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*30 プログレス/エンブレイス

 先週から愈々(いよいよ)働き始めたとは云え、そう簡単に新しい仕事場や生活に慣れるものでもない。土日を家で休みさて明日からまた仕事だと思うや否や、忽ち又異国の地へ向かう前の不安に襲われた。たった一週間働いたくらいで既に我が物顔で過ごせると思う事自体が烏滸(おこ)がましいのであるが、兎に角私は自分の中に渦を作る陰気を払拭し景気を付ける為に月曜の朝には白飯と納豆と味噌汁を食う事にした。何の派手さも無い並びのようであるが事ドイツにおいては豪勢な食事である。納豆なんかは、先週の金曜日にアジア食材を取り扱う店へ出向いて買っておいたのであるが、たったの二パックで組になっている物が四百円相当もしたのには、実を言うと一度買うのを躊躇(ためら)った。それでも先週無事職にありつき一週間働き、さてそんな時くらいは羽を伸ばしても叱られまいとして浮々(うきうき)としていた心が背中を押した。

 そうして験(げん)を担ぎ先週同様に朝の六時に職場に着くと、至当であるが先週同様に迎えられ、そこで漸(ようや)く私の中で昨晩から張り詰めていた糸が緩み、着替えを済ませると意気揚々と工房の中に入っていった。

 工房に入るとルーカスとクリスに加え、髪の赤い青年がいた。彼は私が現れるなり直(すぐ)に近付いて来て「ヨハンだ」と名乗り肘を出して来たので、私も続けて名乗り肘を彼の肘にぶつけ世相を象徴するような挨拶を交わした。彼が先週話に聞いていた見習い生であると理解するのには秒と時間が要らなかった。背が高く痩せていて色白の男である。髪の赤は染料にしては余りに自然なので地毛の様に見えた。

 すると私が出勤して五分と経たない内に何だか小さい少年がおはようと言って工房に入って来た。変声期なのか稍(やや)上擦った声をしている。はて見習い生は一人と聞いていたのだが、と思った私はプレッツェルを只管(ひたすら)成形している最中に彼は見習い生かとルーカスに質問してみると、何でも今週一週間職業体験に来ている十四歳の少年だと分かった。どうも今週が初めてでは無いらしく、一年前にもこうして学校の夏季休暇を使って職業体験に来ていたようで、来年からは正式に見習い生として雇われるという話であった。通りで皆彼を弟だか息子の様に扱っているわけである。私もその内名乗ると、彼はまた上擦った声でマリオと名乗った。ルーカスは時折彼の事をマリオカートと巫山戯(ふざけ)て呼んでいた。


 週半にはアインシュトラングツォプフ(※1)を作る仕事があり、それを私はマリオと共に遣(や)っていた。とは言え彼は占めて二週間職業体験に来た事のある限(ぎり)の学生であるから、私は彼に手取り足取り教える必要があった。職場全体で見ると、高が一週間働いただけの新参者が少々出娑婆(でしゃば)っている様でもあるが、個人で見ればすっかり六年もドイツで製パン業に携わり更には先日教育者としての資格も得た訳であるから何の不可解も無かった。それに私はこうして何も心得ぬ者に手解きする事が比較的好きであった。パン作りの殆どは感覚仕事である。発酵や焼成と言った作業も一口に時間でもって断言するのは難しく、又生地を成形する際の力加減も作業者の個人差や生地の個体差があるので一概には何とも言い難いのである。それでも自分の中では確立されている感覚を如何に言語化し、如何にして真更(まっさら)な他人に伝えられるかと云う所に立ち向かうのが面白いのである。無論それらは一筋縄でいく筈も無いのであるが、散々繰り返すと最後にはマリオが作るツォプフ(※2)も最初に比べると綺麗になっていたので、随分良くなったと褒めた。

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 先週の金曜日にシェフ(※3)が私に言った通り、先週にはシェフに付いてやっていた作業を私が主体になってやる事が少しずつ増えて来た。作業自体は然程難しい事では無いのであるが、それにしてもこのシェフの教え方は御手本の様である。何も私に際しての場合のみを言っている訳ではなく、今週も見習い生のヨハンに対してパンの焼成のあれこれを付きっ切りで教えていたし、職業体験生のマリオに対しても―これに関してはまだ若い少年に対する配慮もあったかもしれないが―彼が掃除をした机やミキサー(※4)を見ては褒めていた。人に物事を教える時に、ちゃらんぽらんな伝え方をしておきながらそれで成果が悪いと文句を垂れてそれを陰で笑って満足しているような人間を何人も見た事があるが、私にはあれは自分の教育能力の無さをひけらかしているのと同じに思えて、全くみっとも無いので悪い事は言わないから下手に教えるのは構わないが余り胸を張って周りに言いふらさない方が身の為であると警告でもしてやりたい気持ちになる。その点このシェフの教え方には私も思わず胸の内で手を打っていた。


 このパン屋で働く人間は皆もうワクチンを接種し終わっているらしかった。後から来た私も今週の木曜日に二回目となる接種の予約があったので、シェフは気前よくその日に休暇を当ててくれた。実はこの前日からドイツ全土に渡ってドイツ電鉄の大規模ストライキが敢行されていた。そしてそれは毎日一時間掛けて始発を乗り継いで出勤している私にも影響を及ぼす事となり、私は途中で乗り継ぐ駅からタクシーで仕事へ向かう事を余儀なくされ、そこで朝から九十ユーロ(※5)も払う羽目になってしまった。それだから木曜日に休暇を貰えた私には、連日大金を失う事から回避された事も喜ばしかった。ストライキはこの二日間で済んだ。


 木曜日にワクチンを接種してもらい家に帰った私は副反応に備えていた。シェフにも、もし体調が悪かったら金曜日も休みなさいと心配されていたので、私はいつ発熱し頭痛が起こるかとはらはらしていた。ところが夕方になっても、それから眠って朝三時に起きても体は頗(すこぶ)る元気であった。それだから私は通常通り出勤し通常通り働いた。皆から経過を心配されたが、私は何も起こらなかったと言って笑った。しかし仕事が終わってから何となく体が熱っぽく、また関節がしくしくとする様な感覚があった。それで家に帰って来た私は食事とシャワーを済ませベッドの上に体を横にした。これが副反応なのか今週からまた暑くなった気候によるものなのかと考えを巡らせてみたが、その症状もその日の晩にはすっかり無くなっていた。

 金曜の帰りがけになると製菓のアンナがまた声を掛けて来て、所で今は何処に住んでいるんだという話から展々とし、私が今住居を探しているという話に辿り着くとすかさず彼女は「それなら希望の間取りや家賃を紙に書いて明日持っておいで。皆で探せばきっと直ぐに見つかるわ」と言った。翌土曜日にはシェフの誕生日会に私も招待して戴いたので、その場に住居の希望条件を書いた紙を持って行った。

 その晩の食事会を済ませた私は何とも言い難い幸福さを実感していた。会の冒頭ではシェフが挨拶をしたのだが、その中で突然「今日は日本からの特別ゲストが来ています」と言って私の方に手を向けて来たので途端に皆の視線が私に注がれて背筋が伸びた。そして私が今マイスター取得を目指している事や、十月からまたここで働くという説明をしてくれた。この職場に温かく受け容れられている実感が私の幸福感を掻き立てた。

 会の中盤では、シェフの息子が私を含めるパン職人達に、来年完成予定の新しいパン工房の設計図などを見せながらその規模や設備を嬉々として説明してくれた。それを聞くアンドレやヨハンの目もきらきらと輝いており、どうも私は一つのパン屋の成長期に飛び込んだらしくその活気を今こうして酒の席で共有出来ている事にこれまた喜びを感じた。

 極め付けは私が電車の都合で少々早めに席を立つと、アンナが「紙は持ってきてくれた?」と前日約束しておきながら私が酒を飲む内に忘れ掛けていた住居の希望条件を書いた紙を要求してきたので、私が胸のポケットから出して渡すと「皆で見ておくわね」と言って私を見送ってくれた。その帰りの電車の中で、彼女から既に二件の住居の情報が送られてきていた。私はこれまで散々探しあぐね遂ぞ諦めていた憧れの人情の街とでも呼べる処にとうとう辿り着いたのかもしれないと思った。


 その帰り道、私は七月の騒々しかった空気とそれから八月に入って出逢った愛だか運だか縁だか恩だかが漂う幸福な空気とを改めて比較して、一切の猜疑心を捨て誠実にこの幸福を受け入れようと心に誓った。




(※1)アインシュトラングツォプフ [Einstrangzopf]:1本の生地で編まれた編みパン。

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(※2)ツォプフ [Zopf]:編みパンの総称。
(※3)シェフ [Chef]:社長の事。ここではクリスの事。以降、シェフと呼ぶ。
(※4)ミキサー [Knetemaschine]:パン生地を捏ねる機械。
(※5)九十ユーロ:日本円で約12,000円。


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