*2 フラヌール
幼い頃から変わり者であった。当時の私に変わり者であるという自負は毫も無かったが、今になって振り返ると同級生らと私との間に盆槍とした違和感が常にあったように思われた。義務教育の九年間も然る事ながら然しまだ所詮皆子供であったから、容姿の他に特に目立った違いの無いままに金子みすゞの詩を皆で揃えて読み皆で揃って讃える中に私も殆ど同様に居た。私も小鳥も鈴も其々に個性の蕾が実際開き出した高校の時分になって、皆がゲームや漫画を教室に持ち込んでは通信対戦やら漫画の貸し借りに盛り上がっている中、そのどちらにも関心の低いままに育ってきた私は丸腰でそんな中に混じって一体何をして遣り過ごしていたんだか良く覚えていない。それでいてゲームも漫画も持っていない事を理由に除け者にされていた記憶も無ければ、血気盛んな思春期に振舞いの不気味さを理由に肉体的にも精神的にも暴力を振るわれた事も無かった。ただ充実した高校生活であったかと聞かれれば頷き難くもあった。部活動の仲間が楽しかったから誤魔化せていただけで、果たして私は当時の教室に馴染めている感覚は殆ど無かった。然しまたそれを理由に私自身心を痛めた試しもそう言えば無かった。
先日MBTI診断という物を知り、早速設問に回答してみると全十六タイプに分けられる内、INFJ型の人間であるという診断結果が出た。何でも世界に一%未満しかいない希少なタイプであるというから驚いた。まあ数字の信憑性はどうであれ、説明書を読んでいくとその特徴の殆どを身に覚えがあった。過去に人から再三注意を受けた悪癖やどうしてだと不思議がられた考えなどがそこには並べられていた。その内私が最も成程と手を打ったのは、他者から理解をされる事や他者との共感を覚える事が極めて少ないというものであった。一〇〇人の集団の中に一人しかいないという数字なのだから辻褄が合っていて納得である。それから私はINFJ型というものをさらにインターネットで調べていくと、実際に当型に該当する一般人同士の共感を求める書き込みを幾つか見掛けた。私はその時、人生で初めて共感を覚える感覚を味わったと言っても決して過言ではないほどの稲妻を感じ、そうして共感の何たるかを体感として知った。
すると高校時代の教室の中に立ち込めていた妙な違和感にも合点がいった。合点がいったというよりも、私の疑問を解く答として最も都合の良い物が見付かったという感覚である。そしてまた職場のパン工房の中にも矢張りその違和感の存在は認められた。
社会を人一倍生き辛いタイプだ、とする説明書もあったが、それについては全く身に覚えが無かった。抑々様々な人間が共存する社会で自分ばかり生き辛いと感じる方が傲慢である。それを言い出せば皆同様に生き辛い筈で限が無い。然し乍らここで言われている生き辛さを全く理解出来ないでも無かった。言葉も文化も備わる国民性も異なる場所に居座っているから正確性には稍欠けるかもしれないが、そういった装飾を一度取り外した状態で工房の中を眺めてみても矢張りそこに違和感の存在は認められた。これまで仕事を覚えるのに一生懸命だったから気付かずに来ていたのかもしれないが、半年と経って仕事にも慣れ視野が広くなった今、自分が外国人である事以上に周囲から僅かにでも浮いている様子が伺えた。無論これは人間関係が上手くいっていないという事と同義では無い。馴染んではいるが溶け切ってはいないと感じる事象が五月になって随分立て続けにあった為に、誰にも非は無いとする平和な解が一つ手に入ったのは私自身を納得させる為にも大いに助かった。
私が終業後や週末に自宅でパンを焼いているというのも傍から見たら理解が出来ないのであろう。一時はそれも悩みの種に思われたが、まあ世界に一%くらいそういう人間がいても世の中に支障はきたすまい。例によって今週もせっせとカイザーゼンメルを連日捏ねては焼いていた。
父の日の祝日であった木曜日にまず最も単純な手折りのカイザーゼンメルを焼いた。所謂ストレート法である。これがこれまでで最も綺麗に焼き上がった。抑々手で折り込む成形という所に苦戦を強いられてきた私は、中種やサワー種を使うと風味や見た目に差が出るかという研究以前に成形作業や家庭用オーブンでの焼成が課題であったのだが、この時それらの課題に何処からともなく一筋の光が差し込み大変幸先良く焼き上げる事が出来た。
この日は翌日の為に中種も仕込んだ。そうして金曜日の仕事を終えると帰宅するなり中種と他の材料を混ぜ合わせて生地を捏ね始めた。中種の様子が微かに妙であったのが気掛かりであったが仕込み方に不備があったとは思えなかった私は取り敢えず焼き上げる事を優先した。以前にも似たような事があってその時は一度処分して確かめる前に仕込み直した。
金曜日の仕事中、突然シェフから翌土曜日に休みを取らないかという打診があった。来週見習い生のヨハンが一週間職業学校の授業がある都合で、この土曜日に休む代わりに来週は休まず働いてくれないかという話であった。特に断る理由となるような用事も無かった私は大丈夫ですよと言って突然の休みを受け容れた。それだから中種法でゼンメルを焼いた後、翌日の為に今度はサワー種を仕込んだ。
仕事後にゼンメルを焼いてそれから友人と何時間と電話をしたのもあってか、土曜日の朝は割と遅く迄ぐうぐう寝た。サワー種の方は必要な睡眠時間が決まっていたからそれまでに買い物を済ませたりして、昼になってサワー種を叩き起こして生地を作り始めた。生地を捏ねている段階で既にこれまでに作った二つよりも風味が際立った。ライ麦粉のサワー種とは違うので鼻を突くような香ではないがそれでも独特な香である。
果たしてこの日のサワー種入りゼンメルが最も良く焼き上がった。流石に連日同じものを焼いていると発酵や成形における些細なコツと言うのが目に付くようになって来る。どうしても蒸気を正しく与えられない家庭用オーブンでの焼成であるから、手折りの王冠模様の美しさに関してはそれほど期待していなかった。中には幾つか水分で上手く開かないものもあったが、それでも概ね綺麗に焼き上がってくれたのは嬉しい誤算であった。
味については殆ど大差無いというのが正直な結果である。大差こそ無かったが微々たる違いは確かに存在した。互いに共感しあえる範囲内の違いである。
サワー種の入ったゼンメルが私には最も風味良く感ぜられた。尤も最近の記憶だからそう思うに決まっていると言われては元も子もないのであるが、クラムの香や咀嚼し飲み込んだ後の後味が、ゼンメルとして最も満足度が高いように思われた。矢張りどうしてもストレート法で作られたゼンメルが味気無く感じてしまうのは、先入観云々では無く、この中で唯一一手間を加えられていないので致し方無いのであるが、とは言え微々たる差である。それから疑惑の中種法のゼンメルであるが、当然ストレート法のものよりは風味豊かであったとは言え、どうしても中種自体の様子に納得のいっていない私は、また少しレシピを書き換えてせめて中種法だけでも再度作ろうと思うに至った。何れにしても私の手折りカイザーゼンメルの成形が上達したのは確かである。まさしく習うより慣れろである。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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