*32 ひたむきに下積み
一先ずシュトレンは満足に焼き上がった。先の日曜に焼いたシュトレンもこの土曜日に漸く食べ切った。最後まで美味しく食べられたから成功である。急遽卵黄をレシピに書き加えたが、翌月曜日に職場で確認すると私の記憶違いでも何でもなくそもそも卵の入らないレシピであった。まあこれはこれで良かった。
さてクリスマスである。声の華やぎ、顔の綻びが町に色を足す。ベッカライ・クラインも連日不断以上に賑わっていた。そんな雰囲気に背を押されるように、この一年を穏やかに振り返っては何とも軽やかに、また煌やかに文章を書き進めてゆこうか知らんと思っていた私は、予期せぬ事態に心を飲まれ、手放しに幸々福々とした文章のみ書くわけにはいかなくなった。
以前から職場の工房の内に個人的に問題視している点があったのであるが、余りに毎度ゝゝ掻い摘んでいては限が無いと思って、こうして文章に残すのもこれまで極力控えて来たし、実生活においてもなるべく気にしない様に心掛けていた。その問題点と言うのは作業量の明々白々たる偏りであった。これ然し被害者となっているのが私であるばっかりに、悲劇のヒロインを自演する様で情けなく、また同情を媚びる様で見っともないのであるが、そうは言っても余りに納得がいかなくなってきたから仕方が無いと思って読んで頂きたい。
最も解り易く端的な例を挙げるならば、製パン部門の内で休暇等により不在の者があった場合、通常時その不在者が請け負っている作業を分担して背負うのが筋だろうと考えるのが私であったが、実際は分担される事なく私の肩にばかり乗っかって来る。これが外えば、どう頑張ってみても作業量の偏りに気の付かない彼らの能天気によるものだと言うのであれば諦めもつく。或いはこれまでもそう言った積で飲み込んで来たわけであるが、余りに意図的に作業を回避している卑怯な様子が伺えた時、いよいよその理不尽振りに我慢も限界に達したというのが今週であった。仕事中の私はひょっとすれば鬼の形相であったかも知れなかったが、もはや形振り構える心境でも無かった。
それが水曜日まで続いた。こうも連日頭に血が上ったのは一年以上勤めて初めての事であった。翌木曜日に休みが入っていた私は、帰り掛けに買い物だけ済ませて家に着くとまるで頭が働かなかった。そして何をしようにも意欲が枯れていた。それでもクロワッサン生地の一度目の折り込みだけは済ませ、よし今日は早めに眠って英気を養ってから明日、クロワッサン作りやその他手元に控えた作業に取り掛かろうと思った矢先の夕方五時、シェフからの電話があった。
「アンドレが病欠で明日来れなくなってしまったから、申し訳ないが明日仕事に来てくれないか」
確かこの時私の頭は一度真っ白になった。電話に出てしまったのが運の尽き、渋々ながらも私は「わかりました」と返事をしたが、電話を切った後もまだしばらく狼狽した。漸っと心労の呪縛から解放されると思って伸ばした羽根はまたみるみる委縮した。こうしたものである。その上家では月曜日から木曜日まで整備の都合で湯の出が悪かったからシャワーを浴びるにも快適にゆかなかった。悪い時は悉く悪い事が重なる良く出来た世の中である。
休日返上の電話があった水曜の晩、私はある夢を見た。舞台は以前の職場、そこでもなお理不尽な遣取に悶々としていたのであるが、目を覚まして不図、そう言えば私は実際以前の職場でも不当な扱いを度々受けていた事実を思い出した。時に根も葉もない噂を立てられそれを耳にした上司から心当たりの無い忠告を受けたり、相変わらずあの頃も、綺麗めな建前に包まれた雑用仕事を異常に押し付けられたりした。不当も嘘も不条理も嫌いな私は、理解は出来ても納得のいかない事については臆せず上司に「それはおかしくないですか」と噛み付かずにはいられず、とっくに見透かせている相手の魂胆を皮肉りながら、どうせ逸らかされると解っている質問をぶつけては異議を唱えていたが、或る時を境にもうばればれな下心を解き明かすのに労力を使うのは諦め、それからは不当も嘘も不条理もよく理解した上で、やれと言われれば文句も言わずへらへらと二つ返事でやるようにした。
とは言えあしらう術はあったにしろ一度として納得も許容もせずにいた私であったからその分の心労は蓄積されていくわけである。当時私が己を鼓舞する為に作った幾つかの詞の一節に、「いつか必ず報われるという曖昧な言葉で誤魔化して感じない様にしてた痛みを守ってきた君が弱いだろうか」というものがあった。社会的に一労働者でありながら、個人的に修行僧でもあった私は、真面目に修行をしたいだけにも関わらず、或いはそれだからこそ押し寄せる不条理に「いつか報われる筈だ」と口癖の様に言ってここ迄来た。そうして今週、以前の職場で味わったのと殆ど同じ形の不当に苛まれた時、果たして私は何をもって報われたと感じるのかと考えた。
つい先月私にとって大きな出会いがあったと書き残した事があったが、あれはとある現役の邦人画家の事であった。出会いと言っても直接的なものではなくSNS上で私が一方的に知ったに過ぎないのであるが、そこで私は下積み時代、プロフェッショナルという言葉が耳に残り一度腕を組んで深くまで考えてみた。それ迄に私が「下積み」という言葉に抱いていた印象と言えば、金銭的にも体力的にも苦しい状況の中で必死に歯を食いしばって目的に向かって遮二無二励む、というものであったからどうしても身に覚えがなく、時に私自身も過酷な状況に追い込まれてみたいと思う事さえ社会に出た十八の頃からあった。壁にぶち当たる事なく進んで行く人生に対する一種のコンプレックスがその当時から今に至る迄どうしても胸の内にあった。
ところが例の画家の話を幾つか聞く中で、下積み時代とはプロフェッショナルになる迄の期間である、と広義に解釈してみる必要がありそうだと気が付いた。これは画家の言葉ではなくあくまでも私の解釈であるから責任は私にあるのだが、そう考えた時、裏を返せばプロフェッショナルになってしまっては出来ないであろう経験を積めるのが下積み時代である、とも言えると思った私は、不当な労働も不条理な環境も、一人生経験に昇華させるのが下積みであり、晴れてプロフェッショナルとなりそれらの経験が如何なる形であれ活きて来た時、そこで初めて「報われた」と心が感じるのだろうと思った。またこの論理で言えば不当や不条理のみならず、パリへの冒険や製パンマイスター取得や仕事終わりに家に引き籠ってパンばかり焼いている生活も同様に下積みと呼べよう。
楽しさや喜びや幸せを感じる出来事なら無論これ迄の人生にもあったが、それらが報われる事と同義ではないという解を導き出せて漸く私の中で腑に落ちた。社会的に製パンマイスターでありながら、個人的に目下下積み中の未熟者である私は、矢張り世の不当に腹痛を患っている場合ではなく不撓不屈の精神で、来たる時迄に得られる経験は全て己の肥屎にしていかねばならないと再度誓う運びとなった。
二〇二二年を頭から眺めると絵に描いたような流れで人生がこの年末まで運ばれてきた事が見て取れる。現在地が年末だから「見て取れる」と他人事であるが、その都度ゝゝで芸術的な流れを体感してここまで来た私は、その美しき人生の紆余曲折が、来たる卯の年に大きく影響を及ぼす事に確信があった。起こるべくして起こり、成るべくして成る。全く良く出来た世の中である。
二十四日の工房では果てしない数のバゲットが焼かれた。パン屋の規模がどうであれ矢張りバゲットが大量に焼かれるドイツのパン屋である。週の前半に煮やした業の余熱りもすっかり冷めていた私は、アンドレとプレッツェルを作りながらクリスマスの予定でも聞いてみた。二十四日は親類で集まって夕餉を囲み、翌日は義両親と昼餉、その翌日は実両親と昼餉をするんだと言った。実にドイツらしいと感じる予定であった。私も聞かれたから、友人とプラハに行くんだと言った。八年来の付き合いになるイタリア人とこうして旅行に出掛けるのは四年振りだろうと思う。今度こそ目一杯まで羽根を伸ばす積である。
帰っていくシェフやルーカス、アンドレらと其々クリスマスの挨拶を交わして見送ると、一人になった工房で残りの片付けを済ませ、自分も帰り掛けに店頭に顔を出して販売婦達に「よいクリスマスを」と手を振って挨拶した。ちょうど客の対応に当たっていなくて手の空いていた中年の販売婦が私の挨拶に「ちょっとそんなの素っ気ないじゃない」と言ってハグをして挨拶をし直した。ドイツのクリスマスは日本の正月に似ているから気分はもう年末である。大晦日と元旦の間にある様な残りの一週間で来年に向けて心身を整えようと思う。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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