
それにこの色が黒だといわれれば、今なら黒だとも思えるさ。透明なコップの向こう側にどんな色も無ければコップから見えるのはずっと透明だ。

それにこのままでは気が狂うまではないにしても僕が霧と一体化してしまう。果たして僕が霧になって、霧は僕になるんだろうか?霧は最初から霧だったのかな?実は霧は人間だったかもしれない。

じゃあ僕は最初から僕と言う人間だったのかな?実は僕こそが最初から霧だったかも知れない。今まで僕が走ってる僕だと錯覚してたんだ。そうだ、最初から霧だった僕はたまたま走っていた霧じゃない僕を取り込んで、今まで走っていた僕の記憶は霧である僕と一緒になったんだ。

今はもう、霧と自分を分つ境界線などないのだから、そう考えたらなんか楽になってきた。最初から僕が霧だったんなら、自分が霧になるのを拒絶したりする必要も無い。じゃ走ってた僕は僕じゃなかったのか?いったい、僕は誰なんだ??

そうしたら目の前の景色がスーッと広がって霧が晴れていった。気づいたらいつもの池の周りだった。朝日が目に差し込んでいた。池ではカルガモの親子が列を組んで水辺にいた。ほかにもジョギングしている中年の男性の姿もあった。
僕は妻がデパートの紳士服売り場で買ってきた2980円のウインドブレーカーを着て、1500円のスニーカーを履いていた。
気づいたらおなかも空いていた。喉も渇いていた。汗もかいていた。どうやら今朝のパンとベーコンエッグとミルクは僕と一体化して、完全に消えてしまったらしい。
僕は家に帰ってシャワーを浴び、透明なコップにミルクを注いで一気に飲み干した。そこでまだ眠っていた妻を起こしコップにミルクを注いであげた。

「私、朝はコーヒーがいいの。毎朝飲んでいるでしょ。」

テレビでは不正株式売買で、若いIT企業の社長が逮捕されて、拘置所まで走る車の様子が空中からヘリで中継されていた。やはりふてぶてしい顔をした社長だった。


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