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*29 嵐の後には凪が来る

 さて今日から働かんとしていたその日、外は早朝四時から雨がしとしとと降っていた。旅行や何か大事な時には必ずと言っていい程雨を降らせてきた私にとって、これは至極当然かつ吉兆の如き出来事に思われた。かつて初めて日本へ一時帰国しようとしていた日、朝からあまりにも天気が良かったので嫌な予感がするなと思っていたら、空港で財布を置き忘れ飛行機を逃すという惨事があった。それを思えば安心する為の材料にもなりうる。何せ旅行を楽しみにしていたあまりスペインに雹を降らせる程の雨男である、きっとこれは良い兆しに違いない。そんな事を考えながら、真っ暗で八月とは言えすっかり肌寒い雨の道に革靴のコツコツという音を高らかに響かせていた。


 今週からは毎朝四時過ぎに家を出る。それから最寄り駅で始発電車に乗ると三十分程揺られ一度大きな街の駅に出て、それで電車を乗り換えるとまた三十分程揺られて漸(ようや)くパン屋のある街に着く。そこからは歩いて五分ばかりなので勘定に入れないにしても、大凡(おおよそ)一時間掛けて出勤する。

 初出勤の日、雨が降っていたとは言え心臓をドキドキ言わせながらその一時間を過ごしたのだが、パン屋につくと早速「おはよう」という販売婦達の元気な声に迎えられ、その内の婦長が私を捕まえるなり、さあついておいでと言って工房内をまるでツアーでもする様にぐるりと一周して更衣室に案内してくれた。その道すがら観光名所の如く通り過ぎる各従業員に向かってゲンコスが来たわよ、ゲンコスが来たわよと言って紹介して歩く彼女と、その後ろで随時挨拶をしながら付いて歩く私の様をつい俯瞰してみると少々滑稽のように思えたが、お陰で朝から腹の底で蠢いていた緊張は解けた。


 着替えを済ませ工房に出る。初日はまず色々と覚えなければならないので、手元に仕事の無い内はキョロキョロとして様子を伺っていた。

 この職場はパン職人が二人と菓子職人が二人工房にいるだけで、店頭の方で販売婦達を四人程見かけたがそれぎりの規模であった。聞くと製パンの見習い生が一人有給休暇でいないようであったがそれでも前の職場と比較すると工房の大きさも人員数も大きく下回っている。しかしそれで上手く回っているというのが、工房内の雰囲気からすっかり伝わってきたので、先週の面接の時に若社長である女性(名をマリアと言った)が私達の職場は家族の様なチームよと謳っていたのがまるでしっくりと来た。


 製パン部門の方ではどうも、深夜の一時に出勤する者と三時前になって出勤する者がいるらしい。アンドレという大男はディズニー映画にでも出てきそうな優しい顔をしている。恐らく私と同年代かやや年上の様な容姿であったがまあ早速年齢を尋ねるよりも収集すべき情報が沢山あるのでそれ以上年齢を気にする事はやめにした。

 体格の割に大人しい男である。穏やかな気性で私の質問にも丁寧に答えてくれたが、私はもう少し声を出してもいいんじゃないかなどと生意気な事を考えていた。私が以前勤めていた大規模で少々騒がしい職場に居てはきっと聞き取れなかっただろうと思うが、それくらい静かに淡々と仕事が進んでいく環境は居心地が良かった。

 もう一人テキパキとよく動いている男は帽子を被っていなかったが髪も無かった。四十年は生きていそうな風貌であると思っていたが、実際は更に十年早くに生を授かったと聞いて驚いた。名をルーカスと言った。私は一時に出勤しているこの男の傍について働く事が多かった。

 仕事中は寡黙で必要最低限な情報交換や作業説明しかしないと見えて、水曜日の作業中に「今日はマリアの誕生日だ」と教えてくれた時も態々(わざわざ)私に近付いて来て耳打ちをしてきたし、私が休憩中にした質問の答えの続きも休憩後に遠慮気味にこそこそと伝えてきた。なんとなく私が通っていた中学校の無言清掃という取組を思い出した。

 それでもいざ休憩になるとよく喋る男で、お陰で余程のおしゃべりである私の口も退屈をせずに済んだ。その上、私が一丁前にさも日本語が母国語である事も忘れてしまったかの様にドイツ語で喋っているのを、実ににこやかに聞いてくれているのを見ると、いくら気持ちが一丁前でも肝心のドイツ語は依然としてたどたどしいと言われているようで、それでいてふんふんと聞いてくれているので決して嫌な気持ちなどしないどころか、随分と話しやすかった。電話番号を教えろと言ってきたので早速翌日に紙に書いて渡すと、彼も手元の紙に自分の電話番号を書いて渡してきた。そして、お前が学校に行っている間の仕事の様子なんかを尋ねて来てくれて構わないからと言ってきた。

 仕事中は寡黙に、時として指示が荒っぽくなるが、休憩や仕事が終われば朗らかで友好的になるその減り張りは、これぞ職人と言った風で私にとっては好印象であった。

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 電車の都合で朝六時に出勤している私の仕事は大凡毎日一緒であった。出勤するとルーカスと共に二種類のフォルコーンブロート(※1)に取り掛かる。私は専ら生地を分割する係であるが、働き始めて早々あれがしたいこれがしたいと我儘(わがまま)を言う程無神経ではないので、成形をするルーカスがそれまでにしていた準備であるとかを観察しては、連日ちょっとずつ彼のテリトリーに踏み込んでいっている所である。

 それを終えると何種類かのゼンメル(※2)であったりプレッツェルなんかを休憩を挟みつつ作っていく。以前の職場の威厳を脅かしかねない話になるので重要点のみ掻い摘んで言うと、汗を掻く程プレッツェルを成形したのは実に二、三年振りで、幼稚な感想にはなるがこの黙々と淡々とプレッツェルを作る工程が楽しかった。


 ゼンメルを作り終える頃には工房にマリアとマイスターであるクリスが現れ、いつの間にかクロワッサンなどの成形を始めているので私はそちらに移る。ややこしいのであるがこのクリスという男が社長でマリアは彼の義娘にあたる若社長だという説明をルーカスから受けた。まあこれは私自身も余りよく判っていない上に差し詰め重要でも無いのでさて置くとして、いずれにしてもそれまでの時間工房内で見かける事の無い彼らなのであるが、マリアは店頭の準備から道具の片付け、また別店舗の方まで車を走らせたりと朝から兎に角よく働く印象である。そうするとこのクリスという男も工房に姿を現すまでの間、ただのんびりと過ごしているとは思えない。少なくとも金曜日には私がパイ生地を折り込んでいる後ろでバヌトン(※3)の汚れを取っており、私が作業を終え掃除まで済ますと「上がっていいぞ、良い週末を」と言いながら、自分ではまだ作業を続けていた。立場の上の人間がこう率先して動き回っているのを見ると、私も何か力になれないかと献身的活力が漲(みなぎ)ってくるのであるが、彼らがそこに苦労や嫌味を見せびらかしていないというのが大前提である。五十歳になるルーカスがテキパキと動く姿もまさしくそれで、それだけでも私はここで働けている事の意義を感じた。


 製菓部門で働くアンナが「この職場はどう」と徐(おもむろ)に尋ねて来た時があった。私はきっと彼女が期待していた以上に称賛の言葉を繰り出していたかもしれない。その中で以前働いていた職場と異なる点を仕事内容、品質、材料、同僚などと言う言葉でべらべらと説明していたのだが、それを彼女が「Arbeitsklima(アルバイツクリーマ/職場の雰囲気)」という言葉でまとめてくれた時に私の心の中のもやもやが一つ晴れた。成程まさにそれである。



 あっぷあっぷと溺れるように息苦しい毎日を送っていた七月から一変、私は実に恵まれた環境に居られている今が奇跡の様に思えて仕方が無かった。拾って貰えただけで十分有難かったのであるが、拾われた先が期待以上の環境であった為に果たしてこれからどんな悲劇が待っているのかとあわや不要不急の懸念を抱く所であった。恩を返そうにも何も持ち得ぬ私であるから兎に角熱心に働き、それから以前の面接時にマリアが余りに友好的であったが為に裏の顔を勘繰ってしまっていた私を恥じて、これからは誠実に過ごす事を誓い、神様に悲劇を引き起こしてくれるなと媚び諂おうとする次第である。

 そんな木曜日には七月に受けた試験の結果がついに届いた。合格であった。仕事探しに追われながら授業を受け、あれほど手応えの無かった試験であったのに、と謙遜を抜きにして信じ難い結果であったが、これで一旦私を襲って来ていた全ての嵐が過ぎ去った事に漸くほっと胸を撫で下ろした。




(※1)二種類のフォルコーンブロート [das Vollkornbrot]:ライ麦全粒粉のパンとスペルト小麦全粒粉のパン。
(※2)ゼンメル [der Semmel]:小型の食事パンの総称。ブロートヒェン[das Brötchen]とも呼ばれる。
(※3)バヌトン:製パン用の発酵かご。

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