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*21 カーター

 掃除に使った雑巾が濡れたまま、固く絞られるわけでもなくシンクの縁や清掃用バケツの中でべちゃりと丸まっている姿は、残忍に搾取されたのちただ捨て去られた生物の悲嘆を形容するのにまさに相応しい傷ましさがあった。雑ナぬのと呼ばれるにしたってあんまりである。湿々じめじめとした悪臭とそこにたかる小蝿から荒涼な死が連想される時、雑という文字にこれほど従順でいられる者の発揮する感覚には一生掛かっても理解が及ぶ事は無いだろうと思った。しかながらその不可解な感覚の根源が何処にあるかという点については、おおむね予測の立っているつもりでいる。
 
 ドイツで働きたいと考える日本人がいた場合、ただ一つ掃除という点における彼らの常識と世界的に見ても屈指の綺麗好きと言われる日本人の常識の相違については覚悟が必要であるから是非注意を促したいと考えるのは、私の経験から来るものである。掃除の常識か、或いは清潔の概念がまるで異なるのであろうが、それについて我慢がならないと見えて影で愚痴ゝゝぐちぐちと言う邦人を幾つか見て来たのであながち的外れな物言いでも無い筈である。私がドイツに来て初めに身を置いた職場では、掃除用具を片す一角こそ決まっていたが、毎日掃除の時間になって用具を取りにそこへ行くと、決まって丸まった雑巾がバケツの中に横たわり悪臭を放っていた。そうした雑巾は直ぐに捨てられ、皆次々と新品の雑巾を卸して来ては翌日もまた丸めておくから、その内「何故こんなに早く備品の雑巾が無くなるんだ」と工房内で問題になる始末である。掃除に使うんだから当然汚れるにしても、せめて水分を固く絞って広げておいたらそう毎日新陳代謝を繰り返す必要も無かろうと説明をしてみても、向こうは向こうで常識があるから中々なびかず、仕方が無いので一日の終わりに私が丸まった雑巾を絞っては広げてと世話を焼いていた事もあったが、その内私の使う分だけが真面まともであれば良いだろうと思い、担当していたデッキオーブンの脇に自分の分の雑巾を干すより多くはしなくなった。
 
 それと殆ど同じ事が今働いているベッカライ・クラインでも起こった時、私はついに驚く事も身を挺して世話を焼く事も無かったが、かと言って矢張その感覚は理解が出来ないと再認識した。社会に出たばかりの十六歳の見習い生のみであればまだしも、私より幾つも歳上の真面目に掃除をする男でさえ雑巾は丸めて頬っておくんだから常識と呼んでも罰は当たるまい。然しこうした行いに嫌悪感を抱き、外様の分際で怒り任せに彼らを非難してしまっては少々酷である。詰まり我々の様に学校に通っては学問の合間に自分の教室を掃除するという文化の無い所で育った彼らは、雑巾の絞り方を習う場面など無かったのであるから致し方ないと言うのが私の見解である。我々の先祖も同様に、西洋人からすれば野蛮と見える独特な文化を築いていたわけであるからそれと同じ事なのである。まあ然し幾ら雑巾を固く絞らせたところで文明開化の音がするほど靡かないのがドイツ人であるから、こちらが折れて諦めるなり認めるなりした方が無難である。
 
 
 然し今週は長い一週間に感ぜられた。いや、その労働時間は実際に長かったのである。月曜日が統一記念※1日の祝日ではあったとは言え、その分週中の個別の休暇は設けられない仕組みであるから実働時間は普段と変わらず、その上人数が一人少ない事で連日残業続きであったから長かったのである。その残業も余りに不公平に思えてならなかった私は、最後迄工房に残って共に作業をしていた見習い生のマリオと働きながら、こんな理屈でおかしいんだ、こんな根拠があって不公平なんだと粛々と弁じては何とか気分を紛らわしていたが、彼から見た私はひょっとすると怒りに満ち満ちていないとも言いれなかった。そうは言っても仕事は仕事である。済ます必要がある以上は済まさねばならぬ事くらい心得ている私は、不平も不満も冗談めかして遣れた。
 
 
 金曜日に製菓職人のシルビアが製パンの工房の方で何やら生地を仕込んでいた。聞くと、来週からプレッツヒ※2ェンを作り始めるからその準備だと言って、はあと溜息がっていた。スーパーにもシュトレンが並んでるんだからまあそういう時期が来たんだなあと呑気な私にシルビアは「これから残業も多くなって大変な時期になるのよ」と嘆いた。ドイツにおいてクリスマス前が一年で最も忙しくなるのは製菓も製パンも同じである。

 その製パンの方ではクッヒャ※3ルやツォプ※4フが始まって、寒い季節の到来が工房の中に知らされた。土曜日の仕事終盤になってシェフから呼ばれると、クッヒャルを揚げるのを任された。その日、てっきりシェフが揚げるものだとばかり思っていた私は、突然呼ばれて単簡な説明を受けた後その場を離れて行ったシェフの背中を見て、これから暫くの間これは私の仕事になるのだろうと察しがついた。まあ生地を油に浮かせて、少ししたら引っ繰り返してと遣るだけの別段難しくない作業であるから良いのだが、その日はまだ他に異例的にペストリーを作らねばならなかったから、これは良い機会だと、マリオに主としてペストリーを遣らせ、私はクッヒャルを揚げる合間合間で足繁く彼の元と自分の持ち場とを往復した。二週間後に私が休暇に入った時、どのみち彼も主体的に遣らねばならなくなると説明すると、彼の方でも作業は覚束無いにしてもやる気はある様子だった。
 
 
 その土曜の晩、約一年振りに職場の飲み会が開かれた。飲み会と言うよりもホームパーティーと呼んだ方が相応しそうなその会は、ベッカライ・クラインのカフェスペースを使って行われた。工房で共に働く同僚や販売婦、シェフの家族は勿論、隣町の支店で働く、私の知らない販売婦達も集まった。一年前の時、私はまだ正式に雇用に入る前で大凡ゲストの様な立場にあったので、緊張感を持ちながら大人しくへらへらとしていただけであったが、間も無く働いて一年と経とうとする今、随分気楽に食べたり飲んだりした。
 
 途中、私の座った所から最も離れた辺りにいた中年の販売婦達から「GENCOS、GENCOS」と頻りに呼ばれたので何事かと思い近付くと、ペティという販売婦が自分で作ったシュナッ※5プスを持って来たから一杯どうだという誘いであった。私は無論一杯貰った。ギリシャのシュナップスだとかどう作るんだとか色々話をする内に私のグラスが空になったから、もう一杯いるかと聞かれ私は「喜んで」と言ってグラスを差し出した。それから自分の席に戻ってまた近場で談笑をしていると、シュナップスの新しい瓶を冷蔵庫から持って来たペティが通り掛けに「いる?」と聞いて来たので、差し出された酒を断るのは無礼だという教訓を刷り込まれて育った私は喜んでまた貰った。そうして私から最も離れた自分の席に戻ったペティと仲間の販売婦達からまた名前を呼ばれそちらを向くと「乾杯」と言ってグラスを掲げて来たので私も応えた。随分気に入られたものである。
 
 
 すると暫くして、私のまだ知らない支店の販売婦が私の傍に席を移すと「日本から来たって聞いたわ。私、日本語を二十くらい喋れるの」と言って数を数えたり挨拶をしたり日本語を披露した。聞くと彼女は以前、資生堂だのカネボウだので働いていた経緯があるらしく、それで喋れるんだと言った。それから今度は私のこれまでの経緯について尋ね出し、私が答えるとその度に身に余る程の称賛を浴びた。ドイツ語も英語も出来なかったが一人でドイツに来たんだという話をした時に「Verrücktクレイジーだ」と言われたが、冷静に考えたらまさにその通りである。それにしても余りに褒めてくれたから嬉しかった。
 
 いい時間になったので皆に手を振って挨拶しながら会を後にした私は、久しぶりに酔っ払ったなと気分良くふらふらと帰ったのであったが、次の日目を覚ますのが大変だった。目を覚ましても体を起こすのが大変だった。ビールとシュナップスを飲み過ぎたと反省しながら、腹の具合悪さに負けじとなんとかこの文章を書いたところである。



 (※1)統一記念日:ドイツが再統一した事を記念した祝日。
(※2)プレッツヒェンPlätzchen:クリスマスに作られるクッキー等の総称。
(※3)クッヒャルKücherl:円盤型の揚げドーナツ。
(※4)ツォプフZopf:ここでは諸聖人の日に向けた編みパンを指す。
(※5)シュナップスSchnaps:無色透明でアルコール度数の高い蒸留酒。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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